第9話 東西の接する窪地
――え?
ぱちくりと、瞬きをする。
が、そうしている間に、どんどんと、女生徒達の雑多な行進は、
今や、少女達のバラバラの足取りの目指す地は、たった一つ。
高等部から、中等部から、溢れてきた合計四〇〇〇人を超える少女達の群が、完全に合流し、幾重もの波になって、学舎の方へ戻っていく。いや、通り越していく。
待機していた各家庭の御用車は、乗せたご令嬢の突然の指示で、いつも帰る東門とは正反対の
徒歩の者はバスに乗るか、自家用車の友人に乗り合わせた。
大小の車の列が、東苑の西の端にそびえる丘の麓へ向かって、果てしなく連なった。
いつもの帰宅時間帯以上に、壮観な眺め。
カープールで待っていた車に乗り込むと、綾付きの式部家の運転手は、声を上げて聞いてきた。
「お嬢様、一体何事ですか、これは」
いつもなら部活や特殊委員会の活動をしていて、まだ車に乗らない令嬢達も全て、いちどきに移動しているのだ。
綾はうまく説明できず、ぼんやりとしたまま、これだけを口にした。
「とりあえず、西へ車をやってちょうだい……」
東苑の西南の端、東苑の生物部が管理している牧場の隣の空き地に、びっしり並んだ車、車、車。
衝突事故が一つも起きなかったのは、全体にとって幸運だったろう。
綾は、まだどこか虚ろな感覚のまま、車を降りて、人の流れに沿って歩いていた。
スプリング・ヒルの南斜面が終わってすぐ下の窪地。飛び石の道を配した、浅く広大な瓢箪型の池を囲む、広々とした草地に、ぎっしりと生徒が集まっている。
反対側の道からも、西苑の生物部の牧場を迂回して、続々と入ってくる生徒達――全く同じデザインの制服を着た、西苑の生徒達の姿が見えた。
二つの苑からやって来た生徒は入り交じり、既にそこここで論議が始まっていて、もう東苑生とも西苑生とも見分けがつかない。
池からは、南の果てに配された林まで、曲線を描く小川が流れ出ていたが、少女達はそれを難なく跨ぎ超して、西と東の境界領域全体に広がり、流動し、入り交じっていた。
車は列をなして、後から後からやってきている。
八〇〇〇人を超える女子中学生・女子高校生の大軍団ができあがるのは、時間の問題だった。
と。
「アヤちゃぁんっ」
ぱしっと抱きついて来られて、綾は軽く息を呑んだ。見ると、金色の巻き毛を二つに結って頭の両側からぶらぶらと大げさに垂らしている少女。ブルーグリーンの瞳、あどけない顔。
「クララ?!」
「うっわぁよかった! アヤちゃんアヤちゃんアヤちゃーんっ!!」
ぎゅぎゅぎゅぎゅ、ぎゅーっと、綾の首っ玉にかじりついてくる。
「あのね、クラらん、今学校に来たのっ! マーサちゃんのとこで遊んでたらねっ、そしたらねっ、何だかみんなアリさんの行列してるから、びっくりしちゃって、えーっと、えーっと、えーっとねっ!」
東苑高等部一年生のエスカドロン・ヴォラン、クララだった。
超ロリータ風の甘えっ子なのなのだが、もの凄い小顔で、ひとたび舞台に乗れば途端に立ち居振る舞いからまなざしまで冴え冴えとして、スマートな知的美女に大変身してしまう。普段の言行が詐欺のような、スイス出身のスーパーモデル。
モデル事務所の先輩を通じて知り合い、仲良くなった。というより、一方的に慕ってくれている。
「ねぇねぇアヤちゃん、リリーちゃん達はどこぉ?」
ぺたーっと綾に抱きついたまま、不安な顔で、クララは聞く。
その頃までには、彼女の可愛らしい高い声に、沢山の生徒達が振り向いていた。
「クララちゃんだわ!」
「アヤ様! アヤ様もいらっしゃるわ!!」
「はぁいっ、クララ・バイストールちゃんです! おねーさま達お元気っ? クラらんとっても元気っ!!」
両手でピースサインを出す一五歳の少女に、背中からぐぐーっと押し潰されながら、注視を浴びている気配を察知し、ひくひくと引きつり笑いになる綾。
――あーもーなんか、この子が出てきた瞬間、厭な予感はしたけれど……
とにかくクララはその独特の存在感で、目立つのだ。そして、一度気付かれてしまうと、綾も。
――とりあえず皆さまの中に埋もれておこうと思ったのに……
こんな自分なのに、と綾本人は思っているのだが、何故か注目を集め、頼られてしまうことが多い。
「アヤ様」「式部様」「私達、どうすればいいんでしょう」
案の定、気弱そうなご令嬢達が集まってきて、すがるような視線を向けてくる。
――そんなこと、公的には一介の学級委員長でしかないわたくしに、聞かれたって困りますわ――
心の中では思いつつ、どうとも取れる曖昧な微笑で、視線をさまよわせる綾。
「あ、リリーちゃんだぁ!! リリーちぁぁん」
すたたたたたーっと、クララが飛び出していった。これを逃す手はない。ささっと追いかけて行く。と、
「アヤ!! やっとご到着どすか?」
浅く広大な池のほとりで、先程よりいっそう厳しい顔をし、エスカドロン・ヴォラン二〇〇名ばかりを率いたリリーが、制服のスカートのまま芝生にあぐらをかき、その上に顎肘をついた恰好で、綾を迎えた。
「不機嫌ね。お待たせ、とでも言えばいいの?」
「あらクララさん、お久しぶり」
「うわーいマーガレットちゃん
「
異様に平和にじゃれ合っている二人がいるが、リリーの周囲は、実は窪地の中でもっともピリピリした空気の漂っている場所だった。
対峙している集団は、東苑の各部の部長達の大集団。それぞれ四十五団体づつある高等部の部長会と中等部の部長会の構成員のほとんどが、リリー率いるエスカドロン・ヴォランの一群と、睨み合っているのだった。
向こうの片翼を、見ない顔の生徒達が担っていたが、察するに西苑の部長会の少女達だろう。
リリーは、すぐに彼女らとの討論に舞い戻っていく。マーガレットが、そっと綾をその輪の外側に連れていきつつ、耳打ちした。
「私達、東西両苑合同の生徒会首脳会議に同席していたのですけど、生徒会役員様達との話し合いがもつれて、山を降りて参りましたの。サロンを一つ、お貸ししてさしあげて、ね。上の方々は、まだ、この騒ぎをどう収集するか、協議を続ける様子でしたけど――。そしたらこちらで、生徒の皆さんが……。先程、沙記を伝令に出しましたから、ソフィー様達も、そろそろ、ここに皆さんが集まっていることを知った頃だと思いますわ」
「なるほど、ね……」
腰に手を当ててため息をつく綾。目をやると、リリーは、特に東苑高等部の部長会長と、激しくやりあっていた。
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