垣間見る絶無

 失言だったと反省はしているが、メアリは俺の発言を気にも留めていなかった。


「死ねって言われてもな~。うーん、私個人の考えを話すのは好きじゃないんだけど……創太も私も人間だしさ、いつかは死ぬじゃん?」


「…………ああ」


「そのいつかって、いつ来るんだろうね。ね、創太。いつ来ると思う? あ、寿命の話じゃないからねッ」


 分かっている。人間が全員寿命で死ぬなら苦労はない。自殺、他殺、交通事故、病死……人の命は重いようで軽い。風に吹かれたくらいで失くなる事はないが、その代わりあらゆる要員で失いかねない。紙なんてものよりよっぽど軽いのだ、人命は。だからこそ俺達人類は何よりそれを尊重している。


「…………んん?」


 メアリの尋ねてきた質問とは、即ち『死に時』についての質問なのだろうが、それは神のみぞ知るものではなかろうか。少なくとも俺達にはどんな手段を用いても図れるような概念ではない。解釈によってはそれこそが寿命とも取れるが、わざわざ前もって違うと明言している以上、この場合の寿命とは生物的限界―――単純に生まれてから死ぬまでの時間だろう。


「……そんなの、誰にも分からないだろ」


「うん、そうだね。誰にも分からない! だけど人には必ず『いつか』がある。二人が死んだのはその『いつか』が来ただけって私は考えてるのッ」


「……あれはどう見ても自殺だったぞ」


「え? でもメリーさんに殺されたって話だよ? クラスのチャットでは」


「メリーさんの噂もういっぺん思い出してみろ。狙った奴を自殺させるなんて怪異だったか? 死人なんて出た所でどうも思わない奴にしては、いささか知識が浅すぎるんじゃないか?」


「うーん。でもそういうお化けって私見えないからなあ。それに噂は飽くまで噂だし、もしかしたらメリーさんの気分が急に変わったんじゃない?」


 茜さんはそんな人じゃない。彼女は自分が都市伝説である事に嫌気が差していた。彼女を振り回しているのは彼女の気分などではなく、言霊だ。もし噂とは違う殺し方をしたなら、それは誰かが別の噂を流して、メリーさんという怪異に尾ひれをつけたからだ。彼女は何も悪くない。


「…………最初に死体を見つけたのは俺だ。お前も知っての通り、俺は『視える』。その俺が自殺だって言ってるんだ、もしその分析が間違っていても、メリーさんの仕業でない事だけは確かだ。お前、それでもメリーさんに殺されたって言うのか?」



「あ、そうなのッ? なーんだ、創太ってば人が悪いね。でもほら、もし自殺だったとしても、やっぱりそれは死に時だったんじゃないかなって思うよ」



「何だと?」


「死に時じゃない人はたとえどんな目に遭ったって死なないもの。だからあの二人が死んだなら、それは死に時だったって事。こう考えたら私がどうも思わない理由も分かるんじゃない?」


 つまるところ、悪い事をしたという自覚がないのだ。最初は単純に不都合から逃げているのだと思ったが、こいつはそもそも不都合が認識出来ていない。誰かが自分のせいで死のうが、他人のせいで死のうが、意図的だろうが、偶然だろうが、全てを『そうなる定め』だったとして開き直っている。


 だから誰かが死のうが死ぬまいが興味がない。あの二人がメアリの為に自殺をしたのだとしても、『私には関係ない』と言い張れる。恥知らずなメアリの事だから、二人がどんな思いで自殺を選択したかを知る機会に恵まれたとしても、きっと同じことを言うだろう。


「ふざけんな!」


 わざわざ俺が二人きりの状況を作ったのは、まず間違いなく彼女のふざけた理屈を聞いて手が出る自信があったから。女に手を挙げるなんて最低な奴だが、今だけはそれでも構わない。俺は彼女の襟首を掴むと、大きくこちらに引き寄せた。


「何でもかんでも他人事みたいに考えやがって、お前は自分にどれだけの影響力があるのか分かってないのかッ? お前のせいで……お前が居るから…………俺はお前以外から嫌われてるんだよ!」


「それは……えっと。本当に私関係なくない? 後、嫌われてるっていうけど、私、女子から結構創太の良い話聞くよ?」


「へえ、どこのどいつですかねそいつは! 後で話聞いて、しっかり嘘だってこと確認しに行くから教えろよ!」


「四季咲莢那って子から特に聞くよ。D組の子。分からないなら案内しようか?」


「知らねえ! 絶対嘘だからいいわ! って話を逸らすな、お前は学校処か、この町内全員から好かれてるんだ、まずそれを自覚しろ! 惚けて生きてんじゃねえよこのクソ野郎! 自分は無関係だ? そんな訳あるか! 少なくとも今回は、お前がメリーさんを探さなければ二人は死ななかったんだぞ!」


「んーそれは無いと思うけどな」


「あの二人はあそこのラブホテルで死んでたんだぞッ? それでもあり得ないって言えるのか?」


「創太は自殺だって言ったじゃん。自殺が場所を選ぶとは思わないけどなー。さっきも言ったけど死に時が人にはあるから―――」





「じゃあここで試してみるかッ?」





 俺は足元の石を拾って、彼女の目元に突き付けた。


「死に時じゃない奴はどんな目に遭っても死なないってのが本当なら、試したっていいんだぞ。今からお前をこの石で殴ったらどうなるんだろうな? なあ!?」


「―――良いよ、別に殴っても!」


 満面の笑みを浮かべるメアリ。俺は双眸を震わせながら、特に動揺する事もなく落ち着いている彼女が気持ち悪くて仕方なかった。普通、人間というものは生命の危機に差し掛かった時に本性が表れるものである。なのにこの女は…………どうしてそんな模範的な笑顔を続けられるのだ。


 俺が出来ないと思っているのか?


「こ、この…………!」


「ほらほら。何処でも殴りなよ。私が死ななかったら正しいのは私って事になるからこの話はお終い! 私が死んだら正しいのは創太だからこの話はお終い! 手っ取り早くていいじゃない!」


 石を持つ手が震える。当たり前だが誰かを撲殺しようなんて考えた事がないので、俺は今、未知を前に恐怖している。


 石で殴ればどうなるのだろう。血はどれくらい出るだろう。メアリはどうなるだろう。様々な予測が同時に脳裏を駆け巡り、行動に躊躇を生ませている。殴られる側のメアリが全く恐怖を持たず、殴る側の俺が恐怖で身体を動かせないでいるのは皮肉な話だ。或いはそれこそメアリが『死に時』ではない証拠か―――いや、そんな馬鹿な。


 この石を頭に振り下ろせば、ハッキリする筈だ。


「……どうかした?」


「少しくらい、怖がれよ! 気味が悪いんだよ、お前! 悲しい表情を少しは見せたらどうなんだ、ああん!? 普通な、人間には様々な表情があるもんだ! なのにお前と来たらぜんっぜん人間らしくねえ! だから嫌いなんだよ、だからお前が気持ち悪いんだよ! 少しは人間らしい顔してみたらどうなんだ!」


「人間らしい顔って言われても…………」


「俺にここまで罵られて何も思わないのか。嫌えよ、同じように罵倒しろよ、悪意を見せろよ! 俺の事を嫌いって言ってみろよ――――――!」





 ニコッ。





「創太の事、嫌いにはなれないな。だって創太、優しいもん。だから嫌ってやらない」


 全身の力が抜けた。持っていた石が地面ではねると同時に、俺もまた尻餅をついた。メアリは掴まれてくしゃくしゃになった襟首を正すと、視線を合わせるように屈みこむ。


「創太が私をどう思うかは勝手だよ。でもそれは私も同じでしょ。人間らしいっていうのがどういう事か分からないけど、正直には言ったつもり」


「……………………」


「ねえ、創太。二人きりで久しぶりに話せて楽しかったよ。部活は忙しいけど、時間が出来たら今度また貴方の家に遊びに行くね」


「あ………………………ああ」


「良かった。じゃあこの話はこれでお終いだね。じゃ」


 呆然と彼女の立っていた虚空を見遣る。足音が側面から背後へ。徐々に遠ざかっていく。


「あ、そうだ。創太も辛いだろうから、もう二人の事は話題に出さないでね! 死に時を迎えた人間の事なんか覚えてても仕方ないでしょ!」


 彼女の足音が完全に遠ざかるまで、俺は呼吸はおろか、瞬き一つ出来なかった。特殊な力で止められていた訳ではない。俺が自主的に止めていた……それも正確ではない。勝手に止まったのだ。熊に死んだフリをするのは間違っている……なんて最早一般常識だが、それでも余りの恐ろしさにそれをしてしまう人間は少なくない。一番近い感覚はそれだ。


 心の底から恐怖するあまり、俺は彼女に対して死んだふりをしてしまった。


 呼吸も動作も元に戻る頃、今度は何かの気配を背後から感じ取り、俺は大袈裟に振り向いた。足音も聞こえない、呼吸も聞こえない。


 果たしてその正体は、茜さんだった。


「あ…………」


「やあ。申し訳ないけれど一部始終は見させてもらったよ。と言っても悪気はなかった。あの山に留まり続ける事が出来ず、下山したら君の姿が見えたんだ。私が絡む事でもないからと無視しようとしたんだが、どうにも君の様子がおかしいじゃないか―――何を見た?」






 周防メアリはあの時、確かに笑った。声の調子も上がっていて、ご機嫌な彼女の声を聴いた。しかしあの時、俺は確かに見たのだ。



 能面の様に冷たい、無表情を。





 




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