現世に神は確かに在す

「創太。お主、まだここで眠る事を諦めておらんかったのか」


「当たり前じゃないですか。俺は敬虔なる信者ですよ? 出来る事ならずっとここに居てもいいくらいです。我が神が傍に在す事を知っていればこそ、普段の生活も一層引き締まるものですから」


「ふむ、良い心がけじゃな! そういう事であれば許可するぞッ」


 俺が神社に持ち込んだのは数枚の毛布だ。これで取り敢えず就寝問題は解決した。どうしても家に帰りたくなくなったら俺はこの毛布に包まって一夜を過ごす予定だ。ベッドと比べれば寝心地は雲泥の差だが、それでもメアリという単語を聞かずに済むのなら居心地で軍配が上がるのはこちらだ。命様とは話しているだけで心が安らぐだし、割と真面目に、ここが俺にとっての『家』となりつつある。


 メアリ一色に染まったこの街に、『家』というものはない。いつ何時も俺は嫌いな奴の名前を聞かなければならず、賛美を赦さなければならず、拒絶を受け入れなければならない。そんな状況で安心出来る奴が居るとすれば、そいつはよっぽど図太いのだろうが―――俺は、違う。普段の態度が刺々しくなっているのも、恐らくこれが原因なのだと思う。


 自分でもわかるのだ。メアリが絡むと人が変わった様に不機嫌になる。そんな状況に居続けるのは、俺自身も嫌だ。しかしこの神社に居る限り、彼女の名前を聞く事はない。ここに居る間だけは、俺も刺々しくなる必要が無い。何せこの神社に居るのは周防メアリとかいう人間の気がしない完璧超人ではなく、この世で最も純粋で素直な神様だ。一緒に居て心地悪い訳が無い。


「所で命様は神通力とか使えないんですか?」


「神通力か。妾も使いたいのは山々なのじゃが、出会うた時の事を覚えておるか? 今の妾では祟る事も出来ないのじゃよ。お主が信者となってくれたお蔭で、辛うじて使える力がない訳ではないが……条件が揃っておらぬ」


「条件?」


「望月の頃―――つまり満月じゃな。月が満ちねば使えぬ権能じゃ。更に言えば、妾の気が進まぬ」


「……ええ! そこまで言っておいてッ? ど、どうしてですか?」


 見えてはいけないものが見えているのは今に限った話じゃない。どんな滅茶苦茶な変化が起きても、俺には怖がらない自信があった。霊と呼ばれる存在は基本的に不定形であり、幾つもの姿を持っている。幽霊が見えぬ他の奴らとは違って、俺にはその手の理解があった。


 それでもどうやら、命様は気が進まないらしい。


「うむ、よくぞ聞いてくれた! 自分で言うのもなんじゃが、妾も神の端くれじゃ。本来の権能を僅かにでも取り戻せば、今の様に創太と会話する事は出来ないかもしれぬ。妾はお主の事を気に入っておる。だからこそうっかり殺してしまったなどと笑えぬ話をしたくはないのじゃ」


「…………成程」


 それは確かに俺も嫌だ。少しだけ残念な気もするが、神通力の目撃は諦めるとしようか。


 暫し、命様がお菓子を貪る音だけが響く。学校から俺だけが帰って五時間以上が経過しているが、全く退屈した覚えがない。むしろもう五時間も経ったのかと驚いたくらいだ。一先ずの昼餉を済ませてから、俺は命様とお菓子を共有し、時にはお互いに食べさせるなんてコミュニケーションもやった。



 正直に言って幸せ処の話じゃなかった。



 あまりにも素直過ぎて時々忘れそうになるが、命様は外見年齢が俺と同じくらいである。つまり実質女子高生だ。メアリのせいでその他全ての欲求が無視されているが、俺も年頃の男子。実際は遥か年上だろうとも、こんな風にじゃれ合っていたら、そりゃ少しは意識してしまう。


 知り合いにまともな女子高生が居ないのも一因になっている。クラスメイトの女子は髪も爪も染めまくりで、清潔感を感じられない。例外はメアリくらいだが、そもそもアイツは恋愛対象処か交流対象から除外だ。どっかで男でも作って幸せになってくれ。そしてそのままどっかに行ってくれ。


 俺の視界から今後一切居なくなってくれれば、俺も憎む事をやめられるかもしれない。


「それよりも創太よ! お主の寝床を作る事を許可したのじゃから、妾の頼みも聞くが良いッ」


「何です? 追加の注文ですか? でもあんまり高い物は持ってこれませんよ?」


「そこまで食い意地はっとらんわ! お主は良き信者じゃが、時々無礼極まるのう……違うわ、今世の食べ物は十分堪能させてもらったが、お蔭で欲が湧いてしもうた。今宵、共に妾と歩かぬか?」


「歩く…………? 歩くのはいいんですけど、命様って社の奥にあるご神体に縛られてるんじゃ?」


「おお、その通りじゃ。確かに妾はご神体から―――この神社から離れる事は出来ぬ。まあ、要するにご神体があればいいんじゃ」


 要領を得ないので首を傾げると、命様は袖の中から紐の通された勾玉を取り出し、俺の首に優しくかけた。


「妾の力がほんの少しだけ込められておる。創太がこれを付けておる限り、妾はこの神社の縛りを受けぬ。これでどうじゃ?」


「…………ほんの少しだけで大丈夫なんですか?」


「遊歩程度ならば大丈夫じゃろ。お主の傍を離れられないのが欠点と言えば欠点じゃが、妾は町を知らぬ。お主に案内してもらわねば神社にすら帰れぬ自信がある!」


「そこに自信を持つのはどうなんですか……」


「それだけお主を信頼しておるという事じゃよ。これでお主は何としてでも妾を案内し、社に帰さねばいけなくなった! 責任重大じゃな、ククククク!」


 悪戯っぽく笑う命様。その表情に俺は女神を垣間見た。



 いや、元々神か。



















 私の知る兄貴は、もう何処にもいない。


 いつからなんだろう、兄貴があんな分からず屋になったのは。思い出せる限りだと、兄貴が同級生を家に呼んだ時だったかな。


『初めまして。私の名前は周防メアリだよッ! 宜しくね、清華ちゃん!」


 あの人と目を合わせた瞬間、私は何かとてつもない多幸感に見舞われた。あの兄貴にこんな現実離れした可愛さの友達が居るなんて思わなくて(どこかとのハーフらしい)、当初の私はこんな綺麗な人と友達の兄貴を誇ったものだ。



『兄貴、どうしたの?』


『嫌いなんだよ俺は…………アイツが』


『どうして? メアリさんとても良い人なのに』


『良い奴…………ああ、そうかもしれないな。でも俺はアイツと話していると―――段々怖くなってくるんだよ。何と話してるか分からなくなってくるんだよ!』



 だけど、兄貴はメアリさんの事が嫌いだった。理由は良く分からない。あんなに性格が良くて、行動力があって、発言力があって、誰からも嫌われない人なんて見た事がない。最初は兄貴の言う事が正しいのかなと思って暫く話してみたけど、最終的にはやっぱり兄貴がおかしいという結論に達した。そしてその結論は正しい事が周りによって証明された。


 私にとって兄貴は正しい存在だった。正しいから大好きだった。


 でも兄貴は変わった。何の正しさも無い、優しさの欠片もない嫉妬の塊に成り下がってしまった。誰からも嫉妬されないメアリさんを、私の兄貴だけが唯一嫉妬してる。


 その情けなさと言ったらとても言葉に出来なくて。だから私は兄貴が嫌いだ。優しさもない、正しさも無い、憎むだけの兄貴が嫌いだ。


 せめて兄貴には、メアリさんの優しさを受け取れるぐらいには素直になって欲しいんだけど。どうすればいいんだろう。メアリさんの素晴らしさを聞かせた所で、今は逆効果だろうし…………



「兄貴、好きな女子とか居ないのかな…………」      



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