第9話 雨

「お願いします、この子を助けてください!」


 そう言って病院に駆け込んだのはずっと昔のことだった。まだ幼い息子が交通事故に遭ったと聞いたときは、気が動転しそうになった。

 意識不明の重体。

助からない可能性のほうが高かったらしい。

そして最後には、植物状態となって私のもとへ帰ってきた。

 毎日毎日、声をかけ続けても返事がくることはなく、とても辛い日々だった。

 だが、そんなある日とある男たちが私のもとへやってきた。自分たちならばお子さんを助けることができます、と。

藁にもすがる思いで、私は彼らに息子を任せた。

 それから連れて行かれた大きな研究所。

 大量のPCと、壁に埋め込まれた画面スクリーンはとても殺風景だった。


「意識は生きています。安心してください」

「はい…」

「彼の身体はこちらで治療させていただきます。ですがそれには数年かかるでしょう。ですので、身体の成長に合わせ、意識もこちらで成長するように致します」

「それはどういう…私の息子はモルモットじゃないんだぞ!」

「——分かっています。彼を救うためですよ。彼の身体が治った時、正常に社会復帰できるようにするには必要なことなんです。もちろん、学習用のプログラムも用意しておりますので、勉学のほうも心配ありません」


 男は微笑んでみせたが、私にはそれが信じられなかった。


「お母さまもこちらの世界で彼に会うことができるようにしますが、その際はお気をつけください。こちらでは、あなたと彼は赤の他人ということになりますから」

「…そうですか。わかりました」


 男は、あちらの世界で記憶のズレが生じないようにするため、息子の既存の記憶はブロックすると言った。

 そうだ、このとき私が…。


  ・  ・  ・


 容赦なく降り注ぐ雨粒で目を覚ました。

 ——雨か…。

 届くはずもない空に手を伸ばしても、ただ虚しくなるだけだった。

 そういえば、奈月くんは——⁉︎

どうして気づかなかったんだ。

この世界のシステムは、奈月くんを排除するために停止していたはずなのに!

 気づけば走り出していた。

傘もささず、びしょ濡れになって走る姿は、街ゆく人々からしたら不気味なものだっただろう。

それでも私は、彼が神社で待っていると信じて走り続けた。

 ——待っててくれ、必ず迎えに行くから…!

 

  ・  ・  ・


 私がたどり着く頃には、奈月くんは既に意識を失っていた。


「たかがデータ一つの消去なのに、死体まで残すとは悪趣味だな……」


 安らかに眠る彼を抱きかかえ、涙をこぼした。


「——大きくなったんだな。いつの間にかこんなに男らしくなって…。ごめんなさい…また助けられなかった…ごめんなさい…」


 冷たくなった手を握り、何度も謝った。

 所詮、ヤツらにとってこの子は実験台だったのか…。


「せめて、私も一緒に逝けたらよかったな…」


 しばらく泣いていると、奈月くんの手が私の手を握り返してきてくれた。


「奈月くん⁉︎」

「……母さん、ずっと俺のそばにいてくれたんだな。もう死んじまったけど、俺は母さんの子どもに生まれてこれてよかった。泣くなよ、アンタのおかげで俺は幸せだったんだ。…親不孝ものでごめんな。元気になってまた喋りたかったなぁ——」

「私こそ、あなたを守れなかった…!だから、生まれ変わったら今度こそ幸せになってね…」


——運命は残酷だ。


 どんな辛い結末も人は生まれたときから決まっていたのだろうか。もしそうならば、抗えない運命のどこに希望があったと言うのだろうか。

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