カイテイ

カイテイ【1】


 彼の自宅に着いたあと、順番に入浴を済ませた私たちは、ひとつの扉の前に立っていた。


「今から、最後の寄り道をしよう。ここが何の部屋か、覚えてる?」


 彼はこちらへ向き直って問い掛けた。身長差のせいで、自然と彼が私を見下ろす形になる。


 吸い寄せられるように上を向いて表情を窺えば、少し首を傾けた彼の蕩けそうに甘い視線が注がれていた。


 この角度から見上げる彼は殊の外美しく、ため息が出そうになる。


「もちろん。寝室ですよね」


「そう。ここで、君と俺……ふたりの悲願を達成しよう」


 扉を開けると、そこに広がっていたのは、記憶にあるお手本のような寝室ではなかった。


 青い照明が海中を彷彿とさせ、非現実的な空間を演出している。


「理想とも予想ともかけ離れてるかもしれないけど」


 前置きとともに視界に飛び込んできたのは、ベッドの上にかかった見覚えのない天蓋だった。


「わあ……メロンの網目みたいで素敵」


 褒めているとは到底思えないセンスかもしれないが、緻密な刺繍のように美しいメロンの網目が私は大好きだった。


「メロンの網目か! いいねえ。言われてみれば確かにそんな感じかも。一応、俺がイメージしたのは、カイロウドウケツだよ」


「偕老同穴……」


 それは、我儘で贅沢な私の願望を過不足なく表した四字熟語。


「口頭だとわかりにくいか。海の生き物のほうね」


「ああ、そっちのカイロウドウケツでしたか」


 その言葉を受け、一気に記憶の扉が開く。


 そういえば、彼に願望ゆめを話したきっかけも水族館の展示だった。


 カイロウドウケツとドウケツエビの水槽前に設置されたパネルには、主に後者の生態について表記されていた。


 嚙み砕いた表現のそれが、あまりに真っ直ぐ心に届いてきて……触発された私は、衝動のまま、彼に長年の夢を打ち明けてしまった、というのが事の顛末だ。


 先ほどまですっかり忘れていたのが嘘のように鮮明に蘇った懐かしい思い出を反芻する。


 いま思うと、中途半端に遠まわしなプロポーズのようで気恥ずかしい。


「そう。初めは、大きめの棺桶にふたりで寝そべるのもいいかと思ったんだけど、意外性に欠けるかなって。それに、このほうが華やかで君に似合うと思うし。どっちにしろ、疑似的なお墓ものになっちゃうけどね。普通にお墓買っといたほうがよかったかな? 今からでも手配しようか?」


 言うや否や、ポケットから携帯電話を取り出した彼を慌てて止める。本日の業務はとうに終了しているはずだ。


 このひとは宣言してから実行に移すまでの間が極端に短い。有言実行にも限度というものがある。


「いいえ。きっと私からは、一生掛かってもこんな発想は出てこなかったでしょうから。本当にありがとうございます」


「どういたしまして。でも、見てるだけで満足? この中……入りたくない?」


 誘うように天蓋を持ち上げ、左の口端を吊り上げて笑うさまが色っぽい。返事の代わりに歩み寄れば、彼は嬉しそうに笑みを深めた。

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