第3話 大切な話

 「それで、話というのはいったいどのような内容なのでしょうか?」


 咄嗟に正座をした俺は、少し食い気味に相手の言う“話”とやらについて聞いた。

それは別にのことがバラされるのが心配だから、というわけではない。ただ、人の話はちゃんと聞くようにママにしつけられているだけであって。

……本当だもん。

 自分を飼い猫のさくらと名乗る少女は、コホンと可愛らしい咳払いをしてから話を始めた。


「――昨晩、仕事からお帰りになられたご主人様が、さくらと話ができたらとおっしゃってくれました。そのおかげか私はこうしてご主人様と同じニンゲンになれたのです」

「…ふむふむ、なるほど……ってそんな簡単な説明で理解できるかぁーっ!!」


 突然怒鳴ってしまったせいか彼女は少しビクッとしてしまった。

 それにしても、さくらはいったいどこに行ってしまったのだろうか。家出するなんてことは今まで一度もなかったのだが…。

 どことなく、目の前に座る少女の纏う雰囲気からさくらと同じようなものを感じるのだが、それはさくらが居なくなったという事実から目を背けたいだけの俺の妄想なのかもしれない。


「とにかく、きみがどこのお店の人でもいいけど、そんなのは頼んだ覚えもないしお金を払うつもりも一切ない。今日も仕事があるから分かったら帰ってほしい」


 少女は返事もせず、うつむいたままだった。給料が減ってしまうのだろうか、そんなことは気にしないことにした。

 おかげで朝食をとる時間もなくなってしまったが、俺はそのまま準備をして家を出ることにした。

 知らない人を部屋に入れたままなのは少し不安だが、今は仕方ないか…。


「それじゃあ、自分も仕事に行ってくるので、気が向いたら帰ってください。あまり何も無いですが冷蔵庫の中のモノ、少しくらいだったら食べてもいいですよ」


 合鍵を靴箱の上に置き、俺はドアノブをまわした。


「あのっ…、いってらっしゃい」


 綺麗で透き通った丸い目が俺を見つめる。


「――あぁ、行ってきます。鍵を締めたら合鍵はポストの中に入れておいて」


 理由の分からない罪悪感と小さな心配を胸に、俺は部屋を出た。


 ・ ・ ・


 あれから何時間が経ったのだろうか。

残業をしたわけでもないのに、今日は時間が経つのが遅く感じられた。

 家はどうなってしまったのだろうか、あの少女はちゃんと帰ってくれたのだろうか、という心配で頭がいっぱいだったのだ。

 そんなことばかり考え、暗い道を一人で歩いた。

 アパートの階段を登り、どこかから漂ってくるいい匂いで俺は大切なことを思い出した。とても、とても大切なことだ。


「弁当買ってくるの忘れた…」


 さくらのご飯はまだまだ余裕があるのだが、自分の分は買いだめしていないのだ。


「でもここまで来てコンビニに行くのも面倒だしなぁ…今日は諦めるか…」


 徒歩たったの十分というのも、仕事終わりの疲れた身体にはなかなか大変なものだ。

今日はさくらのことも心配だしこのまま帰ることにしよう。

 隣の部屋の晩ご飯はカレーなのだろうか。

そういえばここには夫婦が住んでたんだったっけ。


「さくら、ただいまぁ…って言っても今日は居ないか…」


 靴を脱いでいると奥の方から小さな足音が聞こえてきた。


「おかえりなさい、ご主人様。そろそろ帰ってくる頃だろうと思っていました。ご飯にしますか?お風呂にしますか?それとも、わ・た・し?」

「わたしにするわけあるかーっ!!」


 はぁ…なんだか気が遠くなる…。

 当然のように少女が居て、その少女は俺を出迎えた。

 玄関で座り込んで頭を抱える俺の顔を彼女は覗き込む。


「きみは家に帰らないの?」

「はい、ここが私のお家ですから」

「そのメンタルの強さには負けるよ…。まぁいいや、今日は弁当買い忘れたし風呂入って寝るから」

「ご飯なら大丈夫ですよ。もう作ってありますから」


 そう言って彼女は俺の腕を掴み、リビングまで引っぱって行った。暗い玄関から突然明るい部屋まで連れてこられたせいでまともに目を開けることができなかったが、テーブルの上に皿が並んでいるのが薄っすらと見えた。しかも、階段から匂ってきたアノいい香りと似ている。


「ご主人様はカレーがお好きでしたもんね。いつもいろんなものを買ってきては楽しそうに食べていましたから。さぁ、座ってください」


 彼女に促されるままに俺はテーブルの前に腰をおろした。というか、無理やり引っ張られて座らされたと言ったほうが正しいだろうか。確かに、コンビニで売っている世界カレーシリーズをよく買ってきていたし、レトルトもいくつか置いてあったがそんな話をした記憶が一切ない。

 ただ、今はそんなことよりもっと気になることが一つだけあった。


「……あの、こんな狭いテーブルでわざわざ隣に座る必要はあったの?」

「はい!私はいつもご主人様の隣でご飯を食べさせていただいてましたから!」

「それはネコのほうのさくらであって…。まぁいっか、好きにしてくれ」


 彼女は嬉しそうに微笑んだ。

 この子はいったい何が目当てなのだろうか。そんな疑問はよそに、俺はまだ温かいカレーを頬張った。


「…うまい」

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