異世界で煩悩は強い件について。

寧楽ほうき。

第1話 今日も先輩は美人だ

「ふわぁーあ、疲れたな……」


 仕事場のPCから目を離し、壁に掛けられた時計を見つめた。やはり長時間モニターと睨めっこをしていたから目が疲れているようで、どれだけ目を細めても、どれだけ目を擦っても時計の針がどこを指しているのか見えなかった。

 そろそろメガネ変えようかな……?

そんなことを思っていると、左の頬にピトリと冷たいものを当てられた感触がした。


「うわっ!」


 慌てて立ち上がると、隣で橋本はしもと先輩が缶コーヒーを持って立っていた。

 もの凄く美人なうえに胸も大きく仕事もできるというハイスペックな先輩だが、こうしてよく俺に構ってきてくれる優しい人だ。


「ごめんね、驚かすつもりはなかったの。時計が見えないんでしょ?今は二十時。桜木さくらぎくんはもうあがる時間よ。はい、コーヒー」

「どうも。それじゃ、お先に失礼しますね」

「——他の仕事も手伝ってほしいなぁ…。なんてね」

「そんな目で見つめても無駄ですよ。先輩はいつもそうやって男の社員に残業させるんですから」


 俺は先輩から貰ったコーヒーに口をつけた。

 やはり俺みたいな男の口には自販機のコーヒーが一番あっている。なかなか美味いな。

 コーヒーを飲み干すと、なぜか先輩は不敵な笑みを浮かべた。


「なんですか…?」

「そのコーヒー、誰もあげるだなんて言ってないわよね?」

「そうですか……。分かりました、今から吐き出すので勘弁して下さい」

「じょ、冗談よ!出すのはやめなさい!」

「ですよねー」

「もう、私のことからかったでしょ!」


 頬を膨らませて怒りを表現する先輩をずっと眺めていたいという俺の気持ちなどそっちのけで、ピロリンとスマホの通知音が響いた。


「メール?見ないの?」


 先輩にそう言われ、しぶしぶポケットからスマホを出してメールを確認した。


「なんだこれ……」

「どうしたの?」

「変なメールが届いたんです」


 画面を少し先輩のほうに傾け、彼女はそれを覗き込むようにして見た。

 あっ、先輩いい匂いがするな……。


「『異世界へ転移しますか?』だなんて、何かのいたずらじゃないの?」

「そうですよねぇ」


 そのメールを下までスクロールすると、イエスとノーの選択肢が出てきた。

 ここはもちろんイエスだな!


「あっ!そんなことしたらダメじゃない」

「どうせ何も起こらないでしょ。では、今度こそ自分はお先に失礼しますよ」

「お疲れ様。おやすみなさーい」


 うしろでそう言う先輩へ手をひらひらと振ってオフィスを出てタクシーに乗った。


・ ・ ・


「ただいまー」


 とは言ってもアパートで一人暮らしをしている二十五歳の男に返事をくれる人は誰一人としていないがな。今日は疲れたし寝るか。

幸い明日は休日で、このままベッドに入ってしまっても困ることはない。おやすみ。

 ドシリとベッドに体を預け、眠りについた。



桜木さくらぎくん、起きて!」

「あぁ、先輩ですか……。キスしてくれたら起きますよー。朝から先輩が起こしてくれるなんて良い夢だー」

「もっ!変なこと言わずに起きなさい!」


ガバッと布団がめくられ、俺は現実に引き戻された。


「誰だよ!俺と先輩のイチャイチャタイムを邪魔するのは!せっかく良い夢見てたのによぉ!」

「……私よ」


 なぜか俺の目の前には、ピンクのパーカーを着ている先輩がいた。あ、部屋着も可愛い。

 周りを見回すと、そこは豪華な部屋だった。

綺麗なシャンデリアに上品な化粧台。

そして、このフカフカなベッド。

——俺って先輩とラブなホテルに来てたの?


「今日も先輩は美人だ…」

「寝ぼけてないで説明しなさい!ここはどこなの⁉︎」

「えっと…ラブホじゃないんですか?」

「違うわよ!私を尻軽女と思ってるの⁉︎」

「じゃあ、ここはどこなんですか?」

「こっちが訊きたいわよ!」


どうやら俺は、先輩と見知らぬ場所へ来ていたようだ。

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