2
そして一人残り然程時間も経っていない頃、店の入口が開き先輩が出て来た。
「あっ、先輩。今日もご馳走様でした」
「ん? あぁ。他の奴らは帰った?」
「はい。後日、言うとはいえ帰っちゃいました」
ふふっ、と気にしてない様子で先輩は笑った。
「別にいいって。お礼言われる為に奢ってる訳じゃないし。言われなくても」
「でもまぁ、奢ってもらってる訳ですしその場で言いたいじゃないですか」
「律儀だねぇ。まぁアイツらも最初はちゃーんとお礼言って帰ってたけど。これはこれでアタシは良い慣れだと思ってるけどね」
例えお礼を言わなくともこれに関しては全く気にしないというのは、これだけ先輩にお世話になってれば分かる。だからこうしてお礼を言うのは僕自身の性格の問題なのかもしれない。
「あっ、そうだ。じゃっ、奢ってあげた代わりにちょっと付き合ってもらおうかな」
そう言って先輩は首を傾げるようについて来てと言うと歩き出し――かと思うとすぐさま裏路地へと入って行った。
そこはついさっきまでみんなで呑んでいた居酒屋の裏。薄暗く照らされた裏口と傍には灰皿が置かれていた。先輩は居酒屋側の壁に凭れかかりポケットに手を入れる。
「えーっと……」
戸惑う僕を他所に先輩は何かを取り出し、口元へ運ぶと瞬く間に煙を吐き出した。
「禁煙したんじゃないんですか?」
「真っ最中。まずはニコチンとかないこれ吸ってるってわけ。最終的には完全に止めるつもりだけど」
それもそうだけど、僕は他にも気になる事はあった。
「でも、良いんですか? ここで吸っても」
「ここの店長、アタシの友達でちゃんと許可貰ってるから大丈夫」
これで一応、気になる事は全て解決された。
「それで? あれってどうだったわけ?」
「あれ?」
一服に付き合ってほしいというのに疑問を感じながらも向き合いながら反対側の壁へ凭れ掛かった僕へ、煙を横に吐き出した先輩はそう尋ねた。
でもいまいちピンと来てない僕は小首を傾げる。
「お見合い。やったでしょ?」
「あぁ。あれですか。――最初は凄かったですけど、思った以上に緊張とかも無くて楽しかったですよ。相手の女性も凄い素敵な人でしたし」
「おっ、好感触じゃん」
「でもまぁ……」
僕は申し訳なさの滲んだ微笑みを浮かべ首を少し傾げて見せた。
「まぁいいんじゃない。別に会社ぐるみでもなければあの人の一個人としての誘いみたいなやつだし。アンタら二人の気持ちが一番重要でしょ」
本部長からのだとか気にせず断ってもいい、先輩はそう言ってくれてるんだと思う。
「ありがとうございます」
他所へ煙を吐く先輩に僕はお礼を伝えた。
「そういえばいいとこでやるって聞いたけど、そこら辺はどうだったわけ?」
「いや、凄かったですよ。フレンチレストランで多分、僕はもう二度と行く機会とかないと思いますね。料理も美味しかったですし。って言ってもそんなに良く分かってないですけど」
時間が経ってもまだ新鮮な感動の籠った僕の声に対し、静かに笑う先輩からは共感を感じた。
「まぁアタシ達みたいなのは美味しい物食べに行くってより貴重な体験しに行くって感じだから」
「本当にそうかもしれないです。美味しかったって言うより、良い体験したなって方が強いですもん」
そして先輩が徐に煙草を口へ運び煙を吐く間、辺りには話題をリセットするような沈黙が一秒、二秒と流れてゆく。
会話が無い間、僕は自然とさっきまでの呑み会を思い出していた。
すると、ふと思った事があった。先輩ならどうなのか。思いはしたが、訊くかどうか迷いすぐには言わなかった。
でも最終的に僕は口を開く。
「先輩ってその相手と一緒に暮らして結構長いんですよね?」
「まぁそうだね」
「やっぱり心から愛してるんですか?」
「何? 急に?」
突然の質問に先輩は零した笑い交じりでそう訊き返してきた。
でも一拍の間を空けて、僕より先に答えを口にした。
「そりゃあ、そうでしょ。もう結婚してるって言っても過言じゃない訳だし」
言葉の後を追い、照れ隠しのように吐き出される煙。
だけど本当にそれを訊きたかった訳じゃない。分かり切ったそれはクッションのようなものだ。さっき思い浮かんだ疑問は頭で待機し――そして口から吐き出される。
「じゃあもし、その人と別れる事になったらどうしますか?」
「――それは結婚で言うとこの離婚じゃなくて、死別したらって事?」
やっぱりこんな事を訊くのはどうかと思い僕はハッキリとした言葉で返事が出来なかった。
でも先輩にはちゃんと伝わったらしい。深呼吸でもするようにゆっくりと咥えた煙草を吸い――煙を時間を掛けて吐き出す。
そして唸るような声を出し、答えを考えているようだった。僕は黙ってその答えを待つ。
「さぁね。でも立ち直るのにそれなりの時間は掛かるんじゃない。でも結局、想像と体験は違うから」
先輩は煙草指で「想像」と言いながら自分を指し、「体験」と言いながら僕を指した。
「アタシにも分からないってのが正直」
先輩は指を下ろすと軽く肩を竦めながらそう言った。
「それじゃあ、もし……」
そして答えを聞いた僕は、更に質問を続けた。
「もう一度その人に会えるとしたら?」
それから僕はあの場所で陽咲と会えている今の状況を説明した。もちろん、自分が実際にそうだって言った訳じゃなくて、それとなくでだ。
「そうなったら、やっぱりもっと会いに行きますよね? 毎日のように」
そう言って説明しながらいつの間にか下がっていた視線を上げた。
すると、待ち構えていたかのような先輩の目とピッタリ合った。先輩は何も言わず、考えている様子も表情も無い顔でじっと僕を見つめながら煙草をひと吸い。それを吐き出し再び視線が戻って来るまでの沈黙の中、僕は緊張感とも気まずさとも違う、変な空気感を感じていた。
「――何か買ったり、入ったりでもした?」
「えっ?」
「お金は? 払った?」
先輩が何を言わんとする事を理解するのに僅かだが時間を要してしまった。けど、気が付くと慌てながらそれを否定した。
「――あ、いや。違いますよ? 変な宗教とかそう言うんじゃなくて……ただの。小説ですから」
「本当に大丈夫なわけ?」
「はい。大丈夫です。変な勘違いさせてしまってすみません」
でも先輩は最後にほんの数秒だけ訝し気な視線を向けた。
「大丈夫ならいいけど」
そう言いながら微かに安堵の表情を浮かべる先輩。
「でも、もしそういう類の話をされて少しでも迷ったら――まずはアタシに相談しなさい」
「はい」
先輩は僕の返事を聞きながら軽く煙草を口にした。
「それで? 会いに行くか? だっけ?」
「行っちゃいますよね。もしそうなったら」
そうだね、何て僕はすぐに返事が返ってくるもんだと勝手に思っていた。
でも実際には先輩は二~三度、煙草を吹かすだけの時間を掛けて想像をしては考えてたようだ。
「んー。まぁ……。そう、かな。一回ぐらいはそうするかも。どんな風に別れたかにもよるけど、アンタの場合で考えてみたらやっぱりちゃんとした別れはしたいからね」
「一回だけですか? でも、そこに行けば会って話しが出来るんですよ? 時間の制限はありますけど、これまでみたいに話が出来る訳で」
その答えが意外で、僕は少しだけ前のめりになりなった。
「最初の内はいいかもしれない。もう二度と会って話す事も出来ないと思ってた人と会えて、話せるんだしさ。それだけで十分だって思うでしょ。でもきっと、慣れてきたらそれも変わるんじゃない。物足りなくなるっていうか、もっと欲しくなる。アタシは――」
先輩はそこで一度言葉を区切ると煙草をひと吸い――吐き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます