case15.久斗由真の罪〜happy birthday to me〜
私は私に価値を見出せないでいる。
価値とは自分ではなく他人がつけるものだと思っている。誰かに大切にされていたり、能力が高くて役立ったり。他者に認められてはじめて自身の価値を実感できるのではないか。
私は誰かの宝物になったこともないし、容姿や能力が高いわけでもない。そんな私がどうやって自分自身に価値を見出せることができるだろうか。
意識高い芸能人がウェブのコラムで書いていた。『人はみんな生きてるだけで価値があるんです』と。……本当に?そう思えたのなら随分と楽に生きていけるのだろうけど。お生憎様。私はそれをただの綺麗事だとしか思えない。
一日が無意味に過ぎていく。息をしているだけの日々。こんな毎日に価値があるというのなら、その価値を懇々と私に説いてほしい。ま、私は誰かの貴重な時間を割いてもらえるほど価値のある人間ではないのだけれど。
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今日も無意味に過ぎていく。生きるとはなにか。目的や理由もなくただ生を消費していることが"生きる"ということなら、やはりこんな人生は無意味だ。いつ終わってしまってもいいかもしれない。いや、それどころか感謝の心を持って終焉を受け入れよう。
金曜日の学校終わり。私はいつもの道を歩いていた。今日も今日とて今日が過ぎて、また明日が来るのだ。
ふと気配を感じ、ゆっくりと振り返る。あまりにも急に振り返れば、ただ後ろを歩いていただけであろう人に嫌な感情を抱かせてしまうかも、と思ったのだ。
ゆっくり振り返ったその先で、見たことのない男がなんとも言えない表情で立っていた。恐らく私を呼び止めようとしていた手が行き場をなくし、声を出そうとしていた半開きの口が「へへへ」と誤魔化すように不気味な音を出した。
ぞわり、とした寒気に体を撫でられる。しかもそれはさらりとしたものではなく、ねちゃあとした一度引っ付けば離れないような粘度の高い寒気だ。「なにか用ですか?」と眉を寄せた私の声は震えていた。
私が抱いた嫌悪感は確かに男に伝わったはずだ。だけれど、その男は相応しくない嬉々とした表情を浮かべ、「お、俺の家に来てほしくて」と吃りながらもはっきりと述べた。
意味が分からない。分からなさすぎて、何かのドッキリか?と訳もなく辺りを見回してしまった。
こいつはヤバイ奴だ。下手したら包丁とかで刺し殺されるかも、と関わってしまったことを後悔しつつ、極力この男を刺激しないように努める。
「ど、どうしてですか?」
「あ、あぁ。急にだと驚くよね、ご、ごめん……」
俺からすれば全然急なことではないんだけど。驚かせちゃったね、ごめん。それは私に向けられたものなのか。それにしては聞かせる気がないような小さな声量。男は照れたようにモジモジと指先を擦り合わせ、深く息を吸い込んだ。
「あ、あの。そ、その。じつは、」
意を決したように息を吸い込んだ割に、男はしどろもどろとなかなか核心に触れてこない。そんな態度に毒気を抜かれて「なんですか?」と続きを促せば、男はキラキラと瞳を輝かせ、おまけに頬を薔薇色に染め、「好きです」とありえない言葉を吐いたのだ。
それに驚いたのは私だ。好き……って、この私を?やはりドッキリを疑ったが、私はドッキリをかけられるほどの人間ではない。
そしてその男は、驚きに言葉を失い、硬直した私には気づかず、堰を切ったように私への愛をペラペラと語り始めた。その熱量たるや。というか、私はこの男を今ここで初めて認識した。ということは知り合いではない。それどころか顔見知りですらないのだ。なのに、どうしてこの男は興奮で息を切らすまで私の魅力を語ることができるのだろう。
知りたい。この男を知れば、私は自分の価値を見出し、いや、元々あった価値に気づけるのではないか。
その考えに至ったのが先か、それとも男の手を取ったのが先か。「続きは家で聞かせて」と言った私の手を、男は強く握り返した。
男は、いったいいつ建てられたんだ?と思うような古い木造の集合住宅に住んでいた。言っちゃ悪いが男の見た目とは合致していて、こんなとこに住んでそうだよね、と変に納得してしまった。
風雨で錆びついた外階段が、足を乗せる度にギシギシと不安を煽る音で私を歓迎している。男の部屋は2階の一番奥であった。「ど、どうぞ」と通された部屋は、外観よりもずっと綺麗に片付けられていてホッと胸を撫で下ろす。
「思ったより綺麗ですね」
と率直な感想を告げれば、男は「ゆ、由真ちゃんが来るから掃除したんだ」と目にかかるほどの長い前髪をくしゃりと触った。
私が部屋へ上がり、真ん中に置かれたテーブルの前に座れば、男は何を勘違いしたのか徐に私を抱きしめ「夢みたいだ」と譫言のように呟いた。
そして、まるで宝物に触れるかのような弱く優しい力加減で、私の髪や頬に指を滑らせた。その指が私の耳の縁をなぞり、顎先をくすぐる。ぽってりと厚ぼったい唇を触られて、あ、リップクリーム塗ってて良かった、とそんなことを考えた。
不思議と気持ち悪さは感じなかった。それどころか、心地良さすら感じて、まるでなんだか私が価値のある人間になったとさえ錯覚を起こした。
じっと、何も言わず、ただじっと男を見ていた。私に触れ、私を充分堪能した男は、やっとその視線に気づいたようだ。弾かれたみたいに一気に距離を取り、「ご、ごめん。つい、抑えきれなくて」と、今にも土下座しそうな勢いだ。
「いいですよ。もっと触っても。それ以上のことしても」
「……え、そ、それ以上のことって、」
「セックス。……したくないですか?」
「したい!したいよ!……だけど、」
男はもごもごと語尾を弱くし、遂には俯き、なにも発しなくなってしまった。それがなんだか面白くなくて「幻滅しましたか?」と小首を傾げれば、男からは全力の否定が返ってきた。では、なぜ?どうして私を抱いてくれないの。
「壊してしまいそうで、」
「え?こわす?」
「う、うん。由真ちゃんは俺の宝物だから。乱暴にしたくないんだ」
だけど、優しくできる自信がない。と、彼は肩を落とした。その姿に胸が苦しくなって、身体が熱くなった。
「大丈夫だよ。少しぐらい乱暴にされても、私は壊れない」
私はそんなに弱くないよ、と、彼を抱きしめた。先ほど乱暴にしたくない、と言っていた彼は私を強く抱きしめ返した。本音を言えば少し苦しかったけれど、私はそれぐらいのことで壊れるほど脆くない。私も強く抱きしめ返した。
彼は譫言のように「好きだ」と「かわいい」を繰り返し、私の中で果てた。終われば「夢のようだ」と自分の頬をつねる。今どきそんなことをする人がいるのか、と声を出して笑った私に、彼はまた「好きだ」と告げた。
「帰らせない。このまま、由真ちゃんは俺とここで暮らそう」
日付が変わろうかという頃。スマホを手にした私の手首を掴んだまま、彼は言い切った。どうやら彼は私のストーカーらしく、私を手に入れるためなら犯罪にも手を染めるらしかった。
「ねぇ、私はそこまでして求めてもらえるような価値のある人間じゃないよ?」
散らばった制服を集めながら彼を諭すような抑揚のない声で言えば、彼はそれを「ちがう!」と大きな声で否定した。自信に満ちていながら、悲痛さを多分に含む声音であった。どうしてこの人が傷ついた顔をするのだろう。私はただ彼の顔を見つめ、続きを待った。
「由真ちゃんは、俺の生きる目的なんだ」
「由真ちゃんがいないなら、俺の人生は無意味だ」
「由真ちゃんは、俺の人生なんだよ」
私は私に価値を見出せないでいる。
だけどこの人はそんな私を自分の生きる目的だと、人生だと言う。
そうか、私はこの人を生かすために生きていけばいいのか。
この世界に、自分の価値を、存在意義を、生きる目的を、理解している人はいったいどれだけいるのだろう。
もしかしたらそんな人いなくって、もしかしたらそもそもそんなものないのかもしれない。
だけど私は見つけたのだ。自分の価値を、存在意義を、生きる目的を。それはどれほどの幸福だろう。
私の人生はたった今始まったばかりだ。
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