第2話 エロの中に愛があると言っていた

 恭子の真剣な眼差しに気付く。しかし、どうしても隼人はそれを受け止められそうにはなかった。そもそも初対面である上に、自分がオークというあだ名を付けられていることを知りながらも好意を寄せられるなんてことはあり得ないと考えていた。だからこそ、この告白は好意というよりも悪意によるものなのではないかと疑ってしまう。

 彼の考えていることに気付くが、それでも恭子の中には引き下がろうという思考は全く無いようだ。


「——隼人くん、私はあなたのことが大好きよ。あなたが疑うのをやめるまで、何度だって言うわ」

「…理由を聞いても良いですか?急にそんなことを言われたら誰だって疑いますよ」

「あら、案外欲しがりさんなのね」

「誤魔化さないでください」

「……あなたが私の王子様だった。なんてどうかしら?それも物語の中のような、ね」

「やっぱり信じられませんよ」


 隼人はため息をついて目を逸らす。彼が恭子の言うことを信用していないというのは一目瞭然で、少し彼女のことを警戒しているようにも見える。

 

「本当なのだけれどもね…」


 隼人にまでは届かない程度の小さな声で呟き、彼との距離を詰める。当然隼人は一歩ずつ後退りするが、とうとう壁際にまで追いやられてしまった。ほんのりと漂う甘い匂いのせいか、胸の鼓動が余計に速くなる。恭子は真っ直ぐに自分を見詰めており、隼人は目を泳がせた。

(ど…どうしろって言うんだ…っ!)

 戸惑う彼を余所よそにし、恭子は自分の制服のボタンに優しく手を掛ける。


「……ところで、ブレザーは脱いだ方が良いのかしら」

「暑いなら…そうすれば良いんじゃないですかね」

「そうじゃないわ。ただ…あなたが先から私の胸にばかり熱い視線を向けてくれるものだから、サービスしてあげるべきなのかと思って」


 そう言いながら、彼女はひとつずつボタンを外してゆく。どうしても隼人はその仕草から目を逸せなくなってしまう。

 恭子の方が隼人よりも少し背が高い分、軽く視線を下すだけで容易に彼女の胸を見ることが出来る。

 ひとつ、またひとつとボタンを外してブレザーを脱ぐと、より一層身体のラインが分かるようになる。細く引き締まった腰のせいか、胸の起伏が強調されているようにも感じられる。

 隼人がごくりと喉を鳴らしてそれを見詰めていると、恭子はそれまでの行動とは一変して突然自分の胸を腕で隠した。


「……っ、そ、そんなに見詰めるのは反則よ…っ!」

「すいません、つい…」

「……そういうのは、これからもっとお互いのことを知ってから…」


 隼人は息を呑んだ。

(お、お互いのことを知ってからなら良いんですか——⁉︎)


「…とりあえず今日の活動はお終いよ。もし入部してくれるのなら、ちゃんと入部届持って来てちょうだい」

「入部します‼︎」


 鞄の中からしわまみれの入部届を取り出し、恭子に差し出す。この判断に至るまで、一秒は掛からなかったという。

 どうやら胸の誘惑に耐え切れなかったようだが、突然の手のひら返しに彼女は戸惑いの表情を見せつつそれを受け取った。


「ん、あぁ、そう…、ちゃんと受け取ったわ」


 目の前では、瞳を輝かせた隼人が小さくガッツポーズをしており、思わずため息を漏らしてしまう。しかし、呆れてしまう程に単純な人物ではあったが、入部を決意してくれたようなのでひとまず良しとすることにした。


 ・ ・ ・ ・


「お兄ちゃんおかえりー。今日はいつもより遅かったねー」

「ただいま。今日はちょっといろいろあってな…」


 帰宅した隼人を出迎えたのは、ひとつ歳下の妹である美咲だ。キッチンから漂ってくる芳ばしい香りや、彼女がエプロンをしているところから察するに、ちょうど今夕飯を作っていたところなのだろう。

 相変わらず、本人のお気に入りだというカチューシャで前髪を上げており、幼さの残る笑みを隼人に見せた。


「そうなんだ。そろそろご飯出来るから、話はその時に聞かせてね」

「はいはい…」

「はいは一回なんだぞー」

「はーい」

「よろしいっ」


 こんな会話もいつも通りのことだ。高校一年生のはやとと中学三年生のみさき。今どき珍しいのかもしれないが、二人はかなり仲が良いと言えるだろう。その為か、美咲はいつも隼人の心配ばかりしている。中学生の頃は友人の多かった隼人が、突然現在のような生活を送るようになってしまったのだから当然のことなのかもしれないが。

 そんな彼が今日は珍しく帰って来るのが遅かったとなると、美咲も多少は心の奥に嬉しさを感じていることだろう。

 隼人が着替えを終えてリビングへとやって来る頃には、既にテーブルの上には食器が並べられていた。


「お兄ちゃん遅いよー。早くしないと冷めちゃうよー」


 サラダにコーンスープ、そしてカレー。この組み合わせは美咲の好物であり、のろのろとやって来た隼人を急かす。

 彼が席について食事を始めてほんの少しすると、美咲は先程していた話を持ち出した。


「それで、いろいろあったって何してたの?」

「ああ、そう言えば今日部活の見学に行ってたんだ。文芸部なんだが、特に大した活動はして無さそうだから結局入部することにしたよ」

「ふーん、そうなんだ」

「おいおい…聞いておいてなんだその反応は…」

「なんとなく予想は出来てたし、文芸部なら何も心配無いでしょ。何年お兄ちゃんの妹してると思ってるのさ。大丈夫、お兄ちゃんならすぐ覇権取れるよ」

「いや…別に俺はそんな野望を持って入部したわけでは…」


 期待していた反応とは異なり、なんだか悲しくなってしまう。


「——ていうかさ、今日お兄ちゃんの部屋を掃除してたんだけど、またえっちな小説増やしたでしょ」

「ぐふ…っ!」


 食べていたカレーを吹き出しそうになったが、なんとか堪える。恐る恐る顔を上げてみると、美咲がまるで汚物を見るかのような目を向けてきているではないか。ここで動揺してしまえば相手の言ったことを認めたも同然だ。隼人はコップの中の茶を飲み干して冷静さを取り戻す。

 そしてゆっくりとスプーンに手を伸ばし、カレーを口に運ぶ。間にはコーンスープを挟み、それで口に残った辛さを流し込む。そしてまたカレーを頬張り、たまにサラダにも手を出す。


「……うん、美味い」

「そんなことしても誤魔化せないから」

「…ふっ、流石は俺の妹だな…」

(さて、どう説明するべきなのか…。ここで選択を失敗すると妹ルートは恐らくバッドエンドを迎えることになるぞ…。次回!多玖隼人、死す——!)


 優しくスプーンを置き、深呼吸をする。カレーの辛さのせいなのだろうか、それとも美咲からの無言の重圧のせいなのだろうか、額から汗が止まらなくなる。静寂のせいか、自分の胸の鼓動する音が聞こえてくるような気がする。

 時折り視線を上げて確認するが、美咲は相変わらずこちらを睨みつけている。


「——理解してもらえるとは思わないが、気付いたら増えていたんだ。正直俺だって混乱しているさ。棚に二冊の本を並べていたら、次の日の朝には間にもう一冊増えていたんだからな…。あいつら、生きてるんだよ。それで、俺たちが寝ている間に営んでるんだよ…」


 すかさず美咲の方をチラ見すると、先程までのものとは比較にならないような鋭い目付きを向けているではないか。


「そういうの良いから。というか、中三の妹に営んでるとか言わないで、バカお兄ちゃん」

「……はい、すみません。本当は俺が自分で望んで買って来ました。けどあれは後学の為であって…。そう、エロとはただの欲ではなく、愛情のひとつなんだ。決してやましい気持ちで読んでいるのではなく、あくまでも愛を学ぶ為に買っているだけなんだ。とある哲学者(俺の友人)がエロの中に愛があると言っていたように、俺もその可能性にかけたかったんだよ…」

「はぁ…?」


 案の定、美咲はあまり理解出来ていない様子で、普段は真ん丸な瞳をこれでもかという程に鋭く細め、むしろこいつは何を言っているんだというような冷たい軽蔑の眼差しを隼人に向けている。


「まあ、お子ちゃまでまだまだ未熟な美咲には分からないだろうが…」

「う〜ん、バカにされているのは分かったけど、なんだかいまいち悔しいとは思えないや。……っていうか、お兄ちゃんに友達いたんだね」

「———悔じい゛…っ゛‼︎」


 額だけではなく、目からも汗がほろりと流れた。

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