幕間1 コロッケ味のお化け

1 夕暮れ時の巨人

 あの日、おれは部活帰りの疲れ果てた体で、よろよろと自転車を転がしていた。


 腹にあったはずの昼飯は、誰かに手品でもかけられたのか消えてしまっていた。

 かすんだ目で駅前の通りを歩いていると、ふと、ゾンビ映画に出てくる生ける屍の皆さまはこんな気持ちで、新鮮な肉を求めてさまよっているのかもしれない、などと思った。


 そんな状態だったからだろう。香ばしい匂いを嗅ぎつけると、おれの理性は消し飛んだ。


 わずか一分後、先週花火を買ったことで薄くなっていた財布は、更に半分ほど薄くなり、代わりに揚げたてのコロッケ二つが手元に残った。

 うむ、腹から昼飯が消えるという手品に続き、追い手品をかけられたようだ……アブラカタブラ!


 自転車を転がしながら、一つ目にバリッとかぶり付く。

 ……そうそう「バリッと」ね。


 おれが今までに口にしたことのある全てのコロッケの中で、あの肉屋のコロッケが一番うまいと自信を持って言い切れる。

 コロッケ界の金メダル。揚げ物界の横綱、三ツ星五つ星。……五つ星は食いモンじゃなかったっけ。まあ、どっちでもいいや。つまり、最高の中の最高ってこと!


 おれは感謝を表現しようと振り返る。

 すると、影は夕陽に伸びきっていて、コロッケの旨さに驚愕した巨人が棒立ちになっているように見えた。ガリヴァーもビックリ。異国の食べ物、バンザイ!


 実際にはガリヴァーの書かれた国の方が本場なような気もするな。

 こんなとき、茶介ちゃすけなら答えをすぐさまスマホで調べそうだし、ノンはどうでもいいなんて言いそうだし、ながめだったら「コロッケの出身地ってぇ、どこだか知ってるぅ?」なんてねっとりと口にし、食いついてきた誰かを徹底的にからかいそうだな。


 ……その対象はたぶん、おれかノンなんだろうけど。


 そしておれはというと、整合性を無視することにした。どうせすぐに忘れる話だ。影がそれっぽく見えるように適当に敬礼をして、思い付きの物語の幕を閉じよう……などと思い、コロッケを持った右手を振り上げた。


 そのとき、ふと妙な気持ちになった。


 なぜそう思ったのか、正直なところは良くわからない。

 運動で疲れた体を急に動かしたから変な筋が伸びちまったか? 腕をぷらぷらと振ってみたが、どうやら違うようだ。


 次に、影に違和感があったのかと思い、試しに腕を下ろしてみてもそれは消えなかった。影から視線を上げてみれば、いくつかの店が閉まり、明かりの灯りはじめた道が広がっているだけ。

 それでも、口の中にある旨み成分を消し去ってしまう程度の心境にはなったらしく、巨人と一緒に首をかしげた。


 ガリヴァーが訪れた国では、卵を頭からむくかお尻からむくか、なんて部外者のおれから見れば些細な理由で戦争をしていたらしい。


 おれが引っ掛かっているのも、きっとそんな些細な問題なのかもしれない。けれど、一度頭に引っ掛かってしまったからには、考えずにはいられなかった。

 なるほど、これは確かに世界から戦争が無くならないわけだ。


 結局、違和感の正体が掴めないまま、おれはコロッケを片手に自転車を転がし始めた。そうして角を一つ二つ曲がり、夕暮れの巨人が姿を消して、真上の街灯に照らされた小人が現れるころ、おれはそいつに出くわした。


 そいつはきょろきょろしながら、生垣の脇をテテテと駆けていた。

 スカートがひらり、ひらりと揺れていて、その下に穿いたジャージが見え隠れしている。


「おーい、何急いでんだー?」


 声を掛けると、そいつはビクッと大きく反応し、ちらり、とこちらを振り向く。アメ色の顔がおれを捉えると、ぱっと花開くような笑顔が見えた。


「あっ、然人ぜんとくん!」


 皆さまお察しの通り。深く被ったフードの隙間から、金色の瞳が見える。そう、近野こんの里咲りさちゃんである。

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