アリス -12

 何故、こうなったのだろう。

 何が、間違いだったのだろう。

 

 いや、そもそも間違いだらけだった。

 あの子を本当に思うなら、復讐を忘れさせるように処置をすればそれでよかったはずなのに。私はそれをしなかった。記憶を弄る処置はまだ未完成の部分が多すぎて、せっかくヒトと同じ心が宿ったはずのあの子から、またそれを奪ってしまうことになる危険性が高い。それに、中途半端な処置では記憶が戻ってしまう可能性があり、記憶がフラッシュバックした時、それこそ廃人になる危険性がある。そのうえ、その場で倒れて寝たきりになるならまだいいが、最悪あの身体で制限リミッター解除されてしまったら、いったいどれだけの被害が出るか見当もつかない。

 だから、記憶を操作することに踏み切れなかった。

 

 でも、それでもきっと今こうして傭兵として戦わせてしまったことは、大きく間違いだったのだと、痛恨の念に苛まれながら悔やんでいる。

 

 どうして、他の道を示せなかったんだろう。

 

「りょうへい、亮平っ!……はっああ、ぐぅっ!」


 いつの間にかひっつめにしていた髪がほどけ、途中何度か転んだせいであちこちに汚れがついていることに気もかけず、緊急治療室の扉の前で悲嘆に暮れる。

 だが、緊急治療室が空いていたのは本当に幸運だった……。この時の私は心底そう思っていた。

 試合前、亮平を、あの悪夢と言える機動兵器を生み出した奴らに亮平が捕捉されてしまっていると感づいたはずなのに、亮平が、あの子が死んでしまうかもしれない恐怖に襲われ、まともな思考ができないでいた。

 

「おねがい……これ以上、必要なら全部をあの子に、りょうちゃんに全部明かして、私がいなくなるから、だから、これ以上……」


 あの子から奪わないで欲しい。

 

 誰かが救われる様に祈ったのはいったいいつぶりだろう。ひたすらに私は致命傷を負った亮平、りょうちゃんと一緒に帰れるように、名前も解らない誰かに祈り続ける。

 どれくらい経ったか判らなかった。時計が無いうえに、時刻を確認する気力も無かったからだ。

 ただただ、ベンチに浅く腰かけ、壁に背中を投げ出して虚空に視線を霧散させる。頭が痛かった。転んで擦りむいたであろうところや、履きなれない靴のせいで締め付けられた爪先がじんじんと私だけは生きている、と訴えかけてくる。

 

 無駄に永く生きているだけにしておけばよかったのに。

 中途半端な親心を出したせいで、亮平は今死の淵に立たされているのだ。

 ただ自分の中にある昏い部分から目を逸らしたくて、あの生体機械に「自分がヒトだ」と思えるよう、普通の市民として暮らせるよう自己満足の施しをしたのだ。

 

 何度も後悔と自責の念で自分の心を切りつける。それでも全く気が晴れず、永遠とも言える時間が流れている錯覚を持ってしまう。

 もしかしたら……とさらに不安に駆られそうになったその時、緊急治療室の扉が開く。

 

「……彼のご家族で?」


 医師と目が合ったと同時に投げられた質問は、ただの音でしか聞こえず、それが意味をなしている言葉だとすぐに認識できなかった。

 

「失礼ですが、貴女は?」


 もう一度誰何され、はっと我に返り、亮平との続柄を説明した。

 

「あの傭兵、杉屋亮平のマネージャーだ。アリス=R=ルミナリスだ。」

「マネージャーさんでしたか。……一先ず、一命は取り留めましたし、あとは治療ポッドで回復が終わるまで待つだけです。ポッドにはあの傷だと6日、というところでしょう。大事を取って一週間、と言いたいところです……」


 そこまでを聞いた私は医師の言葉を遮る形で伝える。

 

「一週間で構いません。どうか、あの子をお願いします。」


 亮平が助かると聞いて安堵してしまい、張り詰めたものが途切れてしまったため、口調が戻ってしまった。口調が変わったことに一瞬驚いた様子を医師はみせたが、すぐに切り替えて、心得ました、と言い残して去っていった。

 

 緊急治療室の扉の前は私だけになった。誰もいなくなったことで緊張が切れ、力なくそばにあるベンチに腰かける。……もう少しすればポッドのガラス越しだが、りょうちゃんに会える。そう思ったとき、このままでは私も亮平も破綻することになるのではと不安が吹き出す。

 亮平りょうちゃんと再会した時と同じく、厳しく接する私で居なくては。気持ちを引き締めて、もうあの連中に捕捉されたであろう今をどう打開していくかを考えていく。このままでは遠くないうちに亮平は元に戻されるだろう。あの子が生まれる前の形態・・に。

 医師が去っていったあとの数分は、何時間とも思えるくらい長く感じた。研究所から脱走して以来、ここまで動揺することは無かったと思う。命を繋ぎ、医療ポッドによる治療を受けられている以上、元通りの生活に戻れるはずだ。

 元通り、とは言っても心が折れていないかが気がかりではある。

 

 いや、私としてはもう、復讐を諦めてくれる方が嬉しいとさえ思っている。すでに亮平りょうちゃんの手は血で汚れてしまったが、その罪を私も背負えばいい。そもそもが私が亮平を止めなかったことがここまでになった原因なのだ。

 私の罪業が重くなったところで、ことさら騒ぐことではない。メンタル面のケアについてはよく対策せねばならない。亮平が大掛かりな治療を受けてしまった以上、連中が嗅ぎ付けてくることは予想できる。いつ、というのは予測できないが、おそらくそれほどしないうちにやってくるだろう。

 もしかしたら、りょうちゃん……亮平が完全に精神崩壊するまで待っていたのかもしれないが。一定水準まで"育った"ところで拉致し、計画を進める。それは阻止しなければならない。それが、コアユニットとして破棄されるはずだったモノを、杉屋亮平という一人の人間として生かしてしまった私と杉屋公正の義務なのだ。

 亮平の人格が崩壊しないように、そして二度と負けないように今度こそ育てる。

 

 そう決意したところで、治療室の扉が開き、ストレッチャーが顔をのぞかせた。

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