謝らなければならない





「アレンが死んだこと、この国に何が起きたか……」


 続けられた言葉に、セラは驚きに襲われる。

 口から「どうして」という声が零れた。

 アレンが死んだ。そんな言葉が、なぜエリオスの口から出てくるのか。


「見たから」


 エリオスは静かな声で答えた。


「見たはず、かな。今、アレンは生きている」


 その通り。アレンは生きている。時が戻り、事が起こる前だからだ。


「セラ、教えてくれるか。……セラも、覚えているのか?」


 「も」という言い方が、全てを表していた。

 セラはやっと、一度、頷いた。さっきまでの重圧から解放された心地になった。


 一方、セラの頷きを受けたエリオスの表情が変化する。

 何と表現すればいいのか分からなかった。一瞬、泣きそうに見えて、それは有耶無耶になる。そもそもエリオスが泣いたところなんてセラは見たことがない。


「いつから」


 いつから戻っていたのかと聞かれた。

 セラが答えると、エリオスの橙の目が揺れる。


「……だから、あのとき泣いていたのか?」


 セラの顔を上げさせたきり添えられたままだった手が、優しく、何かを確かめるように頬を撫でる。


「気がつくべきだった。……セラが泣くことなんて滅多にないんだから」


 彼は、セラを引き寄せた。両腕を背中に回し、抱き締める。

 温かさが染み渡るようで、とても安心した。昔からそうだった。彼は落ち着く存在だ。

 セラの目からは熱い雫が生まれ、伝った。

 手から短剣が滑り落ち、音を立てて地面に落ちた。


「……エリオス、ごめんなさい」


 両手で、エリオスの服を握った。

 その胸に頭を押し付けて謝った。


「わたし、陛下も、国も、守れなかった」


 背中にある手がピクリと動いた。

 セラは、また一度謝った。

 かつてエリオスが死んでから、セラは何も、どうにも出来なかった。陛下は討たれ、国は完全に敵の手に落ちた。

 何一つ守れなかった。


「セラ」


 背中を手が撫でた。ゆっくりと、宥めるように撫でる。


「泣かないでくれ」

「泣いて、ない」


 そう言いながらも、鼻をすすってしまった。

 涙は止まってくれない。

 エリオスに謝ることが出来るとは思っていなかった。エリオスに合わせる顔がなかった。

 もう、セラしかいなかったのに、陛下さえ守れなくてごめんなさい。あの人だけはどうしても守らなければならなかった。


「セラが謝らなくていい」


 そんなはずはない。強く、より強く、拳を握り締める。

 それを感じ取ったようなタイミングで、少し体が離れた。

 セラが固く握る手に大きな手が触れて、優しく解いていく。解いた手を、エリオスの手が包む。


「セラ、謝るのは私の方だ」

「……エリオスが、何に、謝るの」

「セラが謝ってしまうことに」


 見上げたエリオスは、悲しそうな顔をしていた。


「先に死んでしまってごめん。一人にしてごめんな。セラ一人に、全部背負わせてしまったな」


 それはエリオスのせいじゃない。

 違う、と、セラは言って首を横に振る。


「エリオスにまた会えて、良かった」


 また会えて、話せて。温かさを感じることができることは、この上なく嬉しいことだった。

 また会えるなんて夢にも思わなかった。想像も出来なかった。あの日失い、死は永遠の別れだった。

 だからこそ戻ってきた日、泣いてしまった。失った人がいた。


 ──今度は失わない未来が作れるのではと、思った。


「そうだな……。私も、セラとまた会えて良かった」


 エリオスは再び、セラを軽く抱擁した。

 その腕で包み、慈しむ声で「セラ、私の大切なセラ」と囁いた。

 セラは、その全てを噛みしめた。



 涙がよくやく止まり、抱擁を解いたあと、セラは改めてエリオスを見上げた。

 セラを覗き込み、涙が止まったことを確かめていたエリオスは、首を傾げる。


「エリオスは、いつ、自覚したの」


 戻ってきた、と。

 エリオスは少し考える様子になり、答えた。彼が口にしたのは、セラが戻ってきていた日の、さらに十日ほど前だった。


「そんなに前から……?」

「うん。最初はとても驚いたんだが、どうも夢には思えなかったからな。セラは、混乱しなかったか?」

「わたしは──」


 混乱したけれど、記憶を肯定してくれる猫がいた。

 と、そこで猫のことを思い出して、下を探す。

 猫は座って、目だけでこちらを見上げていた。


『何だ、終わったか?』

「ギル、ごめん、忘れてた」

『忘れてたって正直すぎるだろ。……ま、俺も途中まで驚いてたからいいさ』


 猫は、視線を動かして、エリオスの方を見た。


『色々言いてえことあるんだが、とりあえずここで話すのは止めだ。気づかれる可能性もある』


 猫が異論はあるか、という風に見てきたので、セラはエリオスの方を窺ってみる。

 エリオスは猫をじっと見て、セラの視線に気がついたように視線を上げた。


「私も言いたいこと、と言うか、聞きたいことがあるんだが」


 この状況だ。内容は何となく予想できた。


「猫が喋っているよな?」


 エリオスの気持ちはよく分かる。






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