第1話 旅の神

 街外れまで来た。これから先は、延々と野原と踏み固められた道が続いている。街の出入口とも言えるこの場所には、、旅人が金を落としていくことを期待した店舗が並んでいる。観光目当ての客相手ではなく、宿や食事を求めて通り過ぎる旅人用の店だ。


「へえ、街が終わる境目なんて初めて見た」


 城戸光来は物珍しそうに周囲を見回した。


「初めてって……キーラが自分の街を出る時はどうだったの?」


 シオン・レイアーが不思議そうに首を傾げた。

 光来は思わず動きを止めてしまった。余計なことを口にしたのを後悔した。隣ではリム・フォスターが軽く睨んでいる。


「お、俺の街、と言うより村は、中心部から徐々に民家や店舗が疎らになっていくんだ。こんなにはっきりと境界線を引いたような街の端っこなんてないよ」

「ふうん。変わった村ね。ニホンだっけ? お祖父ちゃんにも訊いたけど、そんな村知らないって言ってた」

「遠いところにあるからね。もう、辺境っていうくらい遠いところに」

「そう……」


 光来は、シオンが深く追及してこないことに密かに胸を撫で下ろした。

 城戸光来は、ある日突然、この世界に迷い込んでしまった少年だ。こっちではキーラ・キッドと名乗っている。

 いきなり異世界に放り込まれた光来は、運命と呼ぶべき力に流され、リムと行動を共にすることになった。リムは、光来の異質さに、『暁に沈んだ街』やグニーエ・ハルト失踪と通じるなにかを感じ取り、一緒に真実に迫る旅をすることを持ち掛けたのだ。光来の相棒であり、この世界で光来の秘密を知っているただ一人の人物である。

 リムはかつて『暁に沈んだ街』に巻き込まれ、母親を失った。そして、その事件のカギを握るであろう人物、グニーエ・ハルトに父親まで殺害されている。真実はまだはっきりとはしていないが、リムはそう思い込んでいる。

 しばらく立ち止まっていたリムが、光来とシオンに顔を向けた。


「ここで、馬車を調達するから」


 リムの言葉に、光来は改めて周囲を見た。なるほど、馬車の貸出しをする店が何軒も連なっている。店舗だけではない。バス停のように、簡素な屋根を設けた待合所も見掛けられた。


「でん……汽車は使わないのか?」


 この世界には、まだ電車は存在せず、蒸気を原動力とする汽車が走っている。最初に乗った汽車が危険に満ちたものだったので、光来はのんびりと汽車旅ができることを期待して訊いた。


「残念だけど、これから向かうディビドには鉄道が通ってないの。馬車が最速の移動手段だわ」


 そう言って、リムは歩き出した。光来とシオンも後に続く。


「それにしても、貸馬車業者が多いな。それに、やたら厳つい連中が多い気がする」

「旅は命がけだから」


 光来の疑問にシオンが答える。しかし、その意味が今ひとつ分からなかった。光来が飲み込めていないと察したシオンは、説明を続けた。


「数日掛かる長旅になれば、野営をするケースが出てくる。目的地まで運良く街があれば宿屋に泊まれるけど、ひたすら未開拓の地を進む場合もあるから」

「今回の俺たちがそうじゃないか?」

「そう。だから、野営しても安心して休めるように、用心棒を買って出る連中がいるの。そこいらに立っているのはそういった人たちよ」

「へえ……」

「キーラの村って、本当に遠いところにあるみたいね。今まで一人旅で無事だったなんて、幸運に恵まれている」


 この世界の住人なら当たり前のことにいちいち珍しがる。光来の態度に不自然なものを感じたのか、シオンがじっと見つめてくる。


「い、言っただろ? 辺境の村だって。それに、幸運なんかじゃないよ。ひどい目には散々遭っている」


 言いながらも、いつまでごまかし切れるか不安になるのだった。


「辻馬車を乗り継いで行くよりも、貸し馬車の方がいいわね」


 二人の間に割って入るように、リムが提案した。

 光来には辻馬車と貸し馬車の違いが分からなかったが、また疑問を口にするとシオンに勘繰られると思い、黙っていた。


「どの店にする?」


 シオンは二人に問い掛けたが、光来は判断基準など持ち合わせていなかったので、リムに任せることにした。


「そうね……」


 リムは何軒か物色してから「あそこにしましょう」と、店先に木で彫られた人形がぶら下がっている店を指差した。看板には『アウザ』と刻まれている。


「根拠は?」


 シオンの問いに、リムはにっこりと微笑んだ。


「ほら、軒下に人形がぶら下がってるでしょ。あれは旅の神『アウザ』を模したものよ。旅人のために験を担ぐなんて、配慮が行き届いてるじゃない」

「でも、アウザは……」


 シオンがなにか言い掛けたが、リムには聞こえなかったようだ。


「交渉するから、シオンも一緒に来て。キーラはそこら辺にいなさい」


 いきなり省かれてしまい、光来は焦った。


「なんで? 俺だけ?」

「あなたは賞金首に手配されてるでしょ」

「それはリムだって同じだろ?」

「ワタシは男装してないから大丈夫。それに」

「それに?」

「チャーミングな女の子が二人で行けば、値引き交渉しやすいでしょ」


 リムはウインクして目当ての店に向かったが、片目を瞑る仕草が不器用で、やり慣れていないのは一目瞭然だった。

 付いていくシオンも無愛想だし、あれでチャーミングな女の子の値引きなんかできるのか、不安に思う光来だった。



 待っている間、アウザの話を反芻し、引っ掛かりを覚えていた。

 さっき、彼女は旅の神と言った。この世界にも神の概念があるということだ。では、『彼の者』とはいったいなんなんだ? 人々に魔法という奇跡的な力を与え、神とは一線を画する者。

 思えば、不気味な存在である。

 そんなことを考えていたら、小さい女の子が近づいてきた。女の子は光来の前に立ち、顔を上げて、じっと光来を見つめた。

「ん?」と笑顔を向けると、女の子は光来の目を指差した。


「お兄ちゃんが朝を連れてきたの?」


 いきなり訳の分からない質問を投げ掛けられた。しかし、そこは年端もいかない子供のことと思い、愛想良くした。


「なんで? なんでそう思ったの?」


 少女はなおも光来を指差している。


「だって、お兄ちゃんのお目々、真っ黒なんだもん。星空が染み込んだみたいにキレイ。お兄ちゃんが夜を吸い込んでくれたんじゃないの?」


 目が綺麗。女の子ならよろこびそうな台詞だが、無垢な言葉は、なにか硬いものを押し付けられたように胸を突いた。トートゥのせいで、黒という色に嫌悪感を抱き始めていたところだ。


「そうかな? 綺麗かな?」

「うん。とってもキレイ」

「ありがとう」


 女の子の頭を撫でようと手を伸ばそうとした時、人混みから「ハッシュ」と叫ぶ声がした。

女の子は振り向いて「ママ」と叫んだ。

 女の子の母親らしき女性が、こっちに来なさいとゼスチャーしている。

 ハッシュと呼ばれた女の子は、手を振りながら「お兄ちゃん、またね」と言い残し、女性のところに駆けていった。

 ポテポテとぎこちなく走る様は、仔犬を連想させた。

 母親はしゃがんで女の子を迎えた。女の子は母親に抱きつき、耳元で何かを話した。

 自分とのやり取りを話しているのかなと見ていると、案の定、母親がお辞儀をしたので、光来も会釈を返した。

 母親に手を引かれて歩き出した女の子は、もう一度手を振ってにっこりと笑った。

 光来も手を振って、二人が人混みに紛れるのを見送った。

 母さん、どうしてるかな……。

 胸になんとも言えない寂しさが込み上げてきた。こっちの世界に来て、何日経った? 一週間は経っていないと思う。五日か六日か……。

 日常生活とは言えない数日だったので、今ひとつ日時の経過がぴんとこない。

 一ヶ月や一年が経過したわけではないが、息子が数日、しかも連絡もなく家に帰らなければ、親は心配するだろう。大事になってなければいいのだが……。

 なんとか、連絡だけでも取る方法はないのだろうか。

 光来が物思いに耽っていると、どこからか大声が聞こえてきた。しかも、今のはリムの声だ。

驚いて二人が入った店を覗くと、リムがなにやら喚いていた。

 銃弾の如く放たれる言葉を聞くと、提示された値段に納得がいかないらしいのが分かった。隣に立っているシオンは、無言だが明らかに抗議の圧力を掛けている。

 あれが、チャーミングな少女の交渉なのだろうか。思わず店先まで近づいてしまった。

 リムの罵りの豪雨を忍の一文字で受け止めていた店員と目が合った。頭を下げて、心の中で「すみません」と謝っておく。

 その店員は苦笑を返したが、次の瞬間、目が見開かれた。そして、リムに向き直った。


「分かりました。降参します。お嬢さんの言い値で結構です」

「本当?」


 リムの目がぱっと輝いた。


「但し、条件を付けさせてください」


 続く店員の発言に、リムは怪訝な表情を作る。店員は慌てて両手を振った。


「いえいえ、大したことじゃないんです。お客さん、ディビドまで行くんですよね? なら丁度いい。私たちも行くつもりだったんですよ。店から一人二人、同乗させてもらいませんか? もちろん、御者も務めます」


 意外な申し出に、リムは虛を突かれ眉を顰めた。


「こっちの提示金額で良くて、御者まで付けるって、話ができ過ぎてるわね」

「いや、 ディビドまで荷物を受け取りに行かなくちゃならなかったんです。運賃は往復分貰えるんですが、どうせならお客さんに利用してもらって、もうちょっと稼がせてもらおうって腹で。へへ……」

「私たちはついでに運ぶってわけね」

「ついでだなんて。もちろん、快適な旅になるよう、最善を尽くさせてもらいます」


 店員はこれ以上ないくらい愛想を振りまいている。今にも揉み手をしそうな程だ。

 リムは「どうする?」とシオンに目を向けた。


「悪い条件じゃないわね。御者付きなら、三人揃って休めるし」

「うーん……」


 リムは腕を組んで思案した後、かっと目を開いた。


「よしっ、その条件のんだっ。よろしく頼むわね」


 リムが差し出した手を、店員は慌てて握った。


「ワタシはリム。こっちはシオンよ」

「よろしくお願いします。僕はバリィ・ガーラントと言います」


 バリィと名乗った店員は、リムの手を握ったまま、にかっと歯を見せた。



 握手を終えた後も、バリィの愛想笑いは続いていた。


「ディビドまでは四日は掛かりますので、準備が必要です。出発は明日の朝ということでよろしいですか?」

「準備にまる一日掛かるの?」

「お客さんを無事且つ快適にお送りする為ですから」

「ふうん」


 リムは意味ありげに声を漏らした。


「三人分ともなれば、食料も寝具も調達するのに手間が掛かります。これから準備しても、出発は夜になってしまいます」


 バリィの捕捉に、リムはようやく納得したようだ。


「分かったわ。じゃあ、明日の七時に来れば大丈夫?」

「はい。それまでには全て準備しておきますので。なんなら、今夜の宿も手配しますが」

「それは大丈夫。適当に見つけるから」


 リムが手続きを済ませ、店を後にした。

 光来は、慌てて二人に付いていった。光来としては、なにからなにまで女の子に頼りっぱなしというのは気が引けたが、こちらの慣例が分からない以上、手伝いようがない。下手にお節介を焼けばボロが出るだけだと、自分を納得させた。

 二人に追いつき、光来は好奇心からシオンに尋ねた。


「そう言えば、さっき言い掛けてたことだけど……」

「ん?」

「さっき、アウザはなんとかって言い掛けてたじゃないか」

「ああ……」


 シオンは先程の会話を思い出したようだ。


「大したことじゃないけど……」


 前置きしてから説明を始めた。


「アウザは旅の神であると共に、悪戯好きの神としても有名なの。何事もなければいいけど」


 そう言いながらも、シオンこそ悪戯っ子のように目を細めた。

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