5.「そんな泣きそうな顔しないでくださいよ」
わー、今何時!?と、勢いよく起きたのは、実際の睡眠時間よりもよく寝た感覚があったからだ。
急いでスマホを見れば、設定したアラームすら鳴っていない時間。良かった、寝坊したわけじゃなかった。
だけどアラームまであと10分ほど。これは二度寝すれば寝坊するパターンだな。今起きてしまうのが得策だ。
あれ、ってかなんで私がベッドで寝てるの?首を捻り、昨夜敷いた布団を見れば、それはきちんと折り畳まれている。えー、なんで?布団を折り畳んだ記憶もなければ、ベッドへ移動した記憶もない。ますます深まる謎に、眉間に皺も寄ってきた。
「おはようございます。台所借りましたよ」
部屋の扉がゆっくり開いたかと思えば、千石慧がひょっこりと顔を覗かせた。朝から爽やかで、文句のつけようがない。
「あ、うん。おはよう」
「良い夢見れました?」
「えー?あ!……ふふ、そういえばお姫様抱っこされる夢見たよ」
「……へぇ。それは良かったですね」
千石慧の言葉で、ぼんやりと昨夜の夢を思い出す。お姫様抱っこなんて実際には、子供の頃父親にされたのみだ。夢の中でお姫様気分を味わって、それに少し満たされるなんて、あまりにも虚しすぎやしないか?と思わなくはないけれど。
「ね、そういや、私いつベッドに行ったか知ってる?」
「うーん、確か2時前ですかね?」
「ぜんっぜん記憶にないんだけど」
「まぁ、でしょうね。寝惚けてましたし。そんなことより朝ごはんにしません?」
「え!?作ってくれたの!?」
「はい。作ったと言えるほど手の込んだものじゃないですけど」
千石慧はそんなふうに謙遜したけれど、私にとっては料理の内容なんてたいした問題ではない。"自分以外が作ってくれた料理"という事実のみが重要なのだ。
一人暮らしをし出して自炊をするようになってから、人の手料理が恋しくて、有り難くて。空腹は最高のスパイスと言うけれど、私には作ってもらった料理がそれに当たるのだ。
「めっちゃ美味しいー!料理できたんだね」
朝ごはんの王道、スクランブルエッグを頬張りながら素直な感想を述べれば、「高校生から一人暮らしですしね」と、なんてことないと言うふうにさらりと受け流された。
かっわいくないのー、と思いながらも、そういやそうだったな、と漫画の内容を思い出す。千石慧の両親は彼が幼い頃に、魔物によって殺されていた。それから彼は、親戚の家で暮らしていたが、高校進学を機に一人暮らしを始めたのだった。魔物退治をして、お金を稼げるようになったのも大きかったのだろう。
「というか、僕がその、リング?、とかいう漫画の千石慧だって信じたんですか?」
突然、核心に触れるような話をぶっ込まれて盛大に咽せた。ゲホゲホと激しく咳き込む私に、まるで汚物を見るかのような視線を寄越した千石慧は、「落ち着いてください」とコップに注がれた水を差し出した。
「あ、ありがと」
「いや、喋んなくていいんで、とりあえず落ち着いてください」
ほんと可愛くない。そう思うが、的を射たアドバイスに従い、有り難く水を口に含んで喉を落ち着かせた。というか、こういう時、背中ぐらいさすってくれてもよくない?
「で、どうなんです?」
私が落ち着きを取り戻したと判断するや否や、彼はもう一度質問を繰り返した。
「うーん、半々かな」
「半々?はっきりしないですね」
「だって、突拍子なさすぎるんだもん」
私の言葉を聞いた千石慧は顎に手を当てる仕草を見せ、何かを閃いたように目を見開いた。すると朝食も途中だというのに、徐に立ち上がり、昨日脱いだズボンのポケットを弄り始める。
「あ、あった。これが唯一の僕の持ち物です」
そう言いながら、彼の手のひらにすっぽりと収まったので、私からはなにを発見したのか見えなかったそれをテーブルに置いた。
「ゆびわ?」
「はい。見覚えありますか?」
いや、見覚えあるかどうかなんて、考えるまでもないよ。だってこんな重要なアイテム……。
一見なんの変哲もないシルバーの指輪は、千石慧が触れるたびに煌々と紫色の光を放っている。
リングは人気のある漫画だ。故に戦闘服を模したコスプレセットが公式・非公式問わずに色々な会社から販売されている。それはキーアイテムである指輪も例外ではなかった。
だけど、これは……。巷に溢れている類似品ではない。現に「触っていい?」と了承を得た私が触れても、その指輪はシルバーのままだ。この指輪に選ばれた千石慧が触れたときのみ、紫色に変色するのだった。
「なんなんでしょうね、ほんと。どうして僕はこの世界に来たんでしょう」
指輪に触れることをやめた千石慧は、途中になっていた朝食を再開し、疲れたようにため息を吐いた。
「いつからなの、いつからこの世界に?」
「2日前ですかね、おそらく」
リングの世界は現代の設定なので、街並みや人、電子機器類などには僅かな違和感しかなかっただろう。しかし、彼は……。
「僕、死んだので。一瞬この世界が地獄かと思いましたよ」
千石慧はそう言って乾いた笑みをこぼした。その言葉と表情に胸が締め付けられる。
「そんな泣きそうな顔しないでくださいよ」
「だって、千石慧がさぁ……」
「え、ちょっと待ってください。僕のことフルネームで呼んでるんですか?」
理解できないと顔を歪め、「それ、やめてください」と本人に拒否をされてしまえば、もうこの呼び方はさすがにできないな。
「じゃあ、千石」
「……はい、フルネーム以外ならなんでもいいです」
呆れたような声だと思ったが、僅かに上がった口角を見れば一応納得はしているようだ。だって、さとる、とは呼べないでしょう。彼を下の名前で呼んでいたのは、親友の永良くんと、ヒロインのカエデちゃんだけだったのだ。私なんかが、永良くんと同じ呼び方をするなんてあまりにも恐れ多い。
「あ、そういや、今日何時からなんですか?ゆっくり朝食とってる時間なんて、」
「あぁー!ほんとだ!やばい!」
「ほんと、いちいちうるさい」
残りの朝食を掻き込み、「ごちそうさま!おいしかった!」と言いながら食器をシンクに持って行く。
「帰ってから洗うから、水に浸けといてね」
「はぁ、ねぇ、もうちょっと落ち着いたら?」
「10時からなの!千石の準備が間に合わなかったら、置いてくからね!?」
歯ブラシを咥えながらキツく言えば、千石はもう何も言わなかった。優雅に朝食とってんなぁ、ほんと。あと1時間もないよ?髪ボッサボサだけど?
千石の耳が隠れるほどの長さがある銀髪は、後頭部がピンピンと跳ねている。漫画でも見たことのない無防備すぎる姿に、自然と笑みがこぼれた。
「で?準備が間に合わなかったら、なんでしたっけ?」
髪にトリートメントを仕込んでいる私に向かって、千石はふんぞり返るように皮肉を告げた。私が帰ってから洗うと言ったお皿も綺麗に片付けた上で、千石は10分もかからずに自分を仕上げてしまった。
いや、まぁ、千石はメイクもしないしね?選ぶ服も持ってないし、うん。ね、あんな短時間で仕上げたとは思えないほどのかっこよさだね?元が良すぎるほど良い千石は、髪のセットなどしなくてもかっこいいのだ。デニムにトレーナーだけでも様になってしまう。ずるい。
「あと、髪を巻くだけだから!」
「はいはい。外で待ってますからね」
私は千石に、呆れを含んだ笑みばかりをさせてしまう。
ここのところ、本誌連載は暗い展開が続いていた。なので、千石が笑う場面などそもそも描けるはずがなかった。だから、まぁいっか。それが冷笑でも嘲笑でもなんでも、千石が笑ってるなら、まぁいっか。
そう思いながら玄関を開ければ、「待ちくたびれましたよ」という嫌味と共に、千石は意地悪そうに口角を引き上げた。
▼
ぐっ、こ、これは……。私は叫びたい衝動をなんとか堪えていた。たぶん、一緒に来ているのが千石ではなかったら、絶叫していたと思う。
それほど私を出迎えてくれた大きなタペストリーの永良くんが、超絶にかっこいいのだ。せ、制服……今じゃ懐かしい制服を着てるよぉ……尊い。だけど通路が狭すぎて引きで撮れない!あーん、悔しい……!
私が写真の角度に一人悪戦苦闘していると、それを背後から覗き込んだ千石が「本物ここにいるんですけど」と、面白く無さそうにぼやいた。
「や、そういう問題じゃないから!」
「あ、そ。ま、瑠璃子さんの本命は隼人だしね」
急に拗ねた雰囲気出してくるじゃん。
「え?ヤキモチ?」
「……笑えない冗談はやめてもらっていいですか?」
「……ごめん」
なによ、そんなに全力で否定しなくてもいいじゃん。ムッと唇を歪ませた私を見て、千石もあからさまに眉間に皺を寄せる。
「どうしてそんなイラついてるんですか?ほら、もうすぐ店内に入れそうですよ」
千石の視線を追えば、いつの間にか次の次に入店できるところまで来ていた。わー、ドキドキしてきたぁ!!!ころりと変えた表情に、千石はまた呆れ顔だ。
案内された席に着けば、「かなり忠実に再現されているんですね」と、千石が感心したように声を漏らした。
「そんなそっくり?」
「はい。高校生の頃を思い出してしまうほど」
そう言った千石の声がどこか沈んでいるように聞こえるのは、永良くんやカエデちゃんとの楽しかった日々を思い返しているからだろうか。
「やっぱり家で私のこと待ってた方がよかったんじゃない?」
「どうしてですか?結局買い物でこっちに出なきゃいけなかったんですから」
「まぁ、そうだけど」
今回のコラボカフェは、永良くんたちの高校の学食を再現していた。それは今の千石にとっては、あまりにも酷ではないか。
昨夜は怒涛の展開のあまり、そこまで考えが及ばなかった。今なら絶対に連れて来なかったのに。
「ほら、料理の注文しましょうよ」
と、千石にしては明るめの声で、テーブルに備え付けてあったタブレット端末を私に手渡した。
「ありがと。あ、そうだ、千石も頼んでね?」
「いいんですか?」
「うん、そもそもワンオーダー制だから」
「あぁ、なるほど」
先ほど渡されたタブレットをテーブルの真ん中に置く。「どれにするー?」とメニューを開けば、千石も同じように端末を覗き込んだ。
ち、近い……。突如縮まった距離に胸が鼓動を速めた。自慢ではないが、ここのところ男の人と接する機会は職場だけになっていたのだ。あとは、配達員やコンビニの店員さんぐらい……?
「僕、これにします。瑠璃子さんは?」
決まりました?、の声と千石が顔を上げたのは同時だった。固まりながらも千石の方を見ていた私の視線と、千石のそれが交じり合う。
途端、顔に集まり出した熱に、悲しくないのになんでか涙が出てきそうだ。
「瑠璃子さん?顔真っ赤ですよ」
そんなの言われなくても分かってる!悔しい。私ばっかりドキドキして、顔が真っ赤になるほど千石のことを意識してる。なのに、彼は全く変わらず、平常心だ。
悔しい。絶対絶対、私のこと意識させてやるんだから。と、ズレた使命感を燃やしてしまった。そんな手練手管など持ってはいないのに。
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