Dvine ー魔導士クオンの章ー

@nov_nero01

第一章 第一節

 その日もいつもと同じように日が昇るころよりも少し前に起きだして、瓶を抱えて共同井戸へ行く。

 井戸に取り付けられた滑車で桶に水を汲み、そこに金属が含まれている場合変色し反応する触媒を入れ、簡単に水質の調査を行う。

 異常がないことを確認し、汲んだ水を瓶に移す。何度かくみ上げ瓶いっぱいに水を汲んだ後、桶に余った水で顔を洗う。

 日の上らないうちに汲む水は冷たく、わずかに残った眠気をすぐに取り払ってくれる。


「ん~」


 タオルで顔を拭き終え、家に戻ろうとしたところで村の女性陣が同じように水を汲みに来る。


「ああ、今日も一番乗りをとられてしまったねぇ。おはよう」


 村の女性陣のまとめ役で、クオンとはすっかりと顔なじみになった老女、アーデがにこやかに挨拶をしてくる。

 アーデは白髪が大半を占めるような年齢ながら矍鑠としており、背筋は立っており腰は曲がっておらず朝の水くみ程度の力仕事なら難なくこなしてしまう。


「おはようございます、アーデさん。バリーさんの調子はどうですか?」

「先生のおかげでうちの旦那の腰もすっかり良くなって、昨日から畑に戻れているよ」

「そうですか、それはよかったです。でも無理はなさらないようにしてくださいね?」

「あぁ、わかっているよ」


 クオンは村の民家を借り、そこで医者の代わりとして怪我や病気の人の治療に当たっている。

 都市部はともかく、そこから離れた村ともなると医者がいないということはままある。この村も例にもれず医者はおらず、最寄りの町まで行かなければならない。この村の場合は医者のいる町までは人の足で一昼夜、馬なら約半日ほどかかる。そう言った事情があり医療の知識と魔術による治療も行えるクオンは村では重宝される立場にある。


「先生がこの村に居ついてくれたおかげで大分楽になったねぇ」


 水を汲みながらしみじみとアーデが呟くとほかの女性陣も一様にうなずき、それぞれが旦那の怪我を治してもらったや子供の病気を治してもらったと感謝の言葉を口にする。

 二百人ほどの小さな村とはいえ、けが人や病人はそれこそほぼ毎日のように出てくる。特に農作業以外に森に入って狩りや木の切り出しをする男衆などは傷の大小はあれど生傷が絶えない。


「いえ、こちらもこの村に受け入れてもらえてよかったです」


 己の魔力を知覚するのに一年。それを操る術を習得するのに二年。己の影を捉えるのに三年。鍛錬に終わりはなく、理を修めるのもまた然り。

 ようやく自分の杖作り上げ、工房を作ることができるようになったところで養父でもある師から巣立ちを促された。というより巣から叩き出された。

 どこかもわからぬ森の中に転移させられて途方に暮れながら野宿の準備をしていたところ、両親の怪我の治療のため薬草を探しに来ていたこの村の子供に出会い、その子らの両親の怪我の治療を行ったのが縁となり村に居を構えることになった。


「何言ってんだい。あんた見たいな腕のいい先生ならこちらからお願いして居てもらうものさ」


 アーデは快活に笑いクオンの背中をたたく。


「……それじゃあ、俺はこれで」

「ああ、呼び止めて悪かったね」


 アーデの後ろに控えて、順番に水を汲み始めている女性陣に頭を下げ、瓶を抱えようとしたところで遠くから蹄の音が聞こえてきた。

 思わずその場にいた皆が蹄の音をした方向、村の出入り口の一つを見ると、二頭引きの幌馬車が三台ほど連なりこちらに向かって走ってくる。


「あれは、クラレンス家の印だね」

「クラレンス家?」


 目を細め、まだ遠目にしか確認できないその一段の旗印を確認したアーデが呟く。


「おや、知らないのかい? この一帯を治める御領主様さ」


 アーデがクオンに不思議そうな顔を向けるが、その間にも馬車の一団は近づいてくる。

 先頭を走る馬車の御者台には軽装鎧を着た若い兵士が手綱を握っている。

 馬車はこちらに近づくにつれて徐々に速度を落とし、クオン達の前で止まった。


「私はクラレンス辺境伯に仕える騎士、カーク・サントスという者だ! 急ですまないが、馬に水と餌をやりたい。供出してもらえないだろうか!」


 御者台にいる男が良く通る声で今この場にいる村の人間で唯一の男であるクオンに言いつける。言葉には焦りのような気配があり、これが通常の補給とは違うものだという空気を滲ませている。


「っ……えっと、」


 クオンが戸惑っていると、隣からアーデが歩み出て、右手を握りこみ胸の前に置き軽く頭を垂れた後、騎士と名乗った男を見上げる。


「お初に御目にかかります騎士様。私めはこの村を預かる名主バリーの妻でアーデと申します。お申し付けいただいた件についてはすぐに御用意いたしますので、騎士様も馬車からお降りになり、我が家でしばし寛がれますよう」

「馬に水と餌を与えたらすぐにでも発たなければならない。気持ちだけ頂こう。急な要望にも関わらず快く応じてくれたことに感謝する。このことは我が主に必ず奏上しよう」

「承知いたしました……さぁ聞いたね皆、男衆をたたき起こしてきな。飼い葉と水を馬にやる準備だよ。あと、うちの旦那も呼んできな!」


 男の言葉にもう一度頭を垂れ、その後、困惑している女性陣に振り返り喝を入れるように言う。

 女性陣はアーデの言葉に活が入ったのか、抱えていた桶や瓶をその場において各々の家へと駆けだしていった。


「大した手並みだ」

「お褒めいただきありがとうございます。しかし、これは一体……」


 場を治めたのはいいとして、後ろに何台も連なって待機している馬車にアーデもやはり困惑しているようだ。


「う、うむ。これは軍事行動の一環故、詮索してくれるな」


 と、先ほどの張りつめた感じとは一転し非常に言いづらそうにしている。と、その時、


「……うぁ、あぁ……」


 馬車の幌の向こうからうめき声らしき低い声が聞こえてきた。


「怪我人、ですか? 俺……私はクオンといいます。この村で医者のようなことをしています。よろしければ診せていただけませんか?」


「医者、か……」


 怪我人がいるのでは捨て置けない。そう申し出たクオンにカークは渋るような素振りを見せる。


「騎士様、このクオンは若いながら治癒魔術も使えますのでお力になれるかと」

「……うむ、怪我自体は大したものではないのだが、妙な、そう、毒のようなものにやられているらしくな……クオンと言ったな、くれぐれも他言してくれるなよ」


 アーデの言葉に観念したかのようにカークは御者台から降り、クオンに付いて来いと手だけで合図し馬車の後ろに回り込む。

 カークが荷台に上がるのに続いてクオンも荷台に上がる。

 荷台の中には何人かの兵士が寝かされており、起きている者も寝ている者も一様に苦しそうに眉をしかめている。

 その中で、おそらく先ほどの声を上げたであろう兵士の傍で屈みこむ。クオンもそれに倣いカークの隣で屈み、兵士の様子をうかがう。


「う……ぁ。隊長、領都についたのですか?」


 兵士の青年は鎮痛剤か何かを使われているのか、意識が朦朧としている様子で反応は鈍い。顔色は悪く脂汗を浮かべており、視線も焦点が合っていないようだった。


「すまんな、まだ領都にはついていない。が、ここにいる医者が傷を見たいそうだ。いいか?」


 兵士の息をつくように小さく頷くのをみて、カークは兵士の腕を取り血がにじんでいる包帯をゆっくりと外した。


「この傷なのだが、治せそうか?」

「これは……」


 兵士の腕に視線をやり、クオンは眉を顰める。

 そこには細く爪か何かで引っ掻かれ抉り取られたような傷を中心に青白く変色した皮膚が広がっていた。傷口からは今も血が染み出している。


「薬や治癒魔術では効果がなくてな。縫っても傷が塞がらない、出血を抑えるためにこうして包帯を巻いているが」

「この青白い部分に傷とは別に痛みと麻痺があって、それが徐々に広がっていく……ですね?」

「っ!……知っているのか? これが何なのか、わかるのか」

 クオンがその症状の経過を言い当てると、カークは驚愕の表情を浮かべクオンへ振り返る。

 この傷と周辺の青白い変色の症状には見覚えがある。それもこの村で見た症状だ。


「確かに、この傷には単体の治癒魔術や縫合では治療として意味を成さないでしょう」

「やはり、知っているのだな?」

 その言葉にクオンは頷き、傷について詳細な説明を始める。

「"呪詛啜り"と言う系統の魔物に傷つけられるとこのような傷になります。傷に呪いがかかっていて、その呪いが治療を邪魔しているんです。なのでこのままでは治療の効果は見込めません」

「"呪詛啜り"? 聞いたことのない名だが……領都でもっといい薬を使うか、腕のいい治癒魔術士に診てもらえば治ると思っていたが、そう簡単にはいかないのか。しかし、呪いとは」


 自身が知らない魔物のこと、そして傷がそう簡単に治るものではないと告げられカークは苦り切った表情を浮かべる。

 こうして複数の馬車でけが人を移送してきて、あてにしていた治療方法についても効果が薄いと告げられれば、当然の反応と言える。だが、


「大丈夫です。この傷の治療はできます」

「ほ、本当かっ! 嘘ではないのだな!?」

「ええ、治せます。この村の自警団と狩人達のリーダーをしている方が同じ傷に苦しんでいました。その人は利き腕をやられていましたが、今では元気に狩りに出かけています」

「そうか、狩りにも行けるか、……そうか……よかった」


 安心させるようにカークに笑いかけると、カークはクオンの言葉を噛みしめうつむいて目元を抑える。

 今のクオンの言葉にはただ傷が治せる以外にも、麻痺が残らないという意味もある。傷が治ったとしても麻痺が残れば日常の生活ですら不便を強いられる。当然、兵士は続けられないだろう。そしてほかの職を探そうにも麻痺は大きなマイナス要素となる。この兵士達の人生は相当過酷なることが予想されていた。だがそれが回避できるとなれば上官として何よりも喜ぶべきことだ。


「すまんな。安心して気が抜けてしまった。早速だが」


 気を取り直したようにカークがクオンを見上げ、言う。


「はい。すぐに、治療にかかります。呪いが傷の治療を邪魔しているので、まずこの傷についている呪いを消すところからですね。《転送》」


 クオンはその場で立ち上がり短く転送の魔術を発動させる。

 クオンのすぐそばの空間が揺らめきそこから杖がせり出してくる。それを慣れた手つきで杖を引き抜くと、杖を掲げながら魔力の経路を通し行使する術を杖へと伝達し始める。

 杖の全長はクオンの身長とほぼ同じ位で、三日月型のフレームとその内外に貫いて延びるいくつかのスポークがフレームの弧の内側に抱いた水晶球を支える、月と太陽そしてそれらの光をモチーフとした柄があり、シャフトは柄に向かうにつれ樹木が枝を広げるように広がっていて、柄の三日月部分をシャフトから延びる枝が絡め取り支えるデザインとなっている。

 杖は魔術を行使するにあたっての増幅器や安定装置としての役割がある。もちろん杖がなくても魔術は行使可能だが、こうして対象が多く術を広く展開する場合は杖がある方が圧倒的に楽になる。


「な、なんだ、それは……?」

「いえ、治療する人が多いので纏めて治療しようと思いまして」


 カークが指摘しているのは、何もないところから突然杖が出現したことについてだが、クオンに勘違いした。その程度には杖を転送してくることはクオンにとって当たり前のことだった。


「いや、そうではなくて……っく」

「《祓え》」


 何か言いかけたカークをよそに、魔術の発動準備が整うや否や、発動の鍵言葉とともに辺りをまばゆい光が包み込んだ。

 杖の水晶球から全方面に向かって発せられた強烈な光に小さく声を上げ目を閉じたカークは、次に目を開いたときに驚きに目を見開いた。隣で横たわる部下の腕に広がっていた青白い部分が完全に消滅していたからだ。


「な、……」

「《治癒力増進》」


 驚いて部下の腕を見つめていると、再度クオンが魔術を発動させる。先ほどの鮮烈な光とは違い、穏やかな薄緑の光が辺りを照らしていく。

 徐々に光が薄れやがて完全に消えるころには囁くように聞こえていた兵士たちの苦し気な呻きが穏やかな寝息に変わっていた。


「治療、完了しました」

「もうか?!……確かに、傷がなくなっている。これは、奇跡かなにかか?」


 部下の腕をとり、血を拭うと先ほどまでそこにあった傷はすでに跡形もなく消えていた。まるで初めから傷などなかったかのように。

 カークはこれまで何人もの治癒魔術士を見てきたが、これほど早く完璧な回復は見たことがなかった。さらにそれを複数の人間に一度に施せるなど聞いたこともない。


「そんな凄いものではないですよ。呪いを祓った後、自然治癒力、体の傷を治そうとする力を強化しただけです」

「君は、一体何者なんだ? ただの医者や治癒魔術士などではあるまい」


 カークは事も無げに言うクオンを見上げる。対するクオンはやはり事も無げに短く答えた。


「いえ、私はただの魔導士です」

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