第40話

 翌日の掃除時間、またも同じ少人数教室担当に割り振られた俺と芽杏は、箒を片手に時間を潰していた。


「昨日のテスト結果はどうだったんだ?」

「それ聞いちゃう?」

「聞くに決まってるだろ」


 一緒に泊りで勉強までしたんだ。

 気にならない方がおかしいような気もする。


 俺の問いに、芽杏は怪しい笑みを浮かべながら体を揺らす。


「どうしよっかなー。教えよっかなー、黙っておこうかなー」

「お前が言わなきゃ杏音に聞きに行くだけだぞ」

「……お姉ちゃんがいたんだった」


 貴様の成績にプライバシー保護という言葉は適応されないのだ。

 と、芽杏は体を寄せてくる。


「……誰にも言わないでね?」

「うん」

「……六十二位だった」

「六十二位だってーッ!?」

「ばかっ、声デカいって!」


 大声を出すと口を押えられた。

 あたたかくてもっちりした手の感触が、口に触れて不快になる。

 掃除中の奴が他人の口を触るんじゃねえ。

 汚いだろうが。


「誰にも言わないって言ったじゃん!」

「特定の誰にも言ってないぞ」

「そういう意味じゃない! マジサイテー。流石悠だね、性格めっちゃ悪いの忘れてた!」

「ふん。好きに言ってろ」


 涙目の芽杏。

 実際わざと声を出したので、俺は本当に性格が悪い。

 だがまぁ。


「おめでとう。すごいじゃん」

「えへへ。ありがと」

「杏音に感謝しなきゃだな」

「ほんとにそう! 昨日報告したら、珍しくお姉ちゃんが笑って頭撫でてくれた!」

「……」


 高二にもなって姉に頭を撫でられて喜ぶ奴がいるとはな。

 俺なんて吐き気がするだけだぞ。


「そう言えば悠は何位だったの?」


 得意げに聞いてくる芽杏。

 自分の方が出来が良いと思っているのだろう。


 このまま気分良く過ごさせてやるのも手だが、さっき言った通り俺は性格が悪い。

 現実はつきつけるタイプなのだ。


「五十位台だってことを伝えておくよ」

「嘘!? あたしより高い!?」

「まぁまぁ、そういうわけだ」

「マジ最悪……せっかく勝ったと思ったのに」


 ガチ萎えしている彼女の姿からは、それだけ努力してきたのが分かる。


「週末死ぬ気でやったからな。頑張った甲斐があった」

「ほんとそれ。お姉ちゃん怖かった」

「杏音は馬鹿が嫌いそうだからな」


 要領が悪い人間なんかにはすぐにイラつくタイプだ。

 そのせいで俺達はずっとピリピリした雰囲気に当てられていた。

 結果として感謝しているが、生きた心地はしなかった。


「ってかなんで悠はお姉ちゃんのこと呼び捨てなの?」


 彼女を二日目に家に泊めた時だったか。

 先輩と呼ぶとキレられたのを思い出す。


「向こうが呼び捨てにしろって言ってきたんだよ」

「ふぅん?」

「なんだその反応」

「いや意外だなぁって思って。お姉ちゃんって心開かないじゃん? それなのに悠にはやけに親しいから変なの」


 まぁ確かに、傍から見ればそう映るのかもしれない。


「お姉ちゃん、意外に悠の事好きなんじゃない?」

「はは、そんな事ないだろ」

「ふぅん」


 あの女にとって俺が特別なのは認める。

 でも俺達の間にはラブの二文字はない。

 同じ病を治そうと奮闘している、いわばただの戦友だな。

 しかしそんな事を説明する訳にもいかない。


 曖昧な返事をする俺に芽杏は訝し気な表情を向けてきた。


 もうそろそろ、俺が杏音の事を好きだという勘違いも解けるのかもしれない。



 ‐‐‐



「奇遇ですね。こんな所で出くわすとは」

「なんでちょっと嬉しそうなの」

「いえいえ、別に」


 呼び出しから解放され、職員室を出るとそこには美人がいた。

 改めて見るとかなりのモデル体型。


「杏音ってモデルのスカウトとかされるんですか?」

「……されない。逆に聞くけど、私に話しかけようと思う?」

「思わないですね」

「即答されるとむかつくけど、そういう事」


 容姿だけではやっていけないらしい。

 確かにそれを取り柄にするんなら、もっと上がゴロゴロいるだろう。


「なんで職員室にいたの?」

「生物の課題だけ提出が遅れたので、その提出に」

「そうなんだ」

「杏音は?」

「私は例の面談よ」


 例の面談……あ、対ぼっち用のカウンセラーの事か。

 十二月もしていたし、今日は一月末。

 月一ってかなりの頻度だな。


「でも今回はあんまり心配されなかった。顔色良くなったなって言われた」

「何でですかね」

「天薇ちゃんのおかげかも」


 学校を出ると、杏音は俺にスマホを見せてくる。

 それは連絡アプリのトーク履歴だった。

 友達のいないこの女と誰が連絡しているのかと思えば、相手は俺の妹だった。


「いつの間に連絡先交換してたんですか?」

「泊り二日目に悠がシャワー浴びてる時。向こうから交換しよ?って言ってくれた」

「……」


 知らぬうちにドンドン攻略していたらしい。

 お互いに相思相愛なのが厄介だ。


「マジで変なこと吹き込まないでくださいよ?」

「悠よりはマシだと思う。芽杏に聞いたけど、あの子が忘れ物を取りに帰った時に全裸で天薇ちゃんに迫ってたらしいし」

「誤解です。下着は着てました」


 流石にぶら下げて歩き回りはしないだろ。

 そのくらいの常識はあるさ。

 っていうかあの馬鹿女め、余計な事を言いやがって。


 と、本来彼女に伝えたかった事を思い出す。


「テストの順位が上がったんですよ。褒めてください」

「何位だったの?」

「いつもは百番台なのに、五十位台に乗りました」

「すごいじゃん」


 無機質に褒める杏音。


「ほんとに思ってます?」

「思ってる。芽杏もだけど、やっぱりちゃんとやれば誰だって勉強はできるものね」

「俺の頭は撫でてくれないんですか?」

「キモすぎ」

「冗談に決まってるだろ」


 マジトーンで引くのはやめてくれよ本当に。

 なんて思っていると、杏音が手を打つ。


「そう言えばさっき悠の担任に聞いたんだけど、私に似てるって言われて喜んでたんだって?」

「あぁぁぁぁっぁっぁぁ」


 あの担任は明日ぶっ潰してやる。

 今そう心に決めた。

 絶対に許さない。

 目の前で土下座させて謝らせてやるんだ。

 ついでにバリカンで坊主にしてやろうか。


「本当なんだ?」

「……嬉しかったですよ。そりゃ優等生に似てるって言われたらね?」

「可愛いところあるじゃん」

「ありがとうございます」

「なにそのぶっきらぼうな感謝。うっざ」


 二人で会話しながら歩いていると、俺のマンションが見えてくる。

 気付けばもうこんなところだ。


「ていうか、何でいるんですか? 家の位置もわからなくなったんですか?」

「話に夢中で気づかなかった」

「どれだけ俺と話すのを楽しんでるんですか~?」


 にやにやと笑って挑発すると、無表情で見つめられる。

 そのまま目の奥を凝視されて。


 十秒ほど経って俺が根負けした。

 他所を向くとコンビニの出入り口に『バレンタイン』の文字が見えた。


「もうすぐバレンタインね」

「そうですね」

「興味ないの?」

「関係ないから」

「確かに」


 俺はもらう側なためアレだが、あげる側の杏音は本当に無関係そうだ。

 友達もいなければ、色恋に繋げる肝心な恋心も持っていない。


「今年はもらえるといいね」

「誰にですか」

「芽杏とか」

「……」


 どうだろうな。

 中学の頃も女友達はいたが、何故かバレンタインチョコはもらったことがない。

 友達だからと言って義理チョコすら貰えるとは限らないのだ。


「じゃあね」

「はい……」


 少し悲しい記憶を思い出させられて、肩を落としながら俺は自宅へ帰った。

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