第32話

 最後に女子の家に遊びに行ったのはいつの事だったか。

 小学校の頃は近所の友達の家に遊びに行っていた気がする。

 特に姉に引きずられて、周りの姉ちゃん達とはよく遊んでいた。

 しかしながら、そんなものは古の記憶。

 彼女なんてものがいなかった俺には、中学生以上の年齢になってからめっきり機会が無くなった。

 というわけで、実に七・八年ぶりくらいだろうか。


「お邪魔します……」

「どぞどぞ」


 嗅ぎなれない匂いに、今自分が他人の家に居ることを実感する。

 そしてそれが女の子の家であると改めて実感し、緊張した。


 夜月家は俺のマンションと違ってしっかりとした一軒家であった。

 廊下は隅まで埃ひとつなく、綺麗に掃除されている。

 案内されるまま階段をのぼり、そして一つの部屋に通された。


「お姉ちゃ~ん。ただいま~」

「ん。おかえ……は?」


 笑顔で迎えようとした杏音は、芽杏の背後にいる姿を見つけて表情を消した。

 その姿とは言うまでもなく俺である。


「お邪魔してます」

「……なんで?」

「あたしが呼んだんだよ!」


 俺と先程偶々遭遇したことから、そして中間テストに留年の危機がかかっているところまで説明する芽杏。

 あたし達の勉強の面倒を見てくださいという要件を図々しくも語る。

 聞いている間、杏音は相変わらず無表情だ。


「だからお願い!」

「……ふぅん」


 不機嫌に目を閉じる彼女。

 と、そのまま口を開いた。


「とりあえず出て行って。服着るから」

「……あぁ」


 不機嫌の正体はそれか。

 よく見ると杏音はキャミソールしか着ていなかった。

 白くきめ細かい肌の肩や胸元が見えている。

 そもそもベッド上で布団に包まっているし、今から昼寝でもする気だったのかもしれない。

 ということは、もしかすると下はパンツ姿なのだろうか。


 ただ、こんな場面を見られても恥ずかしがらず、苛立ちを見せるだけの彼女はやはりどこかおかしいのだろう。



 ‐‐‐



 リビングルームにて。

 杏音と俺はテーブルに向かい合わせで座っている。


「あの子、何考えてるの」

「さぁ」

「普通アポなしで姉の部屋に男を連れてくる?」

「さぁ」


 現在杏音は制服に袖を通している。

 ちなみに芽杏はというと、買い物がどうのと言ってコンビニに行ってしまった。

 現在この家には俺達の二人しかいない。


「ラッキースケベでした」

「ふん。特に何も感じてないくせに」

「……」

「まぁ私もどうせ見せるような体はしてないから仕方ないか」


 いつか聞いた台詞だな。

 あの頃と違うのはこの人の心の余裕か。

 俺の反応を楽しむかのような表情だ。

 なのでちょっと意地悪することにした。


「確かに」

「……ほんとキモい」


 毎回慰めてやると思ったら大間違いである。

 彼女は溜息を吐くと、そのまま頬杖をついた。


「留年ってほんと?」

「はい。さっき言い渡されました」

「ふぅん。まぁ自業自得」

「冷たいんですね。もっと慰めてくれていいんですよ? あの日みたいに」


 俺が芽杏と小倉に仲直りの場をセッティングし、そして本物の恋愛恐怖症に昇格――もといランクダウンした日だ。

 俺の言葉で杏音は思い出したかのように顔を引きつらせる。


「あの日の事は忘れて」

「なんでですか?」

「恥ずかしいから」

「へぇ。杏音にもそういう感情あるんですね」

「私だって人間」

「魔女も人間ってわけか」


 おかしな人だ。

 自室のベッド上で下着姿というプライベート全開な光景を見られても大して恥ずかしがらないくせに、意味の分からないところで羞恥心を発揮する。

 流石は天邪鬼と言ったところ。

 『私あんたになんて興味ないし、心配なんてしてないんだから!(チラチラ)』って事かもしれない。

 おっと、そう考えると急に可愛く見えてきたぞ。


「なに、ニヤニヤして。キモい」

「さっきからキモいキモいってうるさいですよ」

「だってキモいもん」

「そりゃすみません」


 流れで謎に謝ってしまった。

 と、杏音は俺の目を覗き込むように見つめてくる。


「悠、聞いたの?」

「何をですか?」

「芽杏と小倉君の事」

「あぁ、別れたらしいですね」


 自分でも驚くくらいあっけらかんとした声が出た。


「どう思ってるの?」

「どうって別に。俺の葛藤とか気遣いを返せとくらいしか」

「それだけ?」


 杏音はコホンと咳払いをする。


「芽杏がフリーになった。要するに今は誰とでも付き合える状態ってわけよ」

「そうですね」

「付き合いたいとか思わないの?」

「思わないですよ。この前の話忘れたんすか?」

「いやまぁそうだけど。一応確認よ」


 流石にそんなに早く治る心の傷ではない。

 なんたって恐怖症だからな。

 もはや恋と名のつくモノ全てに畏怖の感情を抱く毎日だ。

 しかしながら杏音は続ける。


「でも私たちは恋愛恐怖症を治したいと思ってる。このままじゃダメ」

「そうですね」


 具体的な解決策は何一つ思い至らない。

 そもそも俺はここ最近で悪化したしな。


「そういえば杏音の恋事情ってなんかないんすか?」

「は?」

「俺の事ばっかり気にかけてもらってますけど、杏音の周りにはいい感じの男とかいないんですか?」


 ふと気になって尋ねる。

 しかし彼女はすました顔で言った。


「ない」

「えっと……」

「悠と違って私には友達もいないの。それに私が学校で何て呼ばれてるか知ってるでしょ?」

「……そうですね。野暮なこと聞きました」

「ん」


 変な雰囲気になってしまった。

 話題を変えなければ。


「あ、芽杏の勘違いについてですけど」


 そこでついさっき思ったことを相談することにした。


「俺は芽杏と恋愛する気はないですし、杏音の当初の思惑ももはや意味ないでしょ? 訂正しなくていいんですか? このままだと俺達くっつけられちゃいますよ」

「なに、嫌そうな顔して」

「え? あんたも嫌だろ?」

「それはそうだけど、悠にそんな顔されるのは心外。あと敬語使え殴るよ」

「足蹴りながら言わないでください」


 理不尽過ぎる。

 今に始まった事じゃないが、やっぱこの女嫌いだ。

 最近は優しかったから忘れていた。

 孤高魔女と呼ばれるだけあって性格も最悪だな。


「まぁ冗談はさて置き、もうちょっとそのままでもいいんじゃない?」

「芽杏との接点がこれからも増えちゃうじゃないですか」

「嫌なの? それこそあの子はもう別れてるんだから、気にしなくていいでしょ」

「……」

「それに、今更訂正するのも色々言い訳考えなきゃいけないし面倒」


 結局現状維持というわけか。

 芽杏は今後も俺と杏音をくっつけようとしてくるだろうし、そのせいで芽杏との接点も増える。


「今は知らないけど、ちょっと前まで好きだったんでしょ? 一緒に居たらまた好きになって、今度こそ恋愛恐怖症を治せるかもしれないし、悠にとっては良い事ばっかりじゃない?」


 一理あるかもしれない。

 ただその時、この人はどこにいるのだろうか。

 杏音が気を遣って俺だけ幸せに病完治というのは、少し嫌だ。

 せっかくならこの人にも幸せになって欲しい。


「あ、そうだ。良いこと思いついた」


 と、考え込む俺を他所に杏音は手を打つ。


「どうしたんですか急に」

「悠と芽杏の勉強、そして二人の距離を近づけるいい方法を思いついたの」


 何やら物騒なことを口にする彼女。

 その目はキラキラと輝き、いかにも自信満々、ナイスアイデアを思いつきましたっていう自信が感じられる。

 嫌な予感がヤバい。

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