第29話
落ちるとこまで落ちたみたいな感覚に襲われる。
もはや辛いだとか、そういう感情を通り越して笑いが漏れてくる始末だ。
チラリと壁掛け時計を見た。
意外に時間は過ぎており、もうそろそろ実家に帰らなければマズい。
このままだとお節介な姉にいらぬ心配をさせてしまう。
いや、今回は正直いらぬ心配ではなさそうだが……
「何?」
横にいる杏音を見た。
なんとなく、この人を見ていると安心する。
これはどういう感情なのだろう。
自分と同類か、それ以下の人間を見る事で心の平静を保っているという事だろうか。
だとすれば俺は本当に嫌な人間だ。
「もうそろそろ実家に帰らないといけません」
「そう」
俺がそう言うと、杏音は立ち上がる。
「じゃあ行こっか」
「へ? ついてくるんですか?」
「心配だから」
「……ドブにでもハマりそうに見えますか?」
「見える」
「杏音じゃあるまいしそんな間抜けなことはしませんよ」
この人と違って俺は歩き慣れた道だしな。
しかし、彼女は顔色一つ変えない。
いつも煽られたら何倍もの毒を吐くか、物理攻撃を仕掛けてくる杏音にしては、不気味な反応だ。
「さっきまで泣きながら自転車漕いでた人を一人にさせるのはね」
「……電車で片道三十分、あなたは帰ってくることを考えると一時間は潰れて、辺りも真っ暗な時間帯になりますけど」
「平気」
「痴漢に襲われるかも。ほら、一応美人から」
「別にどうでもいい。胸でもお尻でも、触りたければ好きにすればいいじゃん」
「……ほんと自分の事を大切にしない人ですね」
「そういう防衛心があるなら、そもそも悠の家に泊まったりしてない。それもノーパンで」
ごもっともである。
それにしても、今日はいつにも増して恥ずかしがらないな。
それだけ俺が心配されているのかと思うと、なんだかなぁって感じだ。
「わかりました。それなら早く行きましょう」
「ん」
そうして俺達はマンションを出て、二人で駅へ向かった。
‐‐‐
田舎方面への電車内は人が少なかった。
空いた車内で隣通しに座るという、少しこそばゆい思いをしていると杏音が口を開く。
「芽杏の勘違いを否定しないで泳がせてたのは私の思惑。ごめんね」
「……どういう意図だったんですか?」
「単に悠と芽杏の接点ができると思って。実際ダブルデートとか、初詣とか一緒にお出かけできたでしょ」
確かにそうだ。
いくら俺が芽杏と仲が良いと言っても、本来ならあり得なかったイベントたち。
それらが可能になったのは、俺が杏音の事を好きだという勘違いがあったからだ。
杏音と俺をくっつけようとする際に、姉妹であるため芽杏は俺にたくさんのシチュエーションを提供できる。
というかその話題で会話も増える。
加えて言うなら、芽杏は杏音と俺という面白い組み合わせに関心を抱き、平時から俺を意識するようになる。
……うお、まじで策士だなこの魔女。
「でも、正直迷惑なとこもありましたよ。家族ぐるみの付き合い的な繋がりができたせいで、芽杏との距離が近づきすぎて、恋愛相談をめちゃくちゃされましたし」
「思ったより悠が芽杏に気に入られててびっくりした」
「……ダブルデートではイチャイチャを見せつけられましたし」
「あれは……ほんとにごめん。誤算だった」
「誤算?」
聞き返すと杏音は俯き、そして顔を上げて。
それから俺の顔を見ると苦笑して見せた。
「なんすか落ち着きなくなっちゃって。トイレですか? うんこ漏れますか?」
「どれだけ私にそのキャラ付けしたいの? キモいし」
「すみません」
謝ると彼女は溜息を吐いた。
「ダブルデートでのアレは予想外だった。正直あの二人はもっとギクシャクするかと思ってたの。いっぱい相談も受けてたし」
「……」
「こんな事言うのはほんとに性格悪いと思う。だから自覚はしてるけど言うね。ギクシャクした雰囲気の二人を、悠なら気の利いたこと言って和ませられると思ったの。そこで、芽杏も小倉君じゃなくて悠の事を男の子として意識するかもしれないって」
「ヤバいですね」
「何? 私の性格? 確かに結構えげつないと思うし、我ながら大っ嫌い」
杏音は自嘲気な笑みを浮かべる。
この表情も随分見慣れてきた。
「ほら、小倉君って良い子そうだけど、正直ユーモアが足りないというか」
「……そう、ですね」
「悠と話した後にあの子と話すと物足りないんじゃないかなーって思ってね。明るいのも人当たりの良さも良いけど、芽杏みたいな天然っぽい子には悠みたいなタイプの方が合うんじゃないかって。ほら、あの子若干Мっ気あるし、いじられキャラだし」
そうだな。
この前、初詣で芽杏と二人きりで話していた時に俺が引っ掛かったのもこれだ。
『だから思ったのと違ったんだー。家でのメッセージのやり取りが増えたけど、正直それもなんか違くて』
『小倉は優しいしカッコいいし面白いんだけど、でもなんか足りなくて……』
小倉が芽杏をいじっている場面を俺はあまり見たことがない。
芽杏に物足りないのはコミュニケーションの種類。
俺みたいにテキトーに接した方がいいんじゃないかって話だ。
まぁ正直、こんなこと自分で言うのは躊躇う。
だってキモいし、何様だよお前って感じだし。
だからこそ今杏音が口にするまで考えないようにしていた。
「だからね、私は芽杏とは悠の方がお似合いだと思ってたの」
距離感ってやつだな。
だが今更言ってももう遅い。
「もう終わった話です。俺は今後芽杏には、彼女たちの恋愛には首をつっこみません」
「……そうね」
今頃小倉と芽杏は完全に仲直りしている事だろう。
盛り上がってキスでもしているかもしれない。
二人が幸せならなんでもいいや。
‐‐‐
電車を降り、実家まで歩く。
あまり距離はなく、精々徒歩三分ってとこだ。
「悠はお姉さんと妹さんがいるんだっけ?」
「はい。姉が20歳の大学二年、妹が中二ですね」
「お姉さん、この前彼氏の家に泊まってるって言ってたけど、可愛いの?」
「杏音ほどでは」
「……」
さり気なく褒めてみたが、大した反応は得られなかった。
まるで当たり前と言わんばかりに謙遜すらしない。
これは自身の美貌を認めている証拠だな。
相変わらず自分の容姿には自信があるようだ。
「はぁ、恋愛恐怖症の私達とは真逆の世界線。そっち側を早く見てみたい」
「この前も彼氏とヤりまくってたって言ってました」
「……あのさ、一応私女子だけど」
「今更じゃないですか?」
「それもそう」
ため息を吐く杏音の横顔に照れの色はない。
やはり恋愛恐怖症患者にとって下ネタはスルーに容易いのだ。
「どんな感じなんだろ」
「何が?」
「性行為」
「え、杏音って処女だったんですか?」
「私の事なんだと思ってたの?」
「中学時代は三人の彼氏と同時に楽しんでたって言ってたじゃないですか」
「お前マジで殺すよ? 全部違うし」
今日初めてちゃんと睨みつけられた。
シンプルな殺意に玉がひゅんってなった。
「彼氏はいたけどそこまではいってない。キスすらした事ないし」
「キスもしてないんですか?」
「やろって言われたけど断った。仕方ないでしょ。私、口が触れるのとか無理だし。今思えば振られた原因ってそれかもね……おぇぇ」
本気で涙目になる杏音の背中を、俺は慌ててさする。
トラウマを蘇らせてしまった。ごめんなさい。
というか潔癖症ってそんなところでも活躍するとは、面倒な病である。
「ごめん、変な話をして」
「まぁ今日は許す」
「傷の舐め合いって感じですね」
「惨めね、私達」
ごもっともだ。
日の当たらない場所に隔離された俺達には絶望しかないのである。
と、そうこうしているうちに実家前に着く。
玄関先には上機嫌の姉がいた。
丁度今帰ってきたところらしい。
「お、悠おかえりー」
「姉ちゃんも今帰ったの?」
「うん。さっきまで遊んでてさー、って……」
光オーラをまき散らす姉は、俺の隣にいるどす黒いオーラに触れて口を閉ざす。
どうやら気づいたらしい。
「どうも」
「こんばんは……え、悠誰? この可愛い子」
「……知り合いの魔女だよ」
俺の返答に姉は首を傾げた。
「魔女? あだ名か何か?」
「そんな感じ」
適当に答える俺。
すると杏音は頭を下げた。
「それじゃ私はここで」
「ありがとう今日は」
「別にいい。お互い様」
別れを済ますと、彼女はそのまま足早に去って行く。
そんな後ろ姿を眺めながら、姉はなるほど、と頷いた。
「あれがこの前言ってた、悠が好きな女の子のお姉ちゃん?」
「そうだよ」
「へぇー、すっごい美人さんだね」
「好みじゃないけどな」
「あんたそれ、本人に言ってないよね?」
「何回も言った」
「はぁ……」
馬鹿と言って頭を叩いてくる姉。
誰だって杏音の本性を知れば、俺の対応にも納得できると思うけどな。
まぁいいか。
俺はドッと噴き出す疲れに顔をしかめながら、帰宅した。
「恋愛恐怖症か……」
長い付き合いになりそうだ。
結局悪化してるし、あの孤高魔女からも同情されている現状。
だけど、一人じゃない。
一緒に立ち向かう同志がいるのは救いかもしれない。
「杏音、一緒に頑張りましょう」
いつか見ることができるはずの世界を求めて。
俺達の闘病生活はこれからだ。
◇
【お知らせ・あとがき】
・まずはじめに、この話で一応1章の区切りとなります。明日からの更新ではようやくラブコメらしい展開になってきたり……? といった感じです。
ここまで応援ありがとうございました。これからも駆け抜けます。なのでフォロー外したりしないでください。泣いてしまいます。
・ちょっと諸事情で5話の一部分を修正しました。
【修正前】
「三人目は中三の時の約一年間。彼の家に行って遊んだりもしたし、結構踏み込んだこともやったな。別れたのは受験前日に彼からメッセージで『実は半年前から他の女子と付き合ってた。だからもう話しかけるな』って言われたから」
【修正後】
「三人目は中三の時の約一年間。彼の家に行って遊んだりもしたし、結構仲も良かったな。別れたのは受験前日に彼からメッセージで『実は半年前から他の女子と付き合ってた。だからもう話しかけるな』って言われたから。あは、仲が良いと思ってたのは私だけかも」
これからも皆様と恋愛恐怖症の治し方を探していけたらなぁ〜と思います。
よろしくお願いします!
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