第20話

 実家でゆるりと時は過ぎる。

 年越しを家族で過ごし、そして新年が始まった。


 無駄に寒い外気から逃げるように毛布にくるまる朝。

 眠い目を擦りながら俺はスマホを見る。

 もう1月5日か。

 あと数日くらいで新学期が再開することを理解し、憂鬱な気分になった。


 勿論課題には手を付けていない。

 そもそも自分の家に放置してきたため、現在は確認することも不可能。

 目を背けてしまえば、課題なんて無いも同然。

 新学期に呼び出されるのは確実だが、日常茶飯事なため今更特にどうという事はない。


「ん……」

「おはよう」

「……おはよ」


 布団の中から小さな頭が出てくる。

 眠い目を擦りながら、天薇は俺の胸に手を当ててきた。


「お兄ちゃん、あったかい」


 妹と同じベッドで寝たからといって、別にいかがわしい事をしたわけではない。

 単に俺のベッドでゲームをしている途中で寝落ちした妹を放置して、その隣で俺も寝ただけだ。

 冬だし、人肌で温もるのもいいなと思ったのである。


「天薇は宿題やってるのか?」

「勿論だよ。お兄ちゃんたちとは違うんだから」


 姉もやりたい放題なようだ。

 レポート提出をサボりまくり、既に落単確定科目が複数あるとのこと。

 彼女曰く『留年しないから大丈夫!』らしいがな。

 大学というのは自由な場所みたいで羨ましい。


 なんて妹の髪を撫でながら話していると、スマホが振動する。


「誰かから連絡来たよ?」

「あぁ……げっ」

「何その反応」


 訝し気な妹を無視し、俺は上体を起こした。

 布団がはだけて、急な冷気に襲われる。

 縮こまって布団に体をしまう天薇を他所に、俺は文面に絶句していた。


『初詣行こう』


 送り主は夜月杏音。

 それだけでこれがお誘いの文句ではなく勅令であるとわかる。

 あぁ、お兄ちゃんの冬休みは昨日で終わったようです。



 鏡に映るのは絶望色に染まった瞳。

 生気のない顔を冷水で洗い、歯磨きをする。


「おはよ~」

「おばよう」

「朝から顔洗って歯磨きして……どっか行くの?」

「びょっとびょようで」

「ちょっと病気? それは頭の? 心の?」


 どんな聞き間違えだよ。

 それに心の病は分かるが、頭の病って失礼極まりないな。

 というか、歯磨きしてる相手に質問してくるのが間違っているんだ。

 聞き間違えを指摘するのも面倒である。

 しかし姉は優しく俺の腰に手を回してきた。

 小さくて暖かい体が背中に押し付けられる。


「大丈夫? なんでも言ってね?」

「べふにびょうひじゃはい」

「は?」

「別に病気じゃない」


 若干磨き足りないが、これ以上聞き間違えからダル絡みを続けられるのも厄介なため、早々にうがいを済ませた。


「さっき病気って言ってたんじゃないの?」

「ちょっと所用でって言ったんだよ」

「なーんだ。悠は活舌悪いねー」

「関係ないだろ馬鹿」


 相変わらず馬鹿な姉だ。

 話していて腹が立つ。

 鏡越しに姉の顔を見ると揶揄うような笑みを浮かべていた。

 くそうぜえ。


「いつまで抱き着いてるんだよ」

「えー、嬉しいくせに」

「全く嬉しくない」

「女の子に後ろから抱き着かれるのって男の人の夢じゃないの?」

「姉のは嬉しくないだろ。それにおっぱいが大きい女の子ならって話だ」

「……嫌味がましい子ね」


 ため息を吐いて俺から手を離す姉。

 その間寝癖を直し、軽く髪を整える。


「どこ行くの?」

「初詣」

「一人で?」

「んなわけないだろ」

「じゃあ友達と?」

「……違う」

「どういうことなのそれ」


 眉を顰める姉に、俺も肩を竦める。

 だって説明しようがないんだもの。

 杏音は友達でも何でもない。

 だからといってどんな関係かと聞かれれば困る。

 俺とあの人って一体なんなんだろう。


「彼女?」

「いません」

「だよね。ごめんごめん」


 申し訳なさそうに謝る姉。

 俺はその脇を潜り抜け、自室に戻ろうと洗面所を出た。

 しかし、何故か部屋まで付いてくる。


 着ていく服を漁りながら、勝手にベッドに腰かけた姉に聞く。


「なんだよ」

「いや、トゲトゲしてるからどうしたのかなって」

「……心配なの?」

「うん」


 真面目に即答され、頬を掻いた。

 どうしてこう、ふざけたノリを続けてくれないのか。

 急にお姉ちゃん面されると困る。

 俺は観念して口を開く。


「相手は女の子だよ」

「……彼女じゃないんだよね?」

「まぁね」

「友達でもないんでしょ?」

「あぁ」


 淡々とした返答に姉は不安を顔全体に張り付かせる。

 そりゃそうか、意味が分からないもんな。

 着替え終えた後、部屋を出る前に一言呟いた。


「でも、信頼できる人だよ」

「……そう、なら安心」


 姉の声を聞き、俺は部屋を出た。




 ‐‐‐




 待ち合わせ場所は俺の家。

 マンションに着くとすでに部屋の前にしゃがみ込む影があった。

 いつかの日と同じ光景である。

 しかし。


「なんでお前もいるんだ」

「ごめん」

「謝るなよ……」


 あの日と異なる点。

 それは部屋の前に陣取っている女子高生が二人だった点である。

 若干顔色の悪い笑みを浮かべる芽杏。

 うわぁ、メンヘラ化してらぁ……


「二人っきりのデートじゃなくてごめんね。あたし帰ろっか?」

「いやいい。いてくれ」

「……わかった」


 帰ろうとする芽杏の手を慌てて掴んで止める。

 と、杏音は首を鳴らしながら立ち上がった。


「急にどうしたんですか、初詣なんて」

「新年は神様に手を合わせに行くのが普通でしょ」

「へぇ……」


 意外な一面もあるもんだな。

 てっきり神なんて信じてないタイプだと思ってたんだが。

 手を合わせるんじゃなくて手合わせするんでしょ? って茶化し文句がついここまで出かかったが、また面倒な事になるので抑えた。


「さ、行くよ」

「はい」


 まだ昼前時。

 しかし年始の神社はかなり混むからな。


「なんか宮田と一緒なの変な感じ」

「悪かったな」

「ううん、なんか安心する」

「……」


 そういう迂闊な発言がマズいんだよ。

 だから彼氏との仲が拗れるんだろうが。


 なんて思ったが、今触れるのは愚策だろう。

 俺は曖昧に苦笑して流した。

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