第17話

 そのまま、公園を歩いたり、ブランコで呆けたりしている間に時は流れ、辺りは暗くなり始めた。

 そこで今日は解散となり、俺達は公園を出る。

 しかし、解散というのはあくまでダブルデートが、の話である。

 今からは各々カップル同士で普通のデートへ移行。


 現在時刻は4時半。

 俺と杏音は二人で自転車を押しながら歩く。

 ちなみに向こうのカップルは今からカラオケに行くと言っていた。


「今からどうするんすか?」


 愛し合っているわけでもないので、俺達に今後の予定はない。

 と、杏音はスマホを見ながら言った。


「本屋に行きたいから付き合って」

「えぇ、一人で行けばいいじゃないですか」

「……わかった。じゃあね」

「ちょちょちょちょちょっと。やだなぁ、冗談じゃないですか~」


 手をこねこねしながら機嫌をうかがうと、顔すら見てもらえなかった。

 こりゃ怒らせちゃったぞ。


 その後、話題を振ったり褒めたりなんやかんやしながら、俺は本屋まで杏音について行った。




 ‐‐‐




 本屋へ着くと、杏音は真っ直ぐに教材コーナーに向かった。


「流石ですね」

「受験期に入るから仕方ない。修学旅行が終わってから、教師がもう三年ゼロ学期だぞってうるさくって」

「なんすか三年ゼロ学期って。キモいですね。あと、修学旅行に行ってないのにその言葉は随分皮肉な感じで面白い」

「私は面白くない」


 数学の教材をぺらぺらとめくる杏音。

『大学入試共通テスト対策問題集』か。


「うちの姉は受験勉強なんてしてなかったからイメージ沸かないです」

「流石悠のお姉ちゃんって感じ」

「俺なんかよりヤバいですよ。今も彼氏の家にお泊り中です」

「……」


 クリスマスに彼氏宅で過ごす女子大生ライフ。

 言うまでもないリア充キラキラ雰囲気に、杏音は青筋を浮かべながら参考書を閉じた。


「はぁ、ほんとどいつもこいつも……悠見た?」

「何を?」

「公園にいた多数のカップルを」

「まぁ、目には入りましたね」


 どこまでをリア充、カップルと言うのかは不明だ。

 ただ、子供連れの若夫婦もリア充と言うのならば、それはもう化け物共の巣窟だったことは事実である。


「私、自分の事が嫌になった」

「全員に爆散しろとでも思いましたか?」

「いや、どうせこの人達もすぐ別れて、いずれ今日の思い出が黒歴史になるんだろうなーって思って」

「拗らせてますね」

「通常運転と言えばそれまでだけど」


 ため息を吐く杏音に苦笑する俺。

 出会った時からこの人はメンヘラだったし、俺は今更何とも思わない。


 再び参考書を漁る杏音。

 受験までまだ時間のある俺は参考書を見てもしょうがないので、ふと背後の書棚を眺める。

 と、そこには平積みされたエッッッな雑誌たちが。

 うほぉ、こりゃ宝庫じゃな。

 18禁の黒い仕切りが施されているが、大した意味は為していない。

 隠すならちゃんとしやがれ。


「何見てるの?」

「ぎょえっ」


 エロ本に目を奪われていると、杏音が振り返ってくる。

 そして俺と、その視線の先にあるブツを見比べて何とも形容しがたい表情を浮かべた。


「……こんなところに置いてあるのが悪いと思うんです」

「そうね」

「受験生の勉強を邪魔するのは、やはり性欲なんだなって」

「うん、で?」

「……」


 別にちょっと見てただけなのに、なぜここまで問い詰められなければいけないのか。

 俺はドМじゃないし、この手の攻めに興奮する趣味はないんですが。

 と、不満げな俺に杏音は吹き出す。


「どうしたんすか?」

「いや、相変わらずキモいから」

「まぁ通常運転です」

「そうね。悠は初めて会った時からキモかった」

「ドブにハマって汚かった上に、泣き喚いてたメンヘラという爆弾を介助してあげた優しい俺に、なんてこと言うんすか」

「はいはい、その節はお世話になりました」


 もはやネタになりつつあるのか。

 前は若干申し訳なさそうな顔をしていたはずなのに、今は軽く流されている。

 なんだかんだでもう二週間だもんな。


「そう言えば、今日は本当にどういう意図でダブルデートに参加したんですか?」

「……」


 何の気なしに尋ねると、杏音は珍しく浮かない顔で黙り込む。


「杏音が何の企みもなくあんなイベントに出てくるとは思えないんですけど」


 恋愛を毛嫌いし、さらにイベントごとが嫌いな彼女にしては些か奇妙過ぎる行動だった。

 そもそも俺でさえ行くのを渋っていたわけだし。

 そして、今朝言っていた事を思い出す。


「話したいことがあるって言ってましたけど」

「……」


 杏音はしばらく黙ったまま硬直する。

 ぼーっと下を向いたまま、時は流れ。


「あの二人、別れそうじゃない?」


 ぽつりとそう言った。


「芽杏と小倉ですか?」

「そう」

「……まぁ上手くいってはないですね」

「でしょ?」


 それこそ数日前に二人から相談を受けた俺は、あいつらがどうすれ違っているかを知っている。


 何が言いたいんだこの女。

 問い詰めるように鋭い視線を向けると、彼女は俺から目を背ける。

 その様は少し気まずそうだ。


「芽杏から一昨日相談されたの。小倉君と上手くいってない。どうしよーって」

「それで?」

「だから別れたいのかどうか聞いた。そしたら、わかんないって」

「……」


 杏音は歪んだ笑みを浮かべると、不思議な調子で続けた。


「うじうじした恋愛相談なんて面倒でね、どうせならさっさと別れればいいのにって思った。っていうか、正直悠と付き合ったらいいのにって」

「おい」

「そしたら悠も恋愛恐怖症を治せるだろうし、多分芽杏も小倉君と付き合い続けるより幸せになれる」

「そんなの、わかんないだろ」

「少なくとも私は悠と芽杏の両方の性格を知ってる。そして悠なら、芽杏の事を大事にするだろうって事も」

「……」


 気持ちが悪い。

 脳が沸騰するかのような感覚だ。

 でも、その根源となる感情が分からない。

 怒りか、恥ずかしさか、はたまた嬉しさか。


「ねぇ、芽杏の事好きでしょ? 今ならまだ間に合う」

「……やめてくれ」

「このままだと拗らせるよ? 私みたいになりたいの?」

「……」


 この前、俺の家で聞いた話がリピートされる。


『まず恋愛を恐れるようになる。身近に失恋する人を見れば恋愛なんてしなきゃいいのにと思い、芸能人が恋愛スキャンダルで干されるのを見れば恋愛なんて諸悪の根源だと思う。そしてどんどん恋愛を拒絶し始めて……最終的には誰の事も好きになれない。恋愛感情そのものが消える』


 杏音のあの苦しそうな語りが、鮮明に思い出された。

 俺はあんな風にはなりたくない。

 なのに。


「いいんです。NTRはするのも見るのも好きじゃないですから」

「……やる気満々じゃない」

「モノの例えです」


 俺は逃げた。

 あの日と同じく、ネタに逃げた。

 杏音が茶化してくれるだろうと信じ、誤魔化した。

 そして彼女も俺の意図に気づいたかのように、フリに乗って茶化してくれた。


 諦めたような杏音は、申し訳なさそうな顔で俺を見る。

 そんな顔はやめてほしい、ズルいのは俺だ。


「ごめんね。余計な事した」

「昼に言ってた余計な事ってこれの事ですか」

「うん」


 余計ではない。

 少なくとも杏音は俺に気を遣って機会を設けてくれたんだ。

 そして、満更でもない自分が嫌いだ。

 俺だったら上手く付き合えるかも、なんて思ってしまって最悪な気分である。


「帰ろっか」

「そうですね」


 消え入りそうな杏音の声で、俺達のデートはあっさりと終わった。

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