2023年8月15日(火)
途中、スーパーで買った電池式充電器では、やはり出力が足りなかった。
端末に差したまま三十分ほど待ってみても、過去カメラのバッテリーは十パーセントも回復しない。おまけに苛々と充電を待つ間、自前のスマホには家族からひっきりなしに電話がかかってきて、とてもじゃないが無視し切れなくなった。
どうやら
仕方がないので再び
家を飛び出してきたときからまともに時計を見ていなかったが、気づけば時刻は二十時をとうに回っていたようだ。
「あーっ、お
「
「……ごめん」
「あんまり帰りが遅いから、みんなごはん先に食べちゃったわよ。あんたも食べるならあっため直すから、手洗って席に座って。まさかどっかで食べてきたわけじゃないわよね?」
「いや、食べてきてはないけど……」
「優星。ずいぶん急いでたみたいだな。途中俺の車とすれ違ったのに、クラクション鳴らしても見向きもしなかっただろ。何かあったのか?」
と、今度は俺に背を向ける形で座っていた父が、椅子ごとこちらへ向き直って尋ねてきた。うちの父はもともと物静かというか、あまり感情を表には出さないたちで、質問の口調にも責めるような響きはない。
が、さすがは二十年年来の教師と言うべきか、
「いや……そんな大したことじゃないんだけど。ただ、ちょっと、友達から急な呼び出しがあって……」
「そうか。友達に会いに行くって感じの剣幕には見えなかったけどな」
「さっきはマジで急いでたから……電話に出れなかったのも、そいつと話し込んでたからだよ。でも、別に何かあったってわけじゃないから。それより、結」
「何?」
「おまえ、昨日は晩飯食ったあと何してた?」
「は?」
「俺はすぐに部屋に戻ったけど、おまえは何してたんだってこと」
「何って、あたしも部屋に戻って塾の予習してたけど……急に何?」
「いや、そっか。分かった」
「分かったって何が──てか、お兄! どこ行くの、ごはんは?」
「ああ、飯はあとでいい。自分で適当に食べるから置いといて」
俺は
すぐに二階の廊下に出ると、奥にある自室へ直行──はしなかった。
俺が階段を上がってくるや、それを察知してパッとともったダウンライトの明かりに照らされながら、手前に見える結の部屋のドアへと向き直る。
確か昨日の晩も食事をしたのは父が帰宅してから……時間にすると、確か十九時過ぎのことだった。で、二十時頃には食事を終えて、銘々夜の時間を過ごしていたと記憶している。ということは昨日のこの時間には、結は既に部屋にいたはず。
そう推論を立てて、部屋の主の許可も取らず、勝手にドアを開けてみた。
当然今日の結はまだ
そうと知りながら壁のスイッチを押し込み、明かりをつけた。思えば実家に帰ってきてから、妹の部屋に立ち入るのは今日が初めてだ。うちの兄妹はまったく不仲というわけではないが、いわゆる十代後半の「気難しい年頃」に差しかかった妹は家族との距離を計りかねている様子で、俺もちょっかいはかけなかった。
何しろ数年前の自分もそうだったから、今はそっとしておくのが一番だろうと判断して、こちらからはあまり干渉しないよう気を遣ったのだ。
ところがそんな俺が今、無断で結の部屋へ上がり込んだのは他でもない。
神明社で起きたあの事象をもう一度再現し、確かめるためだ。
「昨日は二〇二三年の八月十四日……」
と小さく声に出して己を急かしながら、充電器をぶら下げたままの過去カメラを素早く操作する。神明社でもそうしたように、まず端末内日時を昨日の日付に変更し、時刻は今の時間に合わせた。次いでカメラを室内に
昨日の結だ。画面の中の結はベッドに寝転がり、退屈そうにスマホをいじっていた。……確かあいつはさっき、塾の予習をしてたとか言ってなかったか?
まあ、いい。自分の時間を何に使おうと、それについては個人の自由だ。
ゆえに事実関係はひとまず気にしないことにして、俺はカメラを構えたのとは逆の手で、慎重に画面の中の結に触れてみた。
すると次の瞬間、画面が再び明転し「発信中」の文字と共に十一桁の電話番号が浮かび上がる。何でもスマホに登録してしまえば済むご時世、いちいち他人の番号なんて覚えちゃいないが、間違いない。これは結の携帯番号だ。
『……はい、もしもし。
ほどなく耳に当てた受話器の向こうから、やや警戒した様子の妹の声がした。
やはり俺の仮説は正しかったらしい。
そう確信すると同時に込み上げてきた昂揚を抑え、何とか平静を装い口を開く。
「結。俺、優星だけど」
『は? お兄、なんで非通知でかけてくんの?』
「ごめん。なんか電話かけるの久しぶりすぎて、変な操作したっぽい。いつもはLINEしか使わないからさ」
『てかお兄、今どこ? 部屋にいるんじゃないの?』
「部屋だよ。おまえは?」
『あたしも自分の部屋にいるけど?』
「じゃあ、ちょうどいいや。ちょっとさ、今日が何日か教えてくんない?」
『はあ?』
「だから、今日は何年何月何日か教えてくれよ」
『……お兄、もしかして頭おかしくなった? そんなの自分のスマホ見ればすぐ分かるでしょ?』
「いいから」
『はあ……意味分かんない。今は西暦二〇二三年、八月十四日月曜日ですけど?』
「……十四日? 十五じゃなかったっけ」
『十四です。何なの、日付変更線の向こうにでも行ってきたわけ?』
「……ああ、そうとも言うかもな。悪い。サンキュ」
不機嫌そうな結の問いかけにそう答えるが早いか、俺はすぐさま通話を切った。
すると画面は再び過去カメラの映像に切り替わり、ベッドの上の結がスマホを見つめ、不審そうに眉をひそめる姿が映し出される。だがそれを最後にまた充電切れを知らせるメッセージが表示され、過去カメラは画面ごと沈黙した。こいつはもう当分起動できそうにない。とはいえ今の実験ですべての合点がいった。
やはり神明社で俺が言葉を交わしたのは、三年前の
「そんな機能があるなら先に言えよ……」
と思わず悪態をつきながら、されど俺の口角は感情とは裏腹の角度に持ち上がった。──これだ。これさえあれば。
そう叫び出したい衝動と
「おい、結」
「……何?」
「昨日の夜さ。俺、おまえに電話かけたよな?」
「あー、うん。そういやアレ何だったの? いきなり意味不明なこと
「……やっぱり」
「は?」
「やっぱり、過去に干渉してる……」
確信と共にそう呟きながら、俺は手の中のスマホへ目を落とした。
少なくとも俺は昨夜、結に電話をかけた記憶はない。
そもそも同じ家の中にいるのにいちいち電話を挟んで会話するほど俺は横着じゃないし、結ともそこまで疎遠じゃない。なのに結には俺と通話した記憶があるということは、このスマホを介して俺が過去を変えたのだ。
そしてまったく同じ事象を、俺は充電器を買うべく立ち寄ったスーパーの駐輪場で確認した。自転車のカゴの中で、電池式の充電器がモタモタと過去カメラのバッテリーを回復している間、暇を持て余した俺は改めて歩叶の日記を開き、そこにある記述が一時間前に見たものとは変わっている事実に気がついたのだ。
日記の一ページ目には、歩叶がお参りに行った神明社で、俺と話したと書かれてあった。非通知でかかってきた電話を取ったら、かけてきた相手は俺だった、と。
これはたった今、俺が実験で再現した事象とまるで同じだ。さっき電話で話した昨日の結も、何故非通知でかけてくるのかと不平を言っていた。
でもって歩叶と別れてから、俺は一度たりとも彼女と連絡を取っていない。それだけは絶対に間違いのないことだと、三年前の俺の不甲斐なさに誓って言える。
つまりこのスマホをうまく使えば、過去を変えられる──
そう理解した刹那、俺の心音以外のすべての音が世界から消失した。
まるで脳と心臓の位置がすっかり入れ替わってしまったみたいに、ドクドクと耳もとで動悸がする。何故なら過去を変えられるということは、すなわち歩叶を救えるかもしれないということだからだ。もしもあの日、忘れもしない二〇二〇年十二月二十四日、歩叶を襲った悲劇を
「……おい、結」
「はあ……もう、何?」
「おまえに頼みたいことがあるんだ。五分だけでいいから──ちょっと俺の部屋に来てくれ」
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