第5話 猟犬 対 珍獣 対 ?


 珍妙な生き物がすいすいと廊下を飛んで行く。かなり自由気ままにふらふらしているが、それでもかなりの速さで飛んで行く。カイムとジェイドは必死で追い掛けるが、その飛び方があまりにも速すぎてカイムどころか、強靭なジェイドすらも、ついて行けていない。


 珍獣は偶に振り返っては、カイムとジェイドを見詰め、互いの距離が空き過ぎると、停止飛翔をして二人を待っていた。中空でくるくる反転したり、ふわふわと上下左右後前と行ったり来たりして、カイムとジェイドをと待っているようだ――というか完全に待っているだろう、これは。


「この畜生めが!」


「もしかして僕達、遊ばれていないか」


「もしかしてではなく、完全にだろうが」


「館を見て回られたら困るなあ」


 カイムはのほほんと笑う。


「もう少し危機感を持て、俺達丸裸にされるかもしれないんだぞ」


「なら、頑張れジェイド!」


 カイムがジェイドの背中をバシッと気合いを入れるように叩くと、彼は途端に速度を上げて、カイムを置き去りに、猛然と突っ走って行った。あっと、言う間に珍獣とジェイドの姿は見えなくなり、カイムは息をつく。


 カイムは真っ直ぐ続く、長い廊下を遠く見渡す。


「やり過ぎたか? 幾らあのジェイドでも筋肉痛になるかもな。それにしても、久し振りに運動したな。なんだか不味いなこれは、完全に体力が落ちてる。デスクワークのし過ぎか……」


 カイムは長々と息が軽く上がり続けている。息が落ち着くのを待ってから、通信機を使ってチェスカルへ通信する。


「チェスカルもこちらへおいで。ジェイドの背中を押したけど、一人で捕まえるのは多分無理だろう。他のコも呼んでくれ。皆で捕まえるぞ」


 カイムは館内に待機している影の猟犬ゴーストハウンドを全て駆り出した。


 カイムが独り廊下でしばらく休んでいると、焦ったようにチェスカルが遠くから走り寄って来る。カイムの顔を見ると一つ息をついて、その歩みをゆっくりとしたものへ変えて、彼の元へ近付いて来る。


「カイム様、お独りでいらっしゃってはいけません。隊長の背中を押されたと、仰られたから、お独りになったのではないかと思い、急いで来ましたが、案の定……館内とは言えどお独りになってはいけません。隊長と離れてお独りでいらっしゃるなど、軽率に過ぎます」


 チェスカルは独り独りと、やたら同じ言葉を連呼しているが、そのしつこさに自分で気付けない程、独りで居るカイムを見て慌てているようだった。


「うんうん、はいはい、なるほどなるほど……と、言うわけでチェスカルも行って来い」


 チェスカルの背中をバシッっと、ジェイドの時と同じように叩く。


「カイム様それはないですよ。私はお側に残ります。せめて猟犬を一人……」


 チェスカルは文句を言いつつ仏頂面で、カイムを振り返りながら、名残惜しそうにそろそろと走り出す。彼は酷く苦々しげな顔で、これまたあっという間に突っ走り始めた。


 顔と言葉と行動が齟齬を起こしたまま、廊下の先へ見事に消えて行った。


 カイムは独りで気楽に鼻歌を歌っていると、ぼんやり眠気が襲って来て、瞼がとろんと落ちて来そうになる。そうしていると、ゴーストのエルド・シュライフが息を切らして、走り寄って来た。


「カイム様、何事ですか?」


 エルドは猟犬イヌらしく、がっちりした骨格と、百八十五センチという、猟犬としても高身長に属する、恵まれた体格を持つ青年だ。


 そして、彼は見て直ぐに分かる程に、こわい髪質をしていて、濃厚な栗色をしている。その扱い辛さから、子供の頃から短く刈られているので、丸い顔が余計に丸く見えるのだ。


 大人になってもエルドが同じ髪型をし続けているのは、完全にカイムの影響だろう。カイムは幼いエルドの頭を毬栗いがぐりと言って、特別よく撫でて可愛がっていたのだ。


 彼は眼もまた特徴的で、瞳の輪郭が青く、虹彩へ向かう程暗くなるという、不思議な瞳だった。


「チェスカルに聞かなかったのかな? 館内に獣が紛れ込んでいるんだ。でも、いいかい。武器具は絶対に使っては駄目だ。傷付けてはいけないよ」


「かしこまりました」


 エルドも猪のように突進していった。


 影全員で協力させれば、ほぼ無尽蔵の体力を持ち合わせたかのような集団として、機能してくれる。しかも、一匹の獲物を追うという猟犬ハウンドドッグを夢中にさせる条件が整っていて、カイムはあまりこの状況を心配していなかった。


 というわけで、カイムは相変わらずとしたまま、廊下の壁に寄りかかっている。そうしていると、ついついまた、うとうとし始めてしまう。カイムは連日のハードな仕事で、殆ど眠れていなかったのだ。立ったまま半分寝ていると、通信が入って来る。ぼやけた思考のままジェイドに応える。


『珍獣を見失った』


 ジェイドが聞くに堪えない、凄まじい悪態をついている。


「……はいはい了解。頑張れ、ジェイド。負けるな、ジェイド。僕の猟犬イヌ共、君等なら出来る。君達に不可能はない!」


『舐めてんのか、ボケカス』


 主人へ対して酷い言いようだ。


 大欠伸をしていると、まるで返事をするように、頭上から仔猫の鳴き声がして来る。驚いて見上げると珍獣が浮遊しながら、カイムを興味深そうに見ていた。


 珍獣も何故か口を大きく開けて、大欠伸をしている。カイムが試しに欠伸の真似をして見せると、再び珍獣も欠伸をしてみせた。どうやら、カイムの真似をしているようだ。


「あ、ええと……この場合は、おいで、かな?」


 カイムは仔犬でも呼ぶように、手を差し出す。珍獣は頸を傾げて、カイムの手に近寄って来ると、そのネズミのような手で、彼の手を握り返して来る。


 奇妙な生物の手は、手首から指先に近いほど毛が疎らになり、桃色の皮膚が露出していて指先には爪がなかった。


 カイムがそのまま胴体を掴んで抱くと、何の抵抗もせずぬいぐるみのように、大人しくその腕に収まった。その珍獣の大きさがカイムの腕の中で、しっくりと収まり抱き心地が最高だった。まるで幼い子供がお気に入りのぬいぐるみを抱き崩して、自分の身体にぴったりと合うような形にしてしまったような感覚がある。


「……か、かわいい」


 天鵞絨びろうどのような毛並みの手触りが驚く程良く、更に体温が高くてかなり温かい。抱いていると、とても気持ちが良かった。カイムは廊下に誰もいないか慎重に見回すと、ひっそり頬ずりしてみる。すると、珍獣はくすぐったそうに鳴いて、喜んでいる感じがした。


 カイムは試しに珍獣のお腹をくすぐってみると、明らかに喜んで笑っているかのように鳴き声を上げる。くすぐるのを止めると、催促するようにカイムの手を握って頸を傾げている。


 ――赤ん坊を抱いているみたいだ。


 なんだかとても満たされた気持ちで、珍獣をあやす。


 調子に乗って高い高いをしてあげると、大喜びをしていた。カイムは嬉しくて嬉しくて、何度も高く掲げると、くるくると回ってあげた。


 カイムは完全に子供好きだ。


 周りは殆どゴリゴリのゴツい猟犬ばかりだからか、カイムは心に謎の潤いを感じた。


「ペットでも飼おうかな……」


 カイムは誰にも知られないように、ぼそりと呟く。だが、飼ったら凄まじいが起きそうな予感がして、自分の立場にため息をついた。


 のんびり撫でながら、ジェイドへ連絡を入れる。


「なんかもう、捕まえられたからいいよ。皆、解散。はい、お疲れー!」


 ジェイドが怒り狂っているのが伝わって来る。他の猟犬も似たりよったりであろう。


 勿論、カイムは分かっている。彼自身の態度が悪過ぎる。しかし、もう、正直気が抜けているのだ。投げやりだとも言っていいだろう。


 この可愛らしい生物を触ってから――僕、少し休んだ方が良いのかもしれない――というように、己の疲労を自覚してしまったのだ。


 ジェイドが戻って来るまで、しばらくまったり珍獣を撫でて、その感触を楽しんでいると、ドスドスと叩きつけるような足音が聞こえて来る。突っ込んで来る勢いで、ジェイドがカイムの元へ戻って来た。


「お前は不用意に触るんじゃない! 何かあったらどうするんだ」


 ジェイドはカイムの手から珍獣を奪い取り、猫の仔を運ぶように首根っ子を掴む。


「その持ち方は痛がるんじゃないか」


「知らん、とにかく得体のしれない物を触るんじゃない」


 ジェイドは本気で怒っている。


 カイムはジェイドの剣幕がおかしくって大笑いする。だが、もう半分空笑いだったのだが。


「こんな軽率な奴、主じゃなかったら、ぶん殴っているところだ」


 ジェイドも中々に難しい心情らしかった。

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