第13話 救うということ
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ヘルレアはジゼルを片手に抱いたまま、鼻で嘲笑う。
「偉そうな事を言って、結局は他人任せではないか」
「さすがに数が数なので。人間の僕一人だけでは無理があるかと」
「まあ、いい。随分と笑わせてもらったからな――だが、この子供はもう一般社会へ置くのは無理だろう」
「そうですね……下手に放置すれば悪用されかねません」
「でたらめに綺紋地味たものを
「綺紋官能がないのに、どうして綺紋を利用出来るのでしょう」
「こんなものは綺紋ではない。綺述に整合性がなく、おまけに虫食いだらけでまるで成立していないんだ。駆動できる理由が、冒涜的なものであるとしか考えられない。レグザイアの狂信者が。一体何を掘り返して来た」
ジゼルは寝息を立ててぐっすりと眠っている。ヘルレアはその姿を見ると、溜息をついた。
「殺してやるか……」
「そんな、駄目です。この子に
「だが、こいつはどうにもならない。放って親元にでも返してみろ、綺紋モドキが悪さして、直ぐに破綻する」
「出来るならそのまま
「知らぬ間に仲間へ引き込まれて、一生恨まれるぞ」
「分っています。それだけの覚悟が無いなら言いません」
「バレたら誘拐犯ではないのか」
「そこは心配しないで下さい。戸籍も
「ライブラの私がどうとか言っていたが、お前達も相当ヤバいな」
「今更、何を仰る。王には言われたくありません」
「仕方ない、連れて帰ってやれ。民間人の所へ置くよりはいい」
ヘルレアは黒鉛のようなナイフを取り出すと、ジゼルの首輪を切った。首輪の下には文字が焼印されており、ヘルレアはその文字を細く切り付ける。
「今はこれしか出来ないが、しないよりは抑えられるだろう」
猟犬がカイムへ車を寄せた事を伝えに来た。
倉庫を出ると車が横付けされており、ヘルレアはジゼルを乗せると、そのまま王自身も乗り込んだ。
カイムは思わず棒立ちしていた。まさかここまで素直に車へ乗ってくれるとは思わなかったからだ。
ヘルレアが顎でカイムを呼ばわる。
「カイム、勘違いするなよ、このガキへのちょっとしたサービスだ」
「サービス?」
「もう少し人間として暮らし易いようにしてやるって事だよ。このままではおそらくただの人形のままだ」
「そんなに酷いんですか」
「一体、何を見ていたんだか」
「切っただけでは駄目なんですね」
「あれはカイムへのサービスなんだけどな。あれをしないと盗聴、盗撮、位置特定等々の可能性があるぞ」
「それはありがとうございます。手間が省けました」
「猟犬には過ぎた事をしたようだな」
「感謝しています」
車は倉庫街を抜け人通りの多い商店を走る。先程、カイムとヘルレアが買い物していた店が横目に過ぎて行った。
「この子供はどうするんだ。まさかカイムが育てるのか」ヘルレアは笑う。
「さすがにそれは、今の時制では無理です。それに僕、独身ですし。職員に託します。でも、目の届くところには置くつもりです」
「よく見ておいてやれよ、まともな人生は送れないぞ。殺してやる方が慈悲深い施しになるかもしれない」
「ご心配無く。彼女が仲間になった以上、僕が見守るのは義務です。ですから王に生命を差し出すわけにはいきません。今はたとえ幼く、自らで立つ事もままならなくても、人は直ぐに成長します。いずれ彼女自身で道を選ぶ時が来るでしょう」
ヘルレアは少し考えているようだったが、ジゼルへの関心を失ったように外を眺めだした。
「ヨルムンガンドだ、王だ、と馬鹿な連中ばかりだ。私はそいつらに付き合うのは、もう辟易している。何をそんなに有難がっているんだか。このガキもいい迷惑だろうに」
「それは耳が痛いです」
ヘルレアの横顔は微かに笑っている。
「お前も馬鹿な連中の一人だものな」
「この子のような子を、作らないように生きてきたつもりでも、知らないところでは多くのものを傷つけている……分かっているつもりです。それでも、そう生きずにはいられない――愚かしい限りですね」
「理解はできる。でも、同情はしない」
「同情は必要ありません。いつか罰は受けましょう」
ヘルレアが鼻で嘲笑う。
「お前、碌な死に方しそうもないな」
「今更なお言葉」
カイムは館へ着くと、出迎えたマツダへジゼルを抱いて渡した。ジゼルを寝かせる部屋は事前に用意させていて、カイムとヘルレアは館の一室へ案内された。
マツダがジゼルを二つ並ぶベッドの内、一つへ寝かす。すると、ヘルレアがバッグからシャマシュを取り出した。
「いいか、カイム。シャマシュはこのガキにくれてやる。このネズミを先程の首輪のように駆動させることによって、綺紋モドキをある程度は押さえ込む。これはもう外せなくなると考えてくれ」
「よろしいのですか」
「使うべき時に使えばいい。惜しむことはない。もともと持っているのが間違いなんだ」
「意味が図りかねます」
「知る必要はない」
ヘルレアがシャマシュを投げると、ジゼルの元へ飛んでいき頸に触れた。シャマシュは溶けるように消えてから直ぐに、ジゼルの頸に黒い帯が浮かび上がった。
「これでいいだろう――そして、もう一度確認の意味で言っておかなければならない事がある。先に言ったように、民間人の元へ置けるだけの安全性は保証出来ない。だが、猟犬ならば、と、いうことだ。私ならジゼルをこの部屋から二度と出さない。今更、飼ってやれる程、余裕がないとは言ってくれるなよ。大金持ちの青二才」
「それは、あまりにも残酷ではありませんか」
「馬鹿を言うな、何が残酷だ。お前が生かしてくれと言ったのだろう。今更、どうにもなるまい――それとも今すぐ頸を刎ねてやろうか、簡単にケリが着くぞ」
「それだけは、お赦しください」
「ならば、ペットとして可愛がってやれ。十分、見目がいいだろう。成長すればいい慰み物になる」
「ヘルレア、そのような仰りようは、彼女の尊厳を傷つけるものです」
「
「あなたほどに力のある方が、こんなにも幼い子を、言葉で傷つける意味はありますか」
ヘルレアはカイムを見つめる。その鋭い眼差しは、カイムへ何も告げてはいない。
「底辺の生き物を踏みにじるのは、理屈抜きに楽しいものだ――なかなかに惨めではないか。狂信者共に利用され、親もなく、猟犬に拐われて、一生部屋に閉じ込められる。馬鹿馬鹿しい人生だとは思わないか」
「あなたは痛みを知っているはずです。だから、人の側にいてくださるのではないのですか」
「カイム、私は人間をどれだけ
「王が人の言葉に背を向けてしまう方ならば、僕は何も言いません。正すべき価値を見いだせるからこそ、何度でもその意味を問いかけましょう」
ヘルレアがしばらく無言でいると、唐突に小さく吹き出した。カイムは思わず瞬く。
「ちょっとした仕返しだったんだけどな――何を答えられても、聞き入れられない愚か者とお思いですか、だと? ――よくわからないが、カイムに驚かされて腹が立ったから、煽りに煽ったというわけだ。まあ、完全にこのガキは巻き込んだから悪かったな」
カイムは小さくため息をつく。
彼は膝を折って、王の僅かに高くなった視線へ目を合わせる。淵のような瞳にどこまでも落ちていくよう。
「……ヘルレイア、あなたの言葉は、あらゆる人々が口にする、どのような言葉よりも、多くの人を傷つけるのですよ。力を持つご自身の言葉を侮ってはいけません」
どこか自分の子供を諌めるかのような調子が、ヘルレアへどのように受け取られるかは分からなかった。恐怖するべき存在でありながら、同時に、けして道を誤らせてはならない子供のように、カイムは今、ヘルレアの側にいる。
ヘルレアの手が伸びて来る。この手が何をもたらすのかは分からない。
王の白い手がカイムの顔に向かってくると、鼻を優しくつまんだ。だが、仄かに痛い。
「調子に乗りやがって……でも、そうだな。一々、引っ付いてくるカイムに、怯えられても困るからな。鬱陶しいったらない」
カイムは微笑む。言葉が――心が、通じるという幸福。
ノイマン会長が残してくれたものは、あまりにも大きい。
「僕は怖がりですから、どうかよろしくお願いします」
「よく言うわな、その優男顔でアウトローの代表のようなクセして。
「よろしいのですか」
「……正直私でも何が起こるか分からないから仕方ない。館がなくなるくらい、大爆発するかも」
「それは、かなり困りますね……」
ヘルレアはベッドの側に椅子を持ってくると、どっかりと腰を下ろしてしまう。
「これはもう、根比べだな」
「ならば、僕もここにいますので……」
「お前、仕事はどうした?」
「今、していますのでお構いなく」
「ああ、なるほどな。大した仕事だ」
ジゼルが寝言をこぼして寝返りを打ち、掛け布団がづれると、カイムがひっそりと直してあげる。
「カイムは子供好きみたいだな――いや、変な意味ではなくて」
「そうですね、エマがいましたから。こうしてみると、普通の子供と触れ合うのは久しぶりですね」
「子供は館にもいるみたいだが、さすがに首領にでもなると接点がなくなるか」
「残念ながら、会うこともないですね」
「カイムくらいになれば、本当なら女もいるだろうし、子供も二、三人いてもおかしくはないよな。いや、女が二、三人か?」
「ヘルレア、微笑ましい話だったのに、そういうドロドロした話へ話題を持っていかないでください」
「こういう話は面白いって相場が決まっているんだよ」
「好きものですね」
「分かってるよ――お前にはそういう道はなかったってことくらい。双生児と関わる者、皆、そうだろう。血や性に縛られている。恐れているといってもいいかもしれない……何も分からず、ヨルムンガンドに犯された奴らはいくらでもいたようだし。特に双生児と関わり合い続けたノヴェクなら、尚更だ」
「ノヴェクは……しかたがないのです。それにしても、ジゼルの被害は完全にその手合になるでしょうね。何も分からない幼い番を擁立できれば、操れると考えているのでしょう」
「本当に碌な連中がいないな」
「取り締まってはいるのですが、まさにいたちごっこという状態で、捕まえても、捕まえても、終わりがないのです」
「猟犬はそこまでするのか」
「まあ、ライブラとの兼ね合いもあるのですが」
ヘルレアが小さく吹き出す。
「
ジゼルがうなされている。
「……教師様」
「こいつ……」ヘルレアが顔をしかめる。
「いったい、どのような環境にいたのでしょうね」
このジゼルという子供がこれからどうなるかは、カイムには計り兼ねる事柄ではあったが、せめて、できるだけの事はしてやらねばならないと思う。だから、幸福への一助は惜しまない。しかし、当然ながらジゼルの幸せというものはジゼル自身が決めるものである。
あらゆる道を奪ったことは残酷だろう。だが、この異質な世界で彼女なりの幸せを手に入れてほしいと思う。
背負わざるおえなかったもの、そして、猟犬と関わるということ――。
カイムがヘルレアを見る。王がジゼルを見守るその面差しは、思いの外優しくて、カイムはそっと息をつく。
常につきまとう恐れ、あるいは畏れ。竦む自らを御して、真正面から向かい合う事の難しさに、カイムは密かに目を伏せる。
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