第40話 絶望と

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 ステルスハウンドの執務室でカイムは苛立たしげに部屋を行き来していた。特に動いて何が変わるというわけではないのは承知だが、動かずにはおれなかった。


 動かずにいると追い立てられているような気持ちになってしまうのだ。だからこうして意味もなく歩く。マツダに見付かってしまったが、相変わらずのアルカイックスマイルで見逃してくれた。


 エマは何故か見掛けないが、今の姿を彼女に見せたいとは思わないので、少し気が楽だった。


 ジェイドが館へ帰って来るのだ。


 四日前ジェイドとオルスタッドの救助報告が入った。ヘルレアは救助ヘリに乗ったものの綺士の襲撃を受け、それを防ぐために途中で降りて行方不明になったのだという。


 ジェイドとオルスタッドが戻った事は喜ばしいが、ステルスハウンドとしてはヘルレアが最も重要な存在だった。これは揺るぎない事実で、本当ならば何を犠牲にしてもヘルレアを館へ帰すのも任務の一部なのだ。


 しかし、カイムの心情はヘルレア一辺倒とはいかないのも事実だった。


 ジェイドからの報告によると、片王――クシエルと綺士に相対してからの、次なる襲撃で綺士のみを確認。それからの、ヘルレア離脱だった。もしヘルレアがもう一度、クシエルと綺士に出会っていたとしたら、命はないだろうと、ジェイドは言葉を濁していた。


 ヘルレアは単身で綺士を足留めに動いた。


 それもジェイド達――人間の為に。


 ヘルレアを失っていたとしたらステルスハウンドは――カイムはどう動けばいいのだろうか。


 ヘルレアの死という身近に迫りながら、どこか予想外の結末の可能性に、カイムは頭が重い。


 ノックの音にカイムは机に戻り席に着いた。


 入室を促すとジェイドとチェスカルが現れた。ジェイドは少し痩せたようで顔色も悪いが、別段怪我をしている様子もなく、報告通り無事のようだった。


「おかえり、ジェイド」


「俺はもう何十年分の死線を乗り越えて来た気分だ。王といると寿命が縮まる」


「今は休んでくれと言いたいところだが、詳細を報告してほしい」


「詳細か、報告したい事が多過ぎて何から言ってよいやら。とにかく、ヘルレアが死んでいない事を祈るばかりだ……これは報告でもなんでもないな」


「現在の状況は大体は把握している。最も憂慮すべき事態になってしまった」


「実はまだそれだけでは済まないんだ」


「どうした、ジェイド」


「ヘルレアはオルスタッドを助ける為に、綺紋官能の発露とかいうものを現出させたらしいんだ。能力は飛躍的に向上したが、どうやら綺紋自体が使えなくなるらしい」


「だとしたらヘルレアは、その様な状態で綺士に相対したというのか」


「あるいはヨルムンガンド・アレクシエルに」


 それでなくともヘルレアには傷があるのだ。綺紋すら失って、既に王と呼べる状態なのだろうか。


「クシエルはどれ程の強さだった」


「ヘルレアが幼い子供のようだった。手も足も出ないとはああいう事を言うのだと実感した。もう二度とヘルレアとクシエルを相対させたくはない。見るに堪えなかった」


「ならば我々ステルスハウンドでは、路傍の石に等しいな」


「戦いにすらならないだろう。いくら猟犬を送り込もうと、死にに行かせるだけだ」


「やはりヘルレアが必要だ。それも成熟した王が。今の幼いヘルレアではクシエルと渡り合えない。それに再び綺紋を使える様になるかも問題だ」


「だが、もう、生きているかさえ分からないんだ」


「全て裏目に出てしまった。これからどう戦うべきなのか、見当もつかない。猟犬の主人、失格だな」


「俺はあの王ならば何かを変えてくれるのではないか、そう思った。人間の俺ではヘルレアに何一つしてやれなかった。幼い王をみすみす死地に置いて来てしまった……すまない、カイム。俺は無能だった」


「ジェイドに責任はない。誰もヘルレアの意思を曲げられる人間などいない。王はジェイド達を救いたかったのだろう。それを誰が止められる。それが王というものではないのか」


 ヘルレアは幼くとも紛れもなく王なのだ。何者も寄せ付けず。従わず。意思を貫き。生死を下す。孤高の存在。それがヨルムンガンドとして生まれたヘルレアの本性だ。人間など王の裁断をただ待ち続けるしかない。


「……待つしかないんだ。今、僕達に出来る事は何もない」


「時間が立つだけ俺達は首を締められていくばかりだ。あまりに残酷ではないか。どれ程の罪を人間は背負っているというのだ。罰がこれ程苛烈なとがとはなんだ。“向こう側の女達”はいったい何がしたい」


 苦しくていきどおろしくてたまらないのだ。カイムにもジェイドの気持ちが痛いほど分かる。逃げ場もなければ、救いも残されていない。それはどちらの王が勝っても結果は同じなのだという意識が前提にある。


「ジェイド、無理かもしれないが気落ちしないでくれ。僕達はそれでも止めるわけにはいかないんだ……止める事が出来ないんだ。ジェイドは自ら、僕は血統から、踏み込んだその時からこの苦悩は定められたものなんだ」


「これ程猟犬であるのが、辛いと思った事はない」


「過酷な任務に付けてしまったな、すまない。それしか言葉がみつからない」


 あの屈強なジェイドすら辛いと言わせてしまう王同士の争いとは如何に熾烈か。


「カイムは謝るな。これでいいんだ。これからも俺は戦っていくだけだ」


 ジェイドの背後に控えていたチェスカルが一歩前へ出て、ファイルから書類を取り出した。


「カイム様に報告があります」


「せめていい話が聞きたいものだ」


「いえ、最悪です」


 チェスカルは一刀両断する。


「ご存知の通り影の猟犬ゴーストハウンド、班員二名死亡。遺体の収容不可。――次にオルスタッド・ハイルナーですが、脊髄損傷で下半身の機能を完全に失っているとの報告です」


 カイムは思わず立ち上がった。ジェイドも氷付いている。


「それはクシエルにやられたのか」


「落ち着いて下さい。原因がどこにあるのか分かりません。オルスタッドは事故を起こしていたとも聞いていますから、どちらとは特定できません」


 カイムは椅子に落ち込んだ。


 今度こそ終わった気がした。これ以上の絶望などはもう訪れないと思っていたのに。ヘルレア以上の大事はないというのに、オルスタッド達が受けた損害の方が余程胸を抉るようだった。


 十年近く共に前線を生きて来た仲間であり友だ。そのオルスタッドが猟犬でいられなくなる現実を受け止められそうにない。


 いったいオルスタッド達に何があった。


 初めにエリストニアで使徒の騒ぎが起こり、オルスタッド達を派遣した。しかしオルスタッドの班は騒ぎの現場には行かず、何故か、かなり離れた東占領区で発見された。二人の班員は死亡、事故車は発見したものの、オルスタッドのみ不明としてジェイドとヘルレアが捜索し、クシエルに捕らえられている事が判明、救出した。


「と、いうことでこちら報償金の証書を三枚用意いたしました。何故かエマがいないので私が持ち出したものです。悪しからず」


「そう、だな。報償金を慣例で給与しばければ。彼らは良くやってくれた。ステルスハウンドの代表として誇りに思う」


 証書を置いたチェスカルの手が微かに震えている。


「チェスカル、ありがとう」


「特に礼などされる事はしていませんが」


 チェスカルはそっぽを向いてジェイドの後ろへ下がった。


 ペンを取るカイム自身の手も震えている。この署名で何かが切れてしまう気がする。


 ペンを走らせる、その間際。


 伺いのノックもないまま、無遠慮に扉が開かれた。

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