第15話 獣達の舞踏

21



 カイムが書面を見ていると、扉がノックされた。エマは書類を持って部屋に入って来る。


「カイム、協会からの協力要請が入ったわ。蛇が住民の中に紛れており、多数出没しているにも関わらず、未だに掃討出来ていないという事らしいの。事態は急を要していると協会側は申しており、ゴーストの派遣要請をしているわ。どうするべきかしら。影が出払っている今、通常部隊を出動させるしか手はないけれど」


「通常部隊を任務に当たらせる。状況的には確かに影を出して早急に掃討するべきだろうが、残念ながら影は全員出払っている。しかし、出し渋って協会側との関係が拗れるのも得策ではない。協会側の人員の手もあるから、影の手を借りなくても叩く事は出来るだろう」


 ステルスハウンドに通常配備している部隊は、単独行動や比較的単純な行動をする使徒を狩るためにいる。大規模な戦闘行為にも通常部隊は配備され使徒の掃討に働くが、今回のような特殊な状況は私兵と言えども影の猟犬ゴーストが、出動する事になっている。


「直ちに通常部隊を派遣して、協会側と協力して掃討するように通達してくれ」


「それと、アンゼルク・ルドウィン会長がカイムにくれぐれもよろしく、との事」


 カイムは苦く笑った。とんでもなく分かり易い脅しをしてくれる。


「こちらもよろしく、と伝えておいてくれ」


「承知致しました」エマは部屋を辞去した。


 カイムは顔を手で拭った。


 今、猟犬は過去にない程片王に接近しているように思われる。この機会を逃せば次はない。そして、オリヴァンの言う通りヘルレアを逃しても先はない。任務を終えてからでもなんとかヘルレアを引き止めなくては、せっかく繋がり続けている糸が切れてしまう。


 その後どうなるというのだろう。


 ……私が独りで立ち続ける為に、お前の元へ来たんだ。


 王は番を端から求めてはいなかった。


 ただ、独り戦うという決意。


 しかし、番も下僕も持たない未成熟な状態のヘルレアが、正体不明の片王に勝てるというのだろうか。それに、人の世界で生きて来たあの王が、本能へ忠実に生きて来た、暴虐の王と如何程に渡り合えるという。


 ……大切だから棄てたんだ。


 憐れむべき存在ではけしてない。けれども、カイムは思わずにはいられない。過酷な生き方を選んでまで、人を慈しむ道を選んだ、ヘルレアの心を。


 この歪みは悪なのだろうか。王は自然の摂理に反した罪深い存在なのか。そういったヨルムンガンドを創り出した、人間こそが真の科人なのか。


 それでも自らの半身と戦う事を選んだヘルレイア。


 分かっていながら、ヘルレアは覚悟の上で片王と向き合っているのだろう。自らをあえて窮地に立たせながら。


 時間がないのは王であるヘルレア自身が、一番よく分かっているはずなのに。


 カイムは机を撫でてみる。よく磨かれた机はつるりとして滑らかだ。


 父が机に着く姿が思い出された。カイムが机に着こうとすると父は叱るのだ。


 猟犬の主人である覚悟がない者は、座ってはならないと。


 そんな父は、双生児が猛威を振るう時代には生きることがなかったが、カイムは誰よりも父には双生児と向き合う資質があったのだと思っている。


 ――果たして、自分はどうなのだろうか。


 父が失われたあの日から、自分は変わっているのだろうか。何も省みることなく生きて来た。ただそうして生きていくしかなかった。結局は選びようがなかったのだ。それは今でも変わりない。だとしたら、初めて銃を手にしたあの時から、何が変わったというのだろう。


 窓を開けると夕暮れの少し冷たい風が吹き込んで来た。カーテンが煽られて揺れている。風はカイムの髪を乱し、頰に当たる風が心地よかった。長い間、空が暗くなる頃までそうしていると頭が冷えて来て落ち着いて来た。


 ――あの頃より、どんな結果であろうと、受け入れる覚悟は出来ているかもしれない。


 カイムは机の席に着き、静かに深呼吸してショルダーホルスターに納めていた銃を手にした。銀の銃身に細かい文字のような装飾が施されている。そのクラシックなリボルバーの銃を弄んだ。


 いずれ終わる時が来るのも確かだ。絶対とも思える双生児とて永遠ではない。それは、勝利した王にも言える事だ。いずれにしろ王は死に、代替わりして、また人も変わって行く。次の世代に遺せるものは多い方がいい。決して王に屈しないように、立ち向かう術を残したい。先人達のように。


 再びノックの音がするとカイムは銃をしまってから、入室を許可するとマツダが訪ねて来た。手にしたトレーには湯気を上げる紅茶とティーポット、お皿の上にはカイムが好きなパウンドケーキが乗っていた。


「お休みをなさいませんか」マツダが一歩下がると背後にはエマがいた。


「さあ、お二人でお茶を召し上がってください。まだお仕事が長引きそうですから」


 カイムは肩の力が抜ける思いがした。


「マツダ、カップとケーキをもう一セット用意してくれ。マツダもお茶にしよう」



22



 ライブラの新会長アンゼルク・ルドウィンは会長の座に腰を下ろして、タブレットを持った秘書と向かい合っている。


 こざっぱりとした部屋だった。あるのは会長の机と来客用の応接家具のみで、最も目を引くのは一面ガラス張りの壁面で、高層ビルが立ち並ぶ街を一望出来る。足元で見下ろすビル群は霞んでいて蟻の塚が密集しているかのようだった。


「会長、ステルスハウンドから使徒の件で、回答がまいりました。人員を今回の件で派遣するとの事です」


「要請した通り、ゴーストが任務に当たるのですか」


「いえ、通常部隊の派兵を了承しています」


「なるほど、精鋭部隊を派兵する程の事態ではないとのステルスハウンドは認識しているのですね。それは少々困りものですね。特殊な技能を期待して派遣要請をして名指しで希望したのですが」


「私も少々遺憾に思っております。専門家であるはずのステルスハウンドが、今回のように人を翻弄するだけの知恵を持った使徒が多数発生したというのに、単純な掃討作戦で派兵される部隊だけで対応させようというのは一種の驕りなのではないかと」


「まあまあ、それだけ僕等協会の人間を信頼していると考えてもいいでしょう。影を出すに値しない、お前達協会員がいるのだから通常部隊でも協力すれば十分に対応できる、と」


「だと、いいのですけど。私は、いいえ協会はあまりステルスハウンドへいい印象を持っておりません。

 対、双生児の筆頭に位置する数ある中の一つで、付き合いも長いですけど、協会に対する姿勢に敬意が感じられないように思わざるおえません。秘密主義は仕方のない事ですけれど、協力関係を築いている今、全面的に協力してくれたとしても良いのではないかと」


「彼等も、彼等なりの事情があるのでしょう。僕等にも事情があるように。良いではありませんか、引き続き協会の精鋭部隊を派遣しましょう。僕等とて、無能の集まりではないのですから」にっこりと微笑む。


「会長がそうおっしゃるのなら、私も異存はがあろうはずもありません。我が協会の会員は双生児の専門家ではありませんが、ステルスハウンドに劣るはずもありませんから」


「では、早速人選に入ってください。僕も合間を縫って様子を見に行きますから。双生児に関連する事は大事になりかねないのですから、慎重にそれでいて迅速にが、肝心ですよ。さあ、それではよろしくお願いします」


 秘書が部屋を去ってから、アンゼルクは椅子に深く腰掛け足を組むと、机の引き出しからガラス製の爪ヤスリを取り出し、爪を削り始めた。机には爪の粉が散って行く。


 ――猟犬の無能共、今この時になってヘルレアを引き入れるとは。良くやったものだ。


 アンゼルクの諜報員からその情報が入ったのは、ほんの数日前だ。ヘルレアはステルスハウンドに協力はしているもののつがいになる事はないだろう、という報告だ。


 当たり前だ、そうなっては面白くない。それでは、先代の双生児達となんら変わりのない流れになってしまう。


 ――使徒どもが騒ぎ出したのは時期として悪くない。


 ステルスハウンドが影の猟犬を出さなかったは、明らかにヘルレアと関わっているからだ。通常の部隊を出すしか他に手はなかったのだとアンゼルクは踏んでいる。


 何が見られるのか、楽しみでならない。猟犬とヘルレアの成果は何だ。双生児の片王を殺せるのか。それとも綺士を狩れるのか。綺士はまだしも、ヘルレアが番を得たらしい成熟した王を殺せるとは思えない。


 新会長就任に時間を掛けたのは期限を待っていたからだ。ヘルレアはもう長くない。そして番を持つ気もない。どうしようもなく愚かな王は単身、自分の半身とも言える片割れを殺しに行く。筋書きとしては最高だ。後に残るのは何か。殺戮の限りを尽くし骸が転がる街か。それともいっそ焼け野原にしてしまうのか。考えたら切りがないが、結末は破滅にしか向かいようがない。


 アンゼルクは立ち上がると窓ガラスに手を掛け、外の景色を見渡した。


 ほとんどの人間が知らない戦いだ。影に潜み暴虐の限りを尽くす二人は、人間を隠れ蓑にして社会に巣食う。いわば人間社会にとってのである。


 静かな笑いが漏れた。救いようのない現実だ。戦って、戦って、いずれ食い潰されていく。


 ――ヘルレアは今どんな顔をしているか。


 出来るならあの美しい顔が醜く歪む顔が見たい。抗って、抗って、朽ちていく姿が見たい。


「ああ、下手に近付けば殺されるな」


 小さく笑い出すと、それが止まらなかった。涙を流すほど笑って、アンゼルクは窓に拳を叩き付けた。窓の外には人々が暮らす街が広がっていた。


 ――さよなら、僕の愛しい弟妹ヘルレア

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