アンラッキー7

金曜日はサボりの日。

そう決めたのは、あの夏の初めのことだった。


思うに、僕は幸運なのだ。

ほんのりとそう自覚したのは、小学校高学年ころ、だったろうか。


厳しくも優しい両親と、少し手のかかる弟に囲まれた、暖かで裕福なお家。

友人に恵まれ、勉強も運動もソツなくこなせて、幼いながらもまぁまぁ美形。

これで不幸だと嘆いたら、たちまち石をなげられるだろう。

たとえそれが、僕にとって幸福ではなかったとしても。


本当に良いものは地獄からしか生まれない。

そんな不幸をバネに成長する系の、キメッキメな中二臭いセリフに感化されたわけではない。と思いたい。

少なくとも、それを体現できるほどには信じてはいなかった。

両親の期待も、弟の羨望も、友人の信頼も、重たかった。

重たかったが、それを乗り越える力をくれたのも彼らであった。

だから僕は、それを裏切ろうとは思えなかった。


そんな幸運に包まれたまま中学生になった、7月。

塾に通う道すがら、大きな七夕かざりが目に留まった。

それまで僕は、お願い事というモノをなんとなく避けていた。

だってもう十分幸運だったから。

それでもその日、七夕かざりを避けきれなかったのは、そこに短冊を結んでいる一人の少女が居たからだ。


同じ塾で、名前は知らない。知っているのは、しゃんと座った美しい背筋だけ。

ちゃんとするべくちゃんとしている、その芯の通った姿がなんとなく気に入っていて、講義中も意味なく目で追ってしまっていたりする。

僕にとって少し気になる人。そんな彼女が、何をお願いしたのか。

そもそもお願いなんてするタチにも見えない彼女の、その結んだ短冊がどうしても気になったので。

彼女と入れ替わりに笹の葉に近寄り、白紙の短冊を吊るすフリして盗み見た。


「わるいこになれますように」


署名は無く、そうとだけ。

小学生のような丸文字で書かれたその文面は、僕の胸に刺すような衝撃を与えた。

だってそんなの、お願いするまでもないじゃないか。

ほんの少し、お腹の力を抜くだけでいい。それだけで、彼女のあの美しい背筋は掻き消える。

たったそれだけの簡単なことが、しかし、彼女にとっては願うべきことなのだ。


そう理解すると、耳がかぁっと熱くなった。自分の思い上がりが恥ずかしい。

幸運にかまけ、流されつつも、しかし幸福ではないなどと。

誠実なフリをしていても、その実、僕は何にも向き合ってはいなかったのだと思い知った。


慌て、手元が狂い、結ぶフリをしていた短冊が足元に落ちた。

その恥ずかしくもまっさらな短冊と目が合った。

僕の中の、逃げ出したいような気持ちが、それを踏みにじってしまえと唆す。

けれど、それをしたら決定的に何かが欠ける。

その一心で、なんとか短冊を拾い上げ、彼女の隣にきつく結んだ。


そこに書き込むべきものは、僕にはまだ無いけれど。

それでも、風に飛んでしまわないように、きつく、きつく結んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る