午前四時

ヴヴ。ヴヴ。


「―――ゔっせ」


左腕に巻いたスマートウォッチの振動で起こされた。


毛布代わりの上着をどけて、上体を起こし、ベッド代わりにしていたソファに腰掛ける。

アラームが鳴ったということは、今は午前4時ということだ。


学科塔隅にひっそりと設置されたリフレッシュルーム。

ガラス張りの小さな箱の内側から、ほのかに明るみが差し始めている廊下を、一人ぼんやりと眺めて覚醒を待つ。


すぐそばのテーブルには、ノートPCが一台、スリープモードで置かれていた。

今日締め切りのレポートは、その殆どがまだ白紙であった。


「ほんとギリギリ体質ですね先輩は。なにかすることがあるわけでもなく、ただただ時間をムダにして、いつもいつも締め切り間際。毎度のことながら、よくそこまでしてしがみつくものです」


などと言われたのは、つい一ヶ月ほど前だったか。

そのときも、課題に追われて大学に泊まり込みをした後だった。

そのまま出席した1限目の講義、2年次から開講されるそこに、何故か潜り込んでいた後輩。

奴が俺の頬にうっすらと残ったソファの跡を見つけたときに言った言葉だ。


「うっせ、ほっとけ」


「えぇモチロン放おっておきますとも。私も先輩と同じで四六時中暇ですが、先輩と違って稼働率は高いですから。空きがあるなら好きなことをします」


その言葉に嘘はなく、小声で俺をからかう間も、その真っ黒な瞳は常に講義へと向いていた。


「酒にタバコ、食う寝る走る。先輩の日常は逃避の連続です。よくぞそこまで空虚な日々を過ごせるものだと関心します。どれをとってもそこまで好きということもないでしょうに。本当、努力型なんですねぇ」


「あ? 喧嘩なら買うぞ」


「いえいえ、褒めてるんですよ、これでも。そこまで行くなら講義だってバックレてもおかしくないのに、律儀に出席している。課題だって、コピーではなく自力で終わらせてるじゃないですか。まぁ、質の方はお粗末なようですが。それでも間に合わせて、一線を超えないようにしがみついてる。私にはできませんよ、本当に」


微笑を崩さず、姿勢を崩さず。全身を真っ黒な服に包んだアイツの物言いに、心底イライラしたことを思い出した。


「一般に努力には対価が必要ですが、その意味では先輩は一級品です。遊びを捨て、学びを捨て、純粋な無へと変換しているわけですから。払った対価の質で成果が決まるなら、今頃先輩はどれほど偉くなってしまっているのでしょう。その上で俗世までは捨てていないというのですから、これを讃えずして他の何をたたえましょうか」


「やっぱバカにしてんな、お前」


「してませんって、全然。だってそれは、努めてしていることでしょう? 相反する行為を両立しているのですから、どちら側に真意があるにせよ、血のにじむような強い意思がなければできません。好きなことしか出来ない私からすれば、本当に羨ましいくらいですよ」


そうして、言いたい放題言い切ったらしい後輩は、それで満足したらしく、その場ではそれきり話しかけてくることはなかった。


「ギュイイィィィィィィ!」


不意に、廊下から聞こえてくる掃除機の音で思考が中断される。

ぼんやりと覚醒を待つつもりだったのだが、いつの間にか、すっかり外は明るくなっていた。


フーッ、と長く息を吐き、頭を揺する。

締め切りまであと3時間。

下唇をギュッと噛みしめ、真っ白な画面と向き合った。

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