姫巫女は自由を画策する

 ◇


 アデルはロディマスの身元を調査させた。

 結果、彼が罪を犯した罪人にちかい存在として総合ギルドを辞め、盗賊ギルドに移籍したことを知る。


 犯人の娘はその名をライシャといった。

 大火を起こした犯人の娘を不審な人物に預けたことをアデルは後悔する。

 しかし……。


「これから皆と会議がありますからな!」

 と、爺が釘を刺したのだった。


「なっ、なにも考えていないからっ」

「……バーレーンの時のように気楽に王都へと出向くことは一切! まかりませんぞ!」

「はあい……」


 これから面倒くさいことがある。

 それを回避しようとしたわけではない。

 ただ、責任を感じただけなのだ。アデルは不承不承、頷く。


 こうして、ライシャのことは一旦、棚上げになった。




 大神殿の一室で、それは続いていた。

 会議とはよく言ったものね。

 アデルは心で冷たく笑ってしまう。

 これなら北の大地でアザラシを狩っていたほうがまだ、ましだ。


 それくらい、この会議は無駄なものだった。

 少なくともアデルにとっては。


「王国内外からの供物は禁止します。それを徴収していた税もすべて廃止。民の生活に還元しなさい」


 その一言がざわめきの発端となった。

 謁見の場での行為は、アデルの威厳付けに行われた気まぐれなものだと多くの者は考えていたらしい。


 続く一言がそこにさらに拍車をかけた。


「これまでは聖戦への参戦を口実に魔族との対立も容認してきました。けれど、もうその必要はなくなったわ」


 大神殿が当たり前としてきた戦争産業が終わりを告げたことをアデルは示す。

 魔王との同盟はここにいる誰もが知るところだ。

 会議の場は重い沈黙に包まれた。


「派兵も傭兵行為も必要ないわ。各神殿は各種族との和平に尽力するようになさい。これからは奴隷の権利と解放も随時進めていきます」

「そんな横暴な!」


 アデルの右手から抗議の声があがった。

 見るとそこにいるのは幾つかの地方に分かれて神殿を統括する、大司教の一人だった。


「王都の東側に位置するバイナント地方の管理者、トゥワード大司教です」


 ロボスがそっとアデルに耳打ちした。

 彼はアデルの右側に座し、彼女を補佐している。


 バイナント地方。


 肥沃な穀物地帯が広がる一帯を指し、そこから上がる収益は大神殿の経営にはかかせない。

 そして魔族の奴隷や最下層の民である奴隷たちを多く所有する大地主でもある彼には、いまの言葉は痛かったらしい。

 生産力の中心である奴隷を失うのは彼にしてみれば、財産を奪われるに等しいだろう。

 声を荒げたくなる理由も理解できた。


 だが、何が横暴なものか。

 アデルはふんっと鼻息一つでせせら笑ってやる。


「アイギス様が推し進められた王国内の魔族の権利を奪い、奴隷を生産する行為のどこが正しいと?」

「それは聖戦に参加する神の軍勢として正しい行いですぞ! 姫巫女様」


 トゥワード大司教は大柄なでっぷりと太ったおおよそ聖職者らしからぬ男性だった。

 被っている帽子を奪ったら下卑な声でわめきたてる豚にも等しいような人格だ。

 いや、そう言っては豚に失礼か。


 神の名のもとに王国内の魔族やその眷属の数種族におよぶ獣人たちを迫害したアイギスは、潔癖すぎるほどの聖職者だった。

 聖なる側に属する存在の権利を主張し、そこに属しない存在には暴力的すぎるほどの弾圧と迫害を加え、身分をはぎ取って奴隷に落としていった。

 その数は彼女の在位期間だけで十数万に及んだという。


「奴隷は神が望まない行為よ。大司教。太陽神様は平等と和平を望んでおられます。時代が変わったと思いなさい」

「くっ……」


 大司教は拳を固めると悔しそうに顔を歪めて黙ってしまった。

 姫巫女の言葉は神の言葉だ。

 誰も逆らうことは許されない。

 その分、大きな責任も伴ってくる。

 自分が下した最初の決断が正しかったのかどうか。


 炎術師に預けたライシャのことがちらりと頭をよぎる。


「理解していただけたのなら結構。それで、私が決めたことに誰か文句でもあるの?」


 異を唱えればその権力や地位を失い、神殿を追われるかもしれない。

 そう思うと誰もが口を閉じてしまった。


「何もないならそれでいいわ。重要な会議があると言うからきてみたら、こんな話題しかできないの? 他に大事なことはあるでしょう」


 アデルはぐるりと一同を見渡した。

 突き刺さるアイスブルーの視線を受けて目をそらすのは大勢いる。


 彼女を中心として、左右に御椀型に伸びる席にはそれぞれ各神殿の頂点にいる司教、その管理をする各地方の大司教たちが左側に。

 大神殿の統括をする大神官が二人、西の大陸の教皇庁から派遣されてきた枢機卿が一人とこの王国の貴族の代表たる同職の人間が二人。


 これで枢機卿は三人で、それらを含む五人は誰もがアデルの対立派閥だ。

 それは前任者のアイギスが辞めるときに行われた責任者たちの投票でも明らかだった。


「お待ちください姫巫女様。神がそれを望まれたとしても、早急すぎる決断は新たなる混乱を招きかねません」


 涼やかな声が意を唱えた。

 彼ら大神殿内部の権力者が選んだのはアデルの二つ左側に座る女官長。

 名前だけは女官長だが、その職位は大司教と同じ権力を持つイシュタリアが選ばれた。


 しかし、太陽神はその決定を無視して次代の姫巫女にアデルを選ぶ神託を告げた。

 誰もが面白くないはずだ。


「女官長イシュタリア。混乱を招く原因を作ったのはアイギス様だわ。そして、その決断を止めなかったあなた達にも問題はある」

「あれは主が……。太陽神様が認められた姫巫女様の決断に、誰が文句をつけることができるというのです……」


 イシュタリアはそう言い淀む。

 いまさっきまで私の判断にケチをつけていたのはあなたですよ。

 アデルは心の中でそう嫌味を告げてやる。


 もちろん言葉には出さず、にこやかに冷ややかに、嫌味を込めてちょっとだけ笑った。

 イシュタリアの顔が屈辱に歪むのは見ていて滑稽だ。


「あなたがこの席に座れなくて残念ね」

「そんなことは……考えておりません」


 女官長の顔がさらに屈辱で紅潮する。

 まあそうよね、とアデルは納得した。

 本当ならばアデルではなくイシュタリアの方がこの席に座る予定だったのだから。


 奪われて悔しいのは当然のことだった。

 一時とはいえ大神殿の頂点に立てる喜びを享受したイシュタリアが決まりかけていた栄光を抗いようのない権力に奪われたことは、言いようのない虚しさと怒りを彼女に与えろうし、その後ろ盾である実家の大公家にも恥をかかせたことになる。


 アデルの銀髪にアイスブルーの瞳とは真逆の容姿。

 均一のしなやかな金髪は黄金の稲穂を彷彿とさせ、紅玉に近いルビー色の瞳は深い嫉妬と権力への野心に燃える意思の炎をたぎらせている。

 その姿を改めてのんびりと観察。

 異論がどこからも上がらないことを確認して、アデルは小さく頷いた。


「それでは皆に私の意思が伝わったということでいいかしら。迅速な動きと明確な結果を期待しています。奴隷達の解放に関してむやみに命を奪ったりしないように。それだけは明言しておきます」


 いいわね、と改めて一同を見渡した。

 重たい沈黙は紛れもない否定の意思の表れだろうと思われる。


 だがそんなことは知ったことではないのだ。 

 従わないものはどんどん切り捨てていくまで。

 盗賊公女の異名のごとく、アデルはその点には酷薄だった。


 



「あー……肩がこる」


 沈黙を了承と見なし、さっさと自室に引きこもったアデルは重苦しい姫巫女の装束を脱ぎ捨てた。

 豪奢なレースと金糸だのが編み込まれた黒の法衣はそれだけでもずっしりと肩に食い込む気がする。

 これを身につけた時、等身大の鏡に映りこんだ自分の姿。

 一番下の絹の肌着以外、幾重にもそんな法衣をまとい、胸元には色違いのそれらで五つは色違いの服の層が作られていた。


 こんなものを着ていては、不測の事態が起こった時に、まとも動くことすらできない。

 もし、刺客が潜んでいて襲われでもしたら、と思うとぞっとする。

 故郷から連れてきた侍女たちは慣れたもので、「姫様!」と一言難を示すとそそくさとそれらをまとめてしまってくれた。


「あれ、出してもらえない?」

「あれでございますか? 姫様、あれはちょっと」

「いいから出しなさい! 私にこの肌着一枚で過ごせと言うの?」

「ええ……そんなことは言いませんが」


 侍女の一人で歳の近い黒髪の少女は困ったように唇を尖らせる。


「なによ? エミーナ」

「アデル……ここはバーレーンの中ではないのだから、せめて男性のような格好は……」

「あれが一番楽でいいの。スカートなんてひらひらしたもの履いてるだけで嫌になる」

「貴方は姫巫女様なのよ、もう……他の者に見られたらな言われることやら」


 アデルの乳姉妹エミーナはふう、とため息まじりにそう言った。

 動きやすい格好がアデルの好みだ。

 贅沢な絹織物よりも、丈夫で伸縮性がありちょっとごわごわしているけれど肌になじむ木綿や麻織物のズボンにシャツの方が、余程、彼女の好みだった。


「お願いよ。室内にいる時ぐらいそうさせて?」

「はあ……準備して」


 周りの者に、エミーナはそう命じる。

 ありがとうとアデルは破顔した。

 馴染みのある室内着に着替えようやく一息つくと、さてどうしたものかと考えを巡らせる。


 やはり、ライシャの件。

 あれだけは自分が最初に行なった決断として。

 その全てに責任を持つ必要があるとどうしても思えてならない。

 誰か仲介してではなく、アデル自身がその目で確かめなければならない気がしていて止まない。


 今夜、陽が落ちてからこの部屋を抜け出そう。

 壁際に飾られた神器を持ち出し、それを鞘から引き抜いてアデルは刀身をじっと見つめる。

 そこにはロディマスたちの客間で眠るライシャの姿が映し出されていた。


 

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