第5話 草刈りの大鎌

 星空に虫の声。小さなランプの明かりを頼りに、俺は影屋敷の周りを歩いていた。屋敷の中はこれからおいおい覚えるとして、外側くらいは見張りなしで歩いておきたい。外周に何があるか、出入口は何カ所あるか、その程度は頭に入れておかないと、何かあったとき逃げるのに困る。


 屋敷の周囲には延々と草むらが続いている。所々に花畑らしきものも見えるが、面積的にはほぼ大半が草むらだ。しかし、延びきっている草はない。葉の先端が切られているところを見ると、常に草刈りの手が入っているのだろう。


 屋敷の正面側から側面へ、そして後ろ側に回ると、俺の足は止まった。明かりが目に入ったからだ。どうやら窓明かりらしい。近付いてみると、粗末な――だが一家族が暮らせそうな大きさはある――古びた小屋が建っていた。


 足音を忍ばせてそっと窓の中をのぞこう、と思ったところでドアが開いた。ロウソクの明かりを背負い立つのは大柄な老爺。その手に大きな鎌を持って。


「誰だおめえ」


 老爺は大鎌を振りかざす。


「盗人なら殺す。間諜なら殺す。逆賊なら殺す。さあ何だ、言ってみろ」

「いやいやいや、どれでもないです。今日結婚してここに来たので」


 俺が両手を開いて説明すると、老爺は疑い深げに眉を寄せた。


「結婚だぁ? ……名前は」

「スリングっていうんですけど」


「スリング? スリング、スリング……スリング」


 ドスンと音を立てて鎌が地面に落ちた。


「バレアナ姫の御夫君でございましたかーっ! 申し訳ございませんーっ!」


 突然、平身低頭で老爺は地面に突っ伏した。


「ご容赦をーっ! 平にご容赦をーっ!」

「いやいやいや、別にいいから、申し訳ないけど頭を上げてくれないかな」


 すると老爺はヒゲだらけの顔を上げ、涙が溢れんばかりの目を俺に向ける。


「よろしいのですか、この命冥加な年寄にお慈悲をおかけくださると」

「そんな大層なことじゃないから、できれば普通にしてもらえると助かるんだけど」


 まいったなあ、こういうのが一番面倒臭いのに。俺が困惑していると、老爺は急に胡座をかいて胸を張った。


「よござんす! そこまでおっしゃるのでしたらこのザンバ、命をかけてスリング王子殿下をお守り致しましょう!」

「いや、俺は何も言ってないから」


 さっき命冥加とか言ってただろうに。どこまで本気か知らないが、ザンバと名乗る老人は自信満々にドンと胸を叩いた。




 ザンバは代々リルデバルデ家に仕える草刈りの家系らしい。草刈りをする専門職を雇っているというだけでも結構たいしたものだと思うが、それを何代も雇い続けるというのはまた、何とも世間離れした話だ。


「先代様の頃はまだ草刈りも何家族かいたのですが、代替わりされてからは跡継ぎが家を出たり、そもそも跡継ぎができなかったりで草刈りも減り、とうとう私が最後になってしまいました」


「え、もしかして一人でこの敷地を全部草刈りしてるのか」


 俺は古い木の椅子に腰掛けてそうたずねた。床に座るザンバ――椅子に座れと言っても頑として聞き入れないのだ――は汚くてもったいないと恐縮していたが、俺の生まれた家でもそう立派な椅子などなかったしな。


「はい、いまは一人ですべて見ております」

「いまは」


「二十年ほど前までは息子がおったのですが、先の戦争に出ましてな」


 そう言って目を伏せる。俺が生まれる五年ほど前、大きな戦争があったという。もちろん話にしか聞いたことはないが、多くの若者が死んでいったそうだ。


「でも一人じゃさすがに大変だろう。親王殿下に人員を補充してくれるよう頼んだりはしないの」


 しかしザンバは静かに首を振る。


「とんでもございません。私は旦那様に死んでも返せない大きな御恩がございます。できるのはただ毎日草を刈るだけ。それだけなのでございますよ」


 そう深刻な表情で語るザンバだったが、どうもイマイチ信用できない。とりあえず話半分で聞いておこうと思う。でも顔見知りが増えるのは悪い話じゃない。世の中、何があるかわからないのだから。


 さて、今夜の散歩はこの辺にしておくか。あまり夜更かしするのもな、朝起きられなくてまた小言を聞かされても困るし。何にせよ今日は疲れた。俺はとにかく平穏に生きたいんだ、明日は何事もありませんように。

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