第3話 天才

「よし。キリもいいから今日はこれで終わりにしよう。」


二限終了のチャイムが鳴り響く。

三限の化学では『アセチルサリチル酸を作る実験』というのを科学室で行うらしい。

無病診が「この学校絶対おかしいよな。濃硫酸の実験が早いのもそうだが、文理でクラスごちゃ混ぜなのはイギリス料理くらいの酷さだ。」とか言っていたが僕が思うことは一つ。


「硫酸が濃くなるとなんで名前も変わるんだろうか。」


そんなことを考えながら教室内で無病診を探していると彼は自分のロッカーで一枚の紙を持って硬直していた。

そして一度深呼吸をして、そのラブレターと思わしき紙を破いて捨てた。

そうなればいつも通りに無病診は振る舞い出して……。


「捨てちゃダメだろ。」

「同じ人間から今月だけで三回目だったからつい。」

「なんだお前のストーカーか。」


ハッキリ言うと無病診はモテる。

顔はいいし、成績もいい。

部活には所属していないが度々運動部の助っ人として出向くようなスポーツ万能で、何より金持ちだ。

この学校だけで既に四人のストーカーがいてファンクラブなるものが形成されつつあるらしい。

そんな中よく普通に登校できるなとは思っているが無病診自身が気にしていないのでまだ安全ラインにいるのだろう………うん、そうに違いない。


「でもそろそろ対策しないとなぁ。」

「そりゃあそうだろうな。」

「一昨日刃物を持った奴に遭遇したし。」

「確かに危ないもんな?」


無病診は確かタワーマンションに一人暮らしだったよな、防犯設備は整っているだろうがそこまでとなると心配…………ん?


「待て待て待て待て!それ普通に事件だろ?!」


廊下を歩く足を止め、僕は無病診に掴みかかった。

コイツと話していると倫理観がどっかに行ってしまいそうだ。

しかし肝心の無病診はケロッとした顔で「刃物持って暴れるのって犯罪だっけ?」と二、三秒考慮してから「多分犯罪」という結論を下したようなアホ面を晒して会話を続ける。


「そうなんだけどさぁ。事件性にせよ動機にせよ別口かもしれないから断定はしづらいんだよな。」

「別口って何だ?!」


そんな歯医者に通うペースで襲撃があるかのような口ぶりは今すぐやめて欲しい。

駄目だ。無病診の思考に振り回されるのは良くない。

と僕は頭を切り替えて話を続ける。


「もういっそ彼女の一人二人でも作ったらどうだ?」

「一人二人て………しっかしなぁ、そんなので収まるわけねぇって。」

「有月とかなら皆諦めが付くと思うがな。」


有月弥生、うちのクラスで間違いなく一番の美少女。

頭の良さも学年でトップクラス、無病診さえいなければ一位だって取れていただろう。

何よりデカい、FよりのEといったところか。

男女合同で体育をするときなんか多くの男子が目を離せない、僕もあれは毒だと思っている。


彼女が防波堤になってくれればお似合いという一言で済ませてしまえるのだからさっさとそうした方がいい………とは言ったもののお互いに興味無さ気なんだよな。

無病診に至ってはそれ以前に。


「そんな奴いたっけ?」

「忘れてた。無病診にとっちゃ女子の顔なんて識別番号くらいでしかないんだった。」


そう、この男は『滅茶苦茶太っている』とか『リスカ痕がある』とかそれくらいのレベルで無い限り女子を同じようなものと認識している。

逆に言えばそれほど女に興味がないということだ。

これじゃあ彼女が出来たとしても長続きはしないだろう。


そんなことをケロリと気分を変えてしまう無病診の女難さに思わず変な笑みが出た。

そして僕は足を容赦なく引っ掛けられた。


―――――――――――――――――――――――


六限目終了のチャイムが鳴り、この学校には終礼も特に無いためクラスメイトは一斉に荷物をまとめだす。


「無病診、今日ゲーセン寄らね?」

「それはいいんだけどな、お前の妹来てるぞ。」


扉の方に目を向けると青葉がいた。

周りの人間に怯えるような弱腰な姿で。

不思議なものだ、人っていうのはオドオドしている下級生に注目を集めるものなのだ。


「あれ筑紫の妹?」

「マジで?」

「可愛いー!」


一様の反応を見せるクラスメイトの言葉一つ一つが人見知りの青葉へと刺さる。

それでも尚青葉は無病診に指を差して僕を睨みつけるのを一貫していた。

それらを揶揄するかのように無病診が苦笑いで冗談を交えてくる。


「介錯だけなら今からでも間に合うぞ。」

「どう見たってお前も呼ばれてるだろ。」


そう言ったところで僕はそういえば去年から無病診とは連んでいたのに青葉と無病診の二人には特に接点が無かったことに気付いた。

無病診は僕の言葉に鼻根を押さえて嫌な顔をする。


「……………勘弁してくれ。」


―――――――――――――――――――――――


疎らに人が集う街並み、最新流行スイーツの屋台、何故か異常な数ある古本屋とコーヒーチェーン店というありふれた東京の景色…………最後に僕の目には僕の横の人物を凝視する青葉とそこから目線を避ける無病診が映った。


「ええっと、青葉。無病診に何の用があるんだ?」

「兄さんは気にしないでください。

二人が遊び終わった時に無病診先輩と少し話があるだけなので。」

「成る程、タイマンか。」


青葉との会話に無病診が茶々を入れる。

しかしこの一触即発の空気からしたら僕がいなくなった後有り得るのがまた怖い話だ。

青葉は喧嘩に使ったら洒落にならない異能力を持っているので本当にやめて欲しい。

そんな話の途中で赤信号を走って渡る人が目の前に現れた。

スーツ姿にイヤホンをしてごく一般的なサラリーマンを思わせる男性がそのせいで車に轢かれそうになった。


世の中には迷惑な人もいたもんだ、そう思った時僕の横で同じく信号待ちをしていた人が語りかけて来た。


「ああゆうの、よくないよね?」

「え?………まぁ、はい。そうっすね。」


口紅を付け、オリーブ色のコートを羽織った妖艶な大人の女性という都会の街でも怪しさを醸し出す存在が更に怪しいことを自身に向けて口走る。

僕はあまりに突然のことでそれに曖昧な返事をした。

するとその人は笑みを深めて話を続ける。


「交通ルールを守らない人がいるから余計な事故が起こる。私はね、緑信号以外を渡る人間はこの世に不要だと思うんだ。」

「………はぁ。」


どうでもいいかもしれないがこの人青信号のことを緑って呼んでるんだな。


「私達にはそれを正す力………義務がある。

そう、これは義務なんだ。君達もそうは思わないか?」


女性が意味深長な台詞を言い終える前に僕の腕は無病診に捕まれ女性から引き離すように僕の体を動かした。

気づけば青葉も警戒心を上げて女性の方を目を据えていた。


「異能力は世界を正しく変えるための」

「黙れ。」


女性の発言を無病診が一蹴する。

冷徹な目を向ける無病診を女性は笑った。


「おやいいのかい?こんな場所で殺し合いなんてしてみろ君達の立場が危うくなるぞ。」


僕ら異能力者の世間一般的な印象は言わば戦車やミサイルだ。

常日頃異能を持たない人間から恐れられ、問題が起こればこの情報社会で身元の特定や迫害、防衛という名の下に攻撃を受ける本人が悪意を持たなくても潰れるまで止まない事例なんかはよく見るものだ。

事実、最近まで都内で起こっていた連続自販機強盗も痕跡から身体強化系の異能力者によるものと断定されているように異能力者の犯罪率は頗る高い。

だから僕と青葉は家族以外には異能力者であることを秘密にしていたのに………何故露見したんだ。


「それはお互いに、だろ?」

「言うじゃないか。」


ニヒルに笑顔を貼り付けた無病診が苦言を呈する。


「『世直し』をする人員が足りていないのに世間様からマークされるわけにはいかないもんな。

……あー困った困った。不穏分子になるようなら?消してしまおうってアンタらが用意した人員も無能な上司のせいで意味なかったな。」


周りの人間の内数人の空気が変わり、青葉がそれに目を動かす。

『世直し』という言葉を嘲笑いながら芝居めいた挑発をし終えたところで信号が青になった。


「まぁ安心しろ。俺達は『不穏分子』にはならないからな。………行くぞ。」

「ちょ、おい無病診!」


今までにない剣幕で無病診は女に威嚇し僕の腕を引いて先の道路に向けて早足で進む。

というか痛い、ガキじゃないんだから歩くくらい自分で出来る。

そんな中無病診の口から小さな声で独り言が聞こえた。


「………赤信号、皆で渡れば怖くないってか。

青だけの人間なんているわけねぇだろ。」


後ろを振り向くと先程の笑顔とは打って変わって接待をする理由を失くし、色の無い表情をした女性が他三人と共に立ちつくしていた。


―――――――――――――――――――――――


「どうゆうことなんだ!?説明してくれ!」


無病診か案内した個室有りの何処となく怪しい喫茶店に

僕が怒号を上げて無病診に問い詰める。

それに応じて無病診は即座に両手を上げて溜息を吐いた。


「俺もお前も異能力者であること隠してたんだ、俺だけ謂れを受けるのはおかしいんじゃないか?」


すると無病診は「まぁ最も」と言葉を付け加えながら青葉の方を見た。


「お前の方は知らなかったがお前の妹は異能力者だなって確信はあったな。」

「……そうですね。ウチも予感くらいはしてましたよ。」


待って欲しい、話に追いついていけない。

つまり?二人に接点が無かったのはそれを察していたからで、今日青葉が無病診を呼び出したのもそれが理由で………。


「あれ?じゃあさっきの人達は誰なんだ?」

「「さぁ?」」


…………普通に知らない人だったようだ。

このタイミングで


「反社会勢力なんてこの東京に俺が知ってるだけで26もあるんだ、どこの誰だとか気にしてられるかよ。」

「逆になんでお前がそこまで知ってるんだよ。」


僕がツッコミを入れると無病診は話が脱線しかけたからか若干不機嫌になりながら答えた。


「家の事情だ。そんなことより面倒な連中に目をつけられたって自覚が足りないようだな。」

「それはそうですね。兄さんは良くも悪くも普通ですから。」

「ここまで来るとなると筑紫の奴は一人で出歩くのは駄目だな。………っと、そうだ青葉か。登下校はお前が付くとして他にコイツが外出る予定あるか?」

「毎週土曜にバイトがありますね。」

「あー、遅くとも二週間で決着つけるつもりだから………場所さえ分かればクビにはならないようにしとく。」

「だそうです、兄さん。兄さん?」


淡々と述べられていく一連の会話に対して僕は一言物申したい。

お前ら仲良しかよ、と。

しかしそれを言ってまた無病診が不機嫌になるのは明白なのでグッと堪え、僕は会話の大部分の意味を知らぬまま『無病診にならまぁ知られても大丈夫だろう』と思いながら渋々バイトしている場所の情報を伝えた。


「オーケーオーケー。流石に今日遊ぶのは無理だろうし解散ってことで、青葉の話ってヤツも終わった後でいいか?」

「そうですね。兄さん帰りますよ。」

「え?」


なんだか僕が蚊帳の外に置かれている間に色々なことが決まって、僕の生活に大きな何かが起こることまで察した。

しかし無病診も青葉も僕よりなまじ頭が良いせいか僕を置いて会話するのはやめて欲しい、何故ならこの話は僕にも関係あることなのだから。


「待ってくれ!状況が全然読めない!お前らはもっときちんと説明できないのか?!」

「……あーー、ん。必要なことだけ言うなら『異能持ちの反社に狙われてる』『捕まったらどうなるか検討もつかない』『山場は二週間』『それまでお前はバイト休んで一人にならないよう徹底しろ』……以上。」

「掻い摘み過ぎだ!」


山場は二週間とか僕だけ一人になるのが危ないってのがよく分からない。

そんな状態で非日常の焦燥感で少し苛立った僕に青葉は諭すように語りかける。


「兄さんは心配しないでください。」

「そうそう、細かいことは俺に任せとけって。」


無病診が自身げに哄笑し、コーヒーを飲み干し伝票を持って立ち去る寸前に言い放った。


「だって俺、天才だから。」

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