閑話 法律が変わったらしい

 家事や子どもへのフォローができなくなったB妻の家庭はゆっくりと荒れていった。

 

 世界に流行病はやりやまいが広がったことと、誰かに相談すること自体に疲れたB妻は、今まで足しげく通っていた保健センターにも精神科にも行けなくなった。友達とメールすることさえ億劫になった。


 「自分で自分のバランスをとらなかったのが悪い」というようなことも誰かに言われたが、自分だけのためになにかするのは罪悪感があってできなかったのだ。

 しかし自分も家族も周囲もどうでも良くなった今のB妻は、自分がなにを感じているのかもよくわからなくなった。


 そこで「もし一ヶ月後に死ぬとしたら」と仮定して、「死ぬまでにしてみたかったこと」「一度やってみたかったこと」をかつての自分から絞り出して、それを糧にギリギリ日々を送っていた。

 家事は含まれないので、家の家事をする役がいなくなり、台所に汚れた食器はあふれ、洗濯物はたまり、床には髪の毛やホコリが目立つようになった。


 今までB妻なりに、子どもたちに楽しく家事を覚えてもらおうとしてきた。

 いわゆる「お手伝い」として、「洗濯物をたたんでくれてすっごく助かったよ」「食器を洗ってくれてありがとう」と地道に教えてきた。


 しかし荒れた子どもたちは、あとは自分たちが着る服をたたむだけのことに「えー!! なんでこんなにあるの!」「また洗濯物〜!? きのうもたたんだのにー」と文句を言う。もちろん皆が毎日服を着るからなのだが。


 大量の洗濯物を干したり取り入れたりも手伝いがてら覚えてほしいが、高さが合わず手が届かないのでまだ教えられない。だからたたむことだけお手伝いとしてやってもらっていたが、10分かかるかどうかのお手伝いに子どもは散々文句を言う。

 

 「自分たちが毎日汚れていない服を着るためだよ」と説明しても、AB2は納得しないで文句を言う。ちなみに学校から出される宿題を、できる限り引き伸ばして深夜0時をまわるまでやりたくないのもAB2だ。


 B妻にとっては、洗濯や宿題は好きではなくてもやらなくてはならないことだった。文句を言うなど考え付きもしなかったので、我が子の言動に驚くばかりだ。いつか子自ら「引き伸ばしても自分に損だ」とわかるときが来るだろうと見守っているが、なかなかその時はやってこない。


 A夫は室内干しが嫌いらしく、梅雨時や雨が続いたり、冬など外に干しても乾かないときに部屋に干していると文句を言う。通りすがりにかけてある洗濯物を落としても拾わないので、落ちないように壁に釘を打ちたいと言うと却下された。


 乾燥機にかけに外に行けば「わざわざお金をかけて乾かすなんて」と言われる。じゃあどうやって乾かすというのか。勝手に乾かしてくれる機械か魔法を今すぐ使って乾かしてくれるかといえば、もちろんそんなことはない。


 B妻は、洗濯して干して乾かして取り入れるまでやってるのに文句を言われ続け、もうその声を聞きたくなくなったからか、子どもたちに「一緒にたたもう」とうながすことができなくなった。

 ならB妻が全部たたむかといえば、「大人が全部してしまうと子どもはなにも覚えないよ」と言われたこともあり、たためない。そのうちB妻はなぜかどうしても洗濯物を干せなくなった。


 乾かさないと意味がないので、今までとにかく早く干したかったし、午前だけ午後だけの晴れ間なら、特にうまく干せると「今日も乾かせた」と満足に思えていたのが、朝からいい天気なのにどうしても干せない。


 大量の洗濯物を小一時間かけて、早く乾くように考えながら干すのは、パズルゲームのように楽しく感じていたのに、ベランダに出ることさえできなくなった。


 乾燥機を使えば行き帰り合わせて小1時間で2日分の洗濯物が乾く。(もうこれでいいじゃないか。どうせすぐにはたたまないのだ。洗って乾燥機に持っていって乾かして持って帰るまではする。あとは、しわにならないように各自がすぐにたたんでもいいし、山のような洗濯物から各自が必要なときにしわしわの衣類を探せばいいだけだ)。


 食事も、子どもにアレルギーがあるし、幼いうちは添加物をできる限り減らしたくて、食材にも気を配り、毎日手作りを心がけてきた。

 でもだいたい食事時は怒鳴られて味などわからないし、食べられる状態にならないこともある。(もうできあいのお惣菜でいいのでは。頑張ったところで結局、なにかしら文句をつけられるのだし)。


 小さい子やアレルギー持ちの子にダニは大敵だ。しかし毎日掃除機をかけることやトイレ掃除について以前いわれたことがあるし、何度か大がかりな片付けをしている途中で日をまたぐことがあり、整理して新しく物を入れようと空けていた場所に、無断でA夫が、B妻がわけて置いていた物を勝手に詰め込むのだ。


 最初はちゃんとジャンル別に分けられていたものが、ただ詰め込まれてまぜられたことに抗議すると「邪魔だから片付けただけだ。手伝ってんのに文句言うな!」という。


 そんなことが何度か繰り返されると、だんだんB妻にはなにがどこにあるのかもわからなくなった。再び片付けるには、まず、なにがどこにあるかを探すところからになり、頑張ってわけたところでまたまぜられるかと思うと、片付ける気がおこらなくなってきた。


 A夫の理想の家は、ホテルのようになにもない空間らしい。冷蔵庫の中身にすら「食材が多すぎる」と文句を言うが、子どもは待てないのだ。6人家族の4人が子どもなのに、空っぽの冷蔵庫ではやっていけない。それでいて「おかずはこれだけしかないのか」と文句を言う。当たり前だが、食材がなければおかずは作れない。


 そしてこのことを誰かに相談したところで、「さっさと片付ければいいだけでしょ?」「そんなこともできないの?」と言われるだけなのだ。たまに家に来るB妻母からすでにそう言われている。


 B妻母はB妻父がいる環境でできているのだから尊敬の念しかない。


 そんなB妻母を長年見てきたB妻だって、そうしたいしそうしなければならない、そうするしかないとわかっているが、なぜかどうしても動けないのだ。


 さらにB妻母の手伝おうという善意から、B妻母はB妻に断りなく勝手にB妻家に入り無断で物を持ち出し、物によっては勝手に捨てていた。


 B妻は家を空けると、勝手にB妻母に入られそうで怖くなり、家から出られなくなった。B妻母が「季節外れの衣類はうち(B妻実家)であずかるから渡して」という言葉も信用出来なくなった。

 勝手に捨てられたり、服を切られたりするのを、あずかるとは言わない。


 でもB妻がそう言ったところで「そうなる前に整理しないのが悪いんでしょ」と言われるだけなので、なにも言えない。


 10年間思いつく限り一人で頑張って、周囲に相談し始めてからはさらに4年の月日が経っていた。


 定期的に保健センター員から「状況はどうですか?」と電話がかかってくる。

 実家に寄ると「最近どうなの?」と聞かれる。

 友達からもメールで「大丈夫?」と届く。


 気にかけてくれる相手にA夫と子どもの近況を伝える。


 反応は「以前に比べてずいぶんマシになったんじゃない?」「このままならなんとかもちそうですか?」。

 B妻は「うん」「そうですね」と答える。

 それしか答えようがない。それ以外を答えたところで伝わらないし、良くて「つまりB妻が悪い」と暗に言われるだけだ。

 (もはやなにがどうなろうとどうでもいい)と割り切らなくてはやっていけない。ひとつでも気にしたら、正気にもどったら、傷ついてしまう。叫びながら物を投げ散らかしたくなるから「どうでもないことだ」と思い込むしかないのだ。


 確かにA夫は最悪の時期と比べれば落ち着いている。でも、それで過去がなかったことにはならないし、まったく暴言暴力がなくなったかといえば、そんなことはないのだ。マシになっただけで止まることない暴言暴力に、B妻と子どもたちは毎回傷つけられ回復する間がないが、周囲は「良かったね」という反応を返すので、B妻は(私たちは暴言暴力を受ける存在であることを望まれているんだな)とぼんやり思う。


 B妻の気力は戻らず、無気力で送る日常生活に感想などない。14年前には当たり前のように感じていた「子どもに悪影響だから、子どものためになんとしても環境を変えないと!」という気概さえ、今は欠片も残っていない。あれだけ伝えようとあちこちに相談しても誰にも届かなかったことで、B妻は「自分がおかしいんだな」と思うようになった。


 (自分と世界は隔絶されているんだ)。目の前で季節と時代が通り過ぎていくのはわかっても触れられない。B妻にとっての現実世界は希薄になっていった。


 周囲の望みは「この状況を耐え続けながら回復すること」だ。


 B妻の最初の望みは、A夫と子ども達を一時的に離して、お互い落ち着いた頃に再び一緒に暮らすことだった。

 そうしなければ子どもが歪むのが目に見えていたし、すでに歪みかけていたから、必死に周囲に相談したのだ。


 しかし「真剣に助けを求めたら助けてもらえるよ」と言われた。

 B妻はいつでも必死だったので、「真剣じゃない」と言われて驚いた。(気を引きたいとか、愉快犯で相談を続けていると思われているのかーー)。


 当時はまだ、落ち着いたA夫と一緒にやっていきたいと思っていた。


 しかしそうしようとしたけれども、実家に一時的な別居は長続きできず、被害にあっている子ども達だけ実家で見てもらう話になり何度も試したもののうまくいかず、やはり物理的に別居するしかないと思うが別居には先立つものがいり、それなら働けるようになるまで頑張ろうと耐え続け、いざ子どもが成長して働ける状態になれば、B妻には、もう引っ越す気力も、新しい就職先を探す元気も残っていなかった。


 「さっさと見切りをつけないから真剣じゃない」んだろうか。


 B妻の、世界に対する気持ちが前とは変わってしまった。世界はB妻をなにかの登場人物に当てはめたくてたまらないようだ。

 B妻の現実感はいよいよ失われていく。


 保険センターから「DV関係の離婚について弁護士に無料相談できますよ」と紹介してもらい相談したが、やはりまず別居ありきだった。


 B妻もA夫にストレートに「離婚してほしい」と伝えたことがある。それに対する答えは「子育てに飽きたんやったらお前が出ていけ」で、話にもならなかった。


 話し合いは無理なのだ。話そうとすればするほどB妻の精神が病むので、なんとかバランスをとるために違うことをするのが「真剣じゃない」ようにうつるのだろうか。


 離婚するには、離婚届に相手がサインとハンコをしてくれなければならず、話し合いで無理なら調停離婚になる。

 危険を減らすために、別居した状態で、間に人をはさんで離婚について話を進めるほうがいい。


 第三者がA夫を強制的に家から離すことはできず、A夫が家を出てくれないなら、B妻と子どもたちが家を出なくてはならないのだ。


 そのためにもB妻が動かない限り事態は動かせない。

 いざ家を出ようとすれば誰かが反対し、それをおしてまで動く気力が、もうB妻には残っていなかった。


 今は、A夫の怒声だけではなく、子どもたちの声を聞くのもしんどい。

 どこかに相談することも、実家の両親と話すことも、友達とメールすることも、似た境遇のママ友とやりとりすることさえしんどいのだ。


 つい最近うまく家を飛び出た似た境遇のママ友が「早く出るといいよ」と言ってくれる。以前は「よし、私も続こう!」と思い、「どうやったの?」と経緯を詳しく聞いていたが、今はそれを聞くのすらしんどい。


 しかし今度はこの「しんどい」ということが伝わらない。

 ただ、ぐずぐずしているだけだと思われる。B妻自身さえもそう思ってしまう。

 考え過ぎると「この詰んでる世界が早く終わらないかな」という思考に落ちていくので、問題から目をそらして、誤魔化しながら毎日を送る。


 度重なる緊急事態宣言で子どもは学校や保育園に行けない。

 子どもの誰かが常に家にいる状態で、再びB妻の一人時間は皆無になり、精神が不安定になっていく。


 ようやく緊急事態宣言が解除されて学校に行けるようになったと思ったら、「家に帰らないで学校に住みたい」とまで言っていたAB1が、学校に行こうとすると体調不良が起きて行けなくなった。


 何度も休んだことで、学校側がAB1から話を聞き出した時に、AB1がクラスで過ごすのがしんどいという話と、家でのA夫の言動がしんどいという話をしたことで、学校側から「詳しくききたい」と、B妻も学校に呼ばれ、B妻は状況を聞かれることになった。


 ちなみに、一番ひどかった頃には、毎回、AB1の担任にA夫の状況を話していたし、一番の被害者であるAB2の担任にも話している。

 B妻はすでに数年前から児童相談所にもつながっている。

 現状は、数年前の、あわやニュースを飾ってしまうのでは、と危惧していた一番酷かった時期に比べたら数段マシだ。


 だから「今さら?」としかB妻には思えなかった。

 どうやら「しつけでも手をあげてはいけない」と法律が改定されたらしい。


 それにしても「学校に住みたいとまで言っていた子どもがクラスで過ごすのがしんどい」という話をしているのに、なぜ家庭問題に介入してくるのかが不思議だった。

 

 そう思うB妻がおかしいのかもしれないが、なんだか問題をすりかえられたように感じてしまったのだ。「学校に来られなくなったのは家庭に問題があるからだ(学校側に落ち度はない)」と。


 もちろん、それはB妻の勝手な被害妄想で、純粋に「見落とさない」「見過ごさない」という善意からかもしれない。


 AB1は「困っている悩んでいることがあるだろうから話してほしい」と言われて、先生に、学校のことと家のことを話した。もしかしたら学校側は「AB1は困っている家庭状況をずっと内緒にしていて、今回、初めて打ち明けてくれた」と思ったのかも知れない。


 実際、そういう感動話はあるだろうし、法律が変わったことで少しでも救われる子が増えて欲しいと思うけれども、残念ながら今回はそうじゃないのだ。


 後から、AB1の話を聞いた児童相談所な人が「子どもさんが、事実をかくしたり誤魔化したり、助けを求めることをあきらめたりすることも多いのに、ちゃんとSOSを出せて(AB1が先生に話すことができて)えらいですね」とコメントしてくださったが、B妻は違和感があったので、帰宅後にAB1に聞いてみた。


「あきらめてなかったら話さない。話したって無駄だし、話さないと部屋から出られなかったから話した」


 つまり「もう頑張れない段階だから話した。状況が変わることを期待して話したわけじゃない」という内容にB妻はしっくりきた。


 頑張れるなら誰にも話さずに一人で頑張っているのだ。のだ。


 なにしろ、話したところで「大丈夫。それはたいしたことない問題だよ」「こうやったらいいだけだよ」「もっと頑張るしかないよ」などと言われることをAB1はすでに知っているから「期待もしない」のだ。


 今回、B妻はまさにそんな内容を、教師からAB1に話されているのを目の当たりにした。


 AB1はすでに、B妻がA夫について散々周囲に相談して似た内容を言われてきたのをそばで見てきた。

 それでも、まだAB1は希望を持っていた。


 AB1は、今まで自分から泊まりに行くくらいB妻実家と仲が良かった。しかしB妻がA夫についてB妻実家に話したあとにAB1が行くと、行くたびに、祖父母から家での話を聞かれ、話すと「もっと頑張りなさい」という内容を言われ続け、「話をきいてもらえないから、もう行きたくない」と言うようになっていった。


 B妻にしてもAB1にしても、頑張れる段階なら誰にも話すことなく頑張っているのだ。

 AB1は祖父母に対して、最初は話せばわかってくれて助けてもらえると期待して熱心に話したが伝わらなかった。そこでAB1自ら話そうとは思わなくなり、もはやただの会話ですら祖父母に聞かれたときだけ答えるのみになった。


 祖父母からAB1に話を聞いてきたにもかかわらず、いつでも祖父母が出す結論は「たいしたことない問題だ」「もっと頑張れ」「AB1の考え方が未熟なだけ」「自分だけが不幸だと思うな」なのだ。


 祖父母にはそんなつもりはないだろうが、それは暗に「AB1は理不尽に怒鳴られ続けて当然の存在だから不満を漏らすな」と言っているのに等しい。

 

 仲が良いと感じていた祖父母相手からそんな対応をされて、AB1は驚きとともに「話したところで私が困っていることはわかってもらえないんだ」と学習した。


 「話したところで無駄なのだ」と。


 だから先生方がいかにも親身に「力になるよ」「味方だよ」と言ってくれても、「これで問題が解決するかもしれない」なんて期待をAB1は微塵もしておらず、「部屋から出るためには話すしかなかったので話した」だけであり、やはり予想通りの反応しか返らなかったため、「やっぱり同じだった」「もうあの先生とは二度と話したくない」となった。


 「話をきく」と言ってくれるのであれば、せめて「こちらの言い分を素直に受け取って」もらえないものだろうか、とB妻は思う。すでに用意されている返答など、こちらだって聞かずともわかっている。そんな返答をこれ以上聞きたくないから、こちらからわざわざ話さないのだ。


 困っていることが伝わらない。


 AB1にとっては、学校に行こうとしたり、クラスで過ごしたりすると、熱が出たり腹痛や吐き気が起こったりするほどしんどいのに、話を聞いた相手からは「そんなささいなことで?」「もっとうまくやればいいだけでしょ」と思われるのはなんでだろう?

 

 AB1が、問題点をうまく語りきれなかったのかもしれない。

 でも、語ったところで素直に受け取ってもらえるとは限らないのだ。

 実際、B妻が行った席であらためてざっくり語ったが「クラスに居づらい」という困ったことに対して「たいした問題じゃない」「今度からこうすればいいよ(AB1のやり方が悪い)」という反応だった。


 いや、だから「それをAB1が2ヶ月続けた結果、学校に行こうとしたら体調を崩すようになっている」のだけど、なぜか「AB1のやり方が悪い(体調を崩すのはAB1のせい)」扱いをされるのが、B妻には本当に不思議だった。


 「話を聞く」といってくれているにも関わらず、なぜか少しも話を聞く気がないように感じるのは、B妻やAB1の被害妄想なんだろうか。


 B妻はAB1から、クラスにいるのがしんどい理由をすでに詳しく聞いて知っている。その時、B妻とAB1がどうにかできないか話し合った結果、大人が働きかけてどうにかできる内容ではなかったので、体調が戻るまで学校を休んで、クラス替えが行われる学年が変わるのを待つしかない、という結論に達していた。


 もし今、別居が叶ったとして、B妻と子ども達だけで暮らせるようになったからといって、AB1が学校に行けるようになるかといったら、それとこれとは別問題だとB妻は思う。


 確かに家庭に問題はある。

 でも、「今のクラスで過ごすのがしんどい」「クラス替えをするまで今のクラスに行きたくない」のは変わらないだろう。


 学校側は法律改定にそった対応をしてくれているのはわかる。

 でも、AB1が困っている内容が正しく伝わっているようには思えなかった。


 B妻と児童相談所側と、これまで話し合ってきたことの情報共有は行われていないのか、あらためて聞きたいと思われたのか、今までに何度か話した人と今回初めて会った人に、あらためてざっくり今の子どもの学校状況と今までの家庭状況について説明すると、「お母さんは今まで頑張ってこられたんですね。でも、数年前ならできなかったことも今ならできるんじゃないですか?」と言われた。


 つまり新生児や幼児を抱えていない今なら、母子寮なりなんなりに、母と子どもたちで入れるだろう、というのだ。とにかくA夫から離れて母子だけで暮らせばいい、と。暗に「何年も同じ大変な状況であり続けているのは母親の怠慢でしょう?」「AB1が不登校になったのは母親であるあなたの責任でもありますよ」ともとれる。


 B妻は、「さっさと切り捨てればいいだけでしょう」と言われているように感じた。

 (私だって、ずっと、なんとか離れられないか動いてきたけど、なんでか状況がゆるさないから、どうにもできなかったんだけど)と思うが、結果を出せていないから、真剣に動いていないと思われるのだろう。


 B妻がこの14年間ですっかり無気力になってしまったことは伝え忘れていたので(A夫や子どもについては聞かれても、B妻の状態については聞かれることが少ない)、児童相談所の提案はまったくの正論なのだが、(どうしていつまでも最初の気持ちのまま頑張れる前提で話をするんだろう?)とB妻は思うだけだった。


 おそらく、児童相談所側からすれば、このB妻の一件はほんの数年前から始まっているのだろうが、14年の間ずっと頑張ってきて疲れ切ったB妻はもう動けないのだ。4年前でもギリギリで、今は日常家事さえままならないのに、引っ越し作業などできそうにない。


 飛び出せた似た境遇のママ友が言ってくれた。

「もう親とか親戚とかを説得しようとか考えずに行動した方がいいよ。説得は無理だから」


 B妻も、それは正しいと思う。

 でも、一番そう言ってほしかったのは数年前のひどい状況時なのだ。

 

 今となっては、数年前以上に気力がないし、(じゃあ、ここまで頑張ってきたのは全部無駄だったのか)、とむなしくなってしまう自分もいる。


 いわゆる愛とかじゃないが、できればA夫と元のような関係になりたかった。


 それは、「話すことでわかりあえる」「困っている人がいれば助ける」という価値観を教えられて今まで生きてきたB妻が、どう頑張ってもできなかったのを認めたくないだけなのかもしれない。


 長年自分が信じていた価値観を否定されるのが嫌なだけなのかもしれない。


 (結局、都合が悪ければ切り捨てるのか)と、この世界に失望したくないだけなのかもしれない。


 ただ単純に、「話が通じなくて困っている」という事実を周囲にわかってもらいたいだけなのかもしれない。


 はたから見れば不思議に思うかもしれないが、A夫を切り捨てる道をとるのは、今のB妻にとって、自分自身を切り捨てるのと似ていた。切り捨てた後も平気な顔をして生きていく自信がないのだ。


 暴言暴力のストックがあるパートナーは、かつて暴言暴力を受けてきた被害者だ。加害者でもありながら困っている立場の人でもある。

 自分と子どもたちが助かるために見捨てなければならないのは、B妻が今まで信じてきた「困っている人を助ける世界」「人とはそうあるべき」を否定することになってしまう。


 だから、どうにかできないか様々な道を模索してきた。少しずつマシにはなってきている。でも、こちらの限界が先にきてしまった。子ども達は予想以上に荒れてしまったし、B妻自身の行動する気力が少しもわいてくれなくなるのは想定もしていなかった。


 以前は手芸ボランティアもできていたのに、今は体操服のゼッケンを付けることさえなかなかできない。

 あんなに絵本を読んでいたし、いくらでも何歳になっても読んであげたかったのに、今は子どものために時間を使うのが耐えられない。

 提出期限が迫った書類を書くのも数日かけてかなり頑張らないと書けない。

 洗濯物を干すことも、食器を洗うのも、日常のささいな家事すら身体が動かないのだ。

 

 離婚や別居といった決定的な行動にうつさないB妻を、「ただのダメンズメーカーじゃないの?」「共依存なだけでしょ」「偽善者ぶってるの?」「ヒロイン脳」「子どものことを考えてない」と世間は思うだろう。「さっさと行動にうつさないから自業自得だ」と言われるだろう。

 

 でも、その一方で、いざ離婚や別居といった決定的な行動にうつせば、「愛が足りないからだ」「小さいこどもがいるのに」「もっとよく考え直せば良かったのに」と言われるのだ。


 今までのことを説明したところで、「言い訳するな」「お前の能力が低いからだろ」としかとられない。

 この状況はなんなのだろう?


 B妻は最初、「できる限り頑張ってみて、ダメだったらまた考えよう」と思った。


 個人でできる限り頑張った。あちこちに相談もした。

 限界までやりきったからいざ離れようとすると身体がついてこないという状況は、当時の自分はまったく想定していなかった。


 そんな自分自身を自分でも「なんで動けないんだ」と責めてしまう。

 周囲から、「パートナーや子どもが困った状況になっているのはB妻のせいだ」と責められる。


 しかし人はそう簡単に変えられない。


 パートナーについて考えたり働きかけたりしたところで、B妻はどうやってもパートナーを変えられない。もう自分が死んだ方が早いんじゃないかという考えに向かってしまうようになったので、バランスをとるために、あえて全力で現実逃避する。


 そんな生活がしんどい。


 B妻はただ、普通に家事をして、普通に子どもと接する、怒鳴られない家庭で暮らしたいだけなのに。


 そもそも、どうして、選択肢が、耐えるか切り捨てるかしかないんだろう?

 しかも、そのどちらを選択したところで、B妻は周囲から責められるし、B妻自身スッキリできないのだ。


 離れるにしても、被害者側が頑張らないと離れることすら叶わない。

 芸能人でないと、暴言暴力をふるう相手を強制的に離してはくれない。


 できれば引き離して終わりじゃなくて、公的に「誰もが誰かに暴言暴力をしてはいけない」と理解できるようしてくれて、納得してから戻れるようなシステムになってほしい、とB妻は思う。


 「旦那さんには月に一度、指導が入りますよ」と言ってくれていたけれども、月イチで変えられるとでも思っているのか、お役所は他人の家庭にそこまで深く関われないということなのか。

 (月6のセミナーでも続けている間しか効果がなかったのに)とB妻はガッカリしてしまった。


 もしかしたら、月イチでじゅうぶんな効果が出る指導なのかもしれないし、ただ「見捨ててないよ」という表現なだけなのかもしれない。月イチ指導とはいったいどんな内容なのか。


 たとえB妻と子どもたちがA夫と離れたところで根本的な解決にはならないのも引っかかる。


 切り捨てられたA夫はどうなるんだろう?


 ある意味、かつて周囲から暴言を受けてきたA夫は被害者だ。切り捨てられてどう思うだろう?

 明らかに味方である友達がいる今のB妻でさえ、この世界に絶望しているのに、切り捨てられた側は世の中を恨まずに何事もなかったかのように過ごせるのだろうか。


 今のB妻は、自爆テロを起こす人や、通りすがりに殺傷事件を起こす側の気持ちがわかる気がした。


 自分の声がなにも届かない世界(不思議なことに、「A夫」「B妻父」「B妻母」など特定の個人相手ではなく「世界」だと感じる)に、どうして気をつかうことができるだろう。

 先に自分を捨ててきたのは世界の方だ。すでに自分はその世界から排除されているのだから、そんな世界を壊すことになんのためらいも感じないだろう。

 

 B妻は、(いつか自分が「もう子どもの面倒もみられません」段階まで落ち込んでしまったらどうなるんだろう)とも考えて、(今度は私を切り捨てるように言われるのだろうな)と予測する。

 

 もちろん、生きるか死ぬかのギリギリな状況では切り捨てるのもやむなしだろう。

 でも、叶うなら、(そんな極限状態になる前に、耐えるか捨てるか以外の救済処置的な選択肢もあってほしい)とB妻は夢想する。


 今の動けなくなったB妻を、周囲は「さっさと行動しないからだ」「不幸によっているだけだ」と受けとるのは知っている。なにしろ、かつての自分がまさにそう思っていたのだから。


 今の在り方に疑問を持つB妻の方が、この世界ではおかしいのだ。


 (このことをどうやって子どもに説明すればいいのか)とB妻は悩む。

 「人を助けること」「家族は大切」という当たり前だと思っていたことを、どこから切り捨てるように伝えればいいのか。判断基準はどこなのか。そもそも切り捨ててもいいのだと教えていいものなのか。


 でも子どもたちの父親を切り捨てなければ、「あなたは毎日怒鳴られていい存在」だと暗に伝え続けていることになってしまうのだ。


 おそらく子どもたちは「理不尽に怒鳴られ続ける今の状況が普通」だと思っている。「本当は違うのだ」といくら口で伝えても、状況がそうなのだから伝わらない。


 せめて「人としての尊厳」を伝えたいが、今のB妻には、それが一番よくわからなくなってしまっている。

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