モニュメントの真相

 犯人は赤組の中の団長である。 


 この場にいるほとんどの人物がその言葉を理解するまでしばらくかかった。


「そんな……馬鹿な。犯人が赤組の団長でござったなんて」

「それ以外考えられるか? 荒らされたモニュメントを発見したのは俺。直前に倉庫を出入りした中野が犯人でないのなら、なぜその時点で騒ぎにならなかった? 敵チームのものとはいえ、同じ場所で作業していたモニュメントが明らかに汚されていたんだぞ?」


 中野団長の言い分に進藤は口を閉ざす。反論の余地がなかったのだ。


「多田団長は中野団長のことを庇っていたんです。犯行が行われたのが午後5時以前だったということを黙っていたのは、スキー部の話を聞いた時に中野団長が犯人だと確信したためです」

「じゃあ、午後7時に倉庫に行って初めて発見したふりをしたのはもしかして……」

「想像している通りですよ吉岡さん。犯行時刻を午後5時以降、7時以前だということにすれば、その間打ち合わせに出ていた中野団長に疑いの目が向くのを阻止できますから」

「なんでそんなことを……俺たち白組のモニュメントがめちゃくちゃにされたんだぞ!」


 保坂先輩が多田団長に詰め寄る。


「……言えるわけないだろ。白組のモニュメントを汚したのが赤組の団長だなんて」


 静かに、だが強い意志の込められたセリフだった。


「もしこんなことが公になればどうなる? 赤組のトップがこんな妨害行為に手を染めただなんてことが広まれば、今の対立どころの騒ぎじゃなくなるぞ?」


 想像してみると最悪だった。


 白組の赤組への糾弾はまず避けられない。


 おそらくそうなれば赤組は白組に対して負い目を感じてしまうだろう。そしてその負い目のせいで体育祭は例年のように盛り上がることは無くなってしまう。


 しかしそれはまだマシなケースだ。最悪なのは、赤組全体が中野団長の行いに同調してしまうこと。


 敵チームのモニュメントを汚した中野団長の行為を正当化して、勝つために体育祭の外で勝負を仕掛けるような状況になったらどうなる?  


 そんなことになれば白組も黙っていないだろう。


 冷戦なんてものじゃない。全面戦争が始まってしまうのではないか?


「この3年間体育祭に参加して、生徒たちがこのイベントにかける熱量が生半可なものじゃないことを身をもって知ってる。今のお互いに敵意をぶつけ合うだけの状況なんてマシな方なんだ。もしこの真相が全生徒に知られれば、タガが外れてもっと直接的な手段に出てもおかしくない」


 そんなことになれば、体育祭を開催するどころの話ではない。


 多田団長にとっても苦渋の決断だったのだろう。


 真相を隠して赤組と白組の対立を容認した。全ては体育祭そのものを守るために。


 鉛のように重い沈黙が場を支配する。


 多田団長の決意と体育祭にかける思い。それを知って誰も口を開けなかった。


 ーーただ一人を除いて。


「あ、真相は全然違いますよ。中野団長は犯人じゃありません」


 桐花が『今日のお昼はサンドイッチでした』ぐらいの気軽さでとんでもないことを言い出した。


「は?」


 ポカンとした表情を浮かべる多田団長に対して言葉を続ける。


「中野団長にこの犯行は不可能なんです。今からそのことを説明しますね」


 


「犯行に使われた塗料ですが、塗料の缶丸々一つ使われたそうです。多田団長、もしあなたが缶に入った塗料を使ってモニュメントを汚すなら、どうやりますか?」

「どうって……」

「あ、ちなみに犯行に使われた物と同じ種類の缶を用意してきました。こちらは中身が空っぽで廃棄する予定のものです」


 そう言ってどこから取り出したのか、桐花の手には取っ手のついた塗料缶がぶら下がっていた。


「そうだな。まずこうやって蓋を取ってだな」


 桐花から缶を受け取った多田団長は上蓋を取り外す。


「で、取っ手と缶の底を持って勢いよくぶっかける。こんなもんか」

「まあ妥当なところですね。保坂さん、以前見せてもらったモニュメントの写真もう一度見えせてもらえますか?」

「あ、ああ」


 保坂先輩はスマホの画像をみんなに見せる。


「モニュメント前面への塗料の飛び散り具合から見るに、かなり勢いよく塗料がかけられたのは間違い無いでしょう。多田団長がやってくれたように、一息で塗料缶の中身全てをぶちまけたと考えるのが妥当です」


 まあ当然だろう。いちいち筆を使って赤く染め上げたとは考え難い。


「しかしですね、よく見てください。この赤い塗料、かなり高い位置にある本のオブジェにまで届いているのがわかりますか?」

「……ああ、確かに」


 確かこのモニュメントのテーマは『夢が溢れ出る』だったはず。


 そしてモニュメントはこの本のオブジェから幻想的な存在がまるで水のように溢れ出てくるデザイン。モニュメント自体がかなりの大きさのため、本の位置はちょっと手を伸ばした程度じゃ届かないところになる。


「これを見た時疑問に思いました。はたして、こんな高い位置にまで塗料をとどかせることができるのか? と」

「あ、だからお前……」

「そうです。この吉岡さんに、バケツの水を使ってちょっと実験してもらいました」


 何度も何度もバケツの中身を部室練の壁にぶちまけるという奇行。あれはこのためのものだったのか。


「……先に言えよお前」


 やる理由もその意味教えられずに強制される肉体労働ほど苦痛なものはない。

 

 苦言をこぼすが桐花には無視された。


「結論を言いますと、まずあの高さまで届きません。みなさん先ほどの『腕相撲』をみてご存知でしょうが、この吉岡さんはそこそこの腕力の持ち主です。無駄に」

「無駄に言うなや」

「その吉岡さんですら本の高さまでバケツの水をとどかせることはできませんでした。まして今回使われたのは水より重く、粘性のある塗料です。いくらバスケ部の部長であっても、女子である中野団長には実行不可能です」


 というか、その指摘通りなら他の誰も犯行は不可能なんじゃ?


 そんな俺の考えを代弁するように、保坂先輩が桐花に反論した。


「いや待て。それは塗料をかけた場合だろ? 作業場所には脚立が置いてあったんだ。バランスが悪くて難しいかもしれないが、それに登ればやれないことはないだろ?」

「そうですね。その方法なら本にまで塗料を届かせることができるでしょう」

「じゃあ赤組の中野にだって犯行を行えるじゃないか!」


 保坂先輩が桐花に食ってかかる。


 確かに保坂先輩が言う方法なら犯行は可能だ。


 しかし俺は思い出した。初めて中野団長と話した時、彼女がなんと言っていたかを。


「……高所恐怖症」

「は? なんて?」

「そうだ、中野団長は高所恐怖症なんだ。あの人に脚立を登って塗料をかけるなんて不可能だ」


 彼女自身が言っていた。自分は高所恐怖症だから5段の人間タワーのてっぺんに登ることなんて不可能だと。


「その通り、中野団長は高所恐怖症です。実際に聞き込みをして確認してきました。小学生の時木登りをして落ちたことがあって、それ以来高い場所に登ることができないって。まして今回は片手に塗料の入った缶を持ったままという不安定な状態で脚立に登り、バランスが悪い中で勢いよく塗料をかけなければならないんです。そんなこと、高所恐怖症の人にできるわけがない」


 確かに中野団長に犯行は不可能だ。


 しかしーー


「じゃあなんで、中野団長は倉庫に入った時点でモニュメントが汚されてることを言わなかったんだ?」


 中野団長が犯人だと思われていた理由は、多田団長が汚されたモニュメントを発見した直前に出入りしていたのが彼女だからだ。


 彼女が犯人でないのであれば、彼女が倉庫に入った時にはすでに犯行は行われて、塗料まみれのモニュメントが存在していたはずだ。


「考えられる可能性は一つ。中野団長は白組のモニュメントの状態に気づかなかったんでしょう」

「気づかなかったって。あんなド派手に塗料がぶちまけられていて気づかないなんて……」

「倉庫内の位置関係を思い出してください。まず倉庫の一番奥の右手側に白組のモニュメント、倉庫手前の左手側に赤組のモニュメントが置かれていました。モニュメントはそれぞれ壁を背に、正面が中央を向くような形の配置です」


 桐花が確認を取るように保坂先輩に視線を送ると、頷きを返される。


「そして倉庫の入り口である扉は右側にあります。その扉から入るとまず目に入ってくるのは白組のモニュメントの左横側です」

「……塗料がかけられていたのはモニュメントの正面だ。確かにその位置だと汚れているかどうかはわからないかもしれない」

「おそらく中野団長の目的は赤組のモニュメントだったのでしょう。多田団長と同じように打ち合わせ前に自チームのモニュメントを確認したかったのかもしれません。そして赤組のモニュメントだけに注目していた中野団長は倉庫に入ってから出て行くまで、白組のモニュメントの惨状に気づくことはなかった」


 理屈は通ってる。


 彼女が高所恐怖症であることも踏まえて考えると、彼女が犯人である可能性は無くなった。

 

 じゃあ、真犯人は?


「もうみなさん、おわかりですね」


 言われるまでもなく、この場にいる全員真犯人が誰なのかわかっていた。


「真犯人は中野団長の前に倉庫に出入りした人物であり、塗料の扱いに長け、脚立にも登り慣れていて、倉庫に入った時点で白組のモニュメントを確認したのは間違いないはずなのに、白組のモニュメントの惨状を誰にも言わなかった人物」


 全員の視線が、その人に注がれる。



「犯人は白組のモニュメント制作の責任者。岡本さんあなたです」



 全員が信じられない思いで岡本先輩を見つめていた。


 矛盾はない。


 この話し合いのなかで、当事者であるはずの岡本先輩の口数が極端に少ないことにも気づいていた。


 犯人は岡本先輩以外考えられない。

 

 だけど、彼が犯人だなんて信じられるはずなかった。


「スキー部に午後5時以前に倉庫に出入りした人物のことを聞いた時点で怪しいと思っていたんです。岡本さんと保坂さんに話を聞いた時、犯行時刻の話題が出ましたよね? 『その日の昼休みまでは無事だった』と保坂さんはおっしゃってました。しかし岡本さんは放課後倉庫に出入りしていたはずなのに、その話を全くーー」

「待てよ!」


 追い打ちをかける桐花を止めたのは保坂先輩だった。

 

「なんだよそれ、ありえないだろ! だってこのモニュメントは、岡本がデザインしたんだぞ!!」


 悲痛な叫びだった。


 桐花の語った真相は、岡本先輩の助手としてずっと一緒にモニュメント制作を手掛けてきた保坂先輩に受け入れられるはずもなかった。


「それを自分の手で台無しにするわけないだろ! おかしいだろ、なんで……なんで! 俺たちはこのモニュメントに賭けてきたんだ。絶対赤組に勝つって、赤組のモニュメントに負けないようなすげえモン作って勝ってみせるってーー」


 必死に岡本先輩を庇う保坂先輩。


 だが、その保坂先輩の言葉を遮ったのは岡本先輩だった。


「勝てるわけないだろ。こんなもので」


 ゾッとするほど平坦な声だった。

 

「岡本?」

「ふざけんなよ。こんな……こんなクソみたいなデザインで勝てるわけないだろうが!』


 激昂する。


「赤組のモニュメント見ただろ! あの日、俺たちが使ってた倉庫に運ばれてきたあのモニュメント見て俺はすぐわかったよ。負けたってな!」


 吐き捨てるようなセリフには、隠し切ることのできない怒りが込められていた。


「制作自体は完璧だったよ。俺がデザインした物がそのまま形になった。だからこそ許せなかった、俺たちのモニュメントが赤組のに劣っていたのは俺のデザインがあいつに……福原に劣ってたからなんだからな!!」


 そしてその怒りの矛先は他の誰でもない、彼自身に向けられていた。


「ちくしょう、ちくしょう! なんでこんなに差があるんだ? 同じ美術部で、1年の時から一緒に活動してきたのに、なんで!」


 頭を掻きむしる。


「勝ちたい、勝ちたい! ずっとあいつに勝ちたかった! この体育祭、制作責任者に選ばれてからそればっかり考えてきた! 俺にとって体育祭はそれが全てだったんだ!!」


 泣いているような叫び声を上げる岡本先輩。


「岡本お前……そんなこと考えて」

「だけど、どうしようもなかったんだよ……初めて福原のモニュメントを見た時には俺たちのモニュメントはほぼ完成してたんだ。その状態じゃ今更何もできない」


 そう言って岡本先輩は力無くしゃがみこむ。


「ごめん、ごめんなあ保坂。自分でもわけわかんなくなってたんだよ。俺だけのモニュメントじゃなかったのに、お前たちと一緒に作ったモニュメントなのに。ごめんなあ……」


 弱々しい声で謝罪する。


「団長もすみません。全部、全部俺のせいです」

「……」


 すみません、すみません。


 そう何度も謝罪の言葉を繰り返す岡本先輩のそばにしゃがみ込み、彼の肩に手を置く。


「まず初めに言っておく。俺はお前の作ったモニュメントが赤組に負けてるとは決して思わん」

「団長……」

「その上で言う。お前のやったことは許されないことだ。一部の連中が赤組に『報復』なんてものを与えてしまったのも含めて、赤組との間に大きな溝ができたんだ。馬鹿なことをしたよ、お前は」


 団長として容赦のない言葉を岡本先輩に送る。


 それを聞いた岡本先輩は俯き、静かに嗚咽をこぼす。


 誰も何も言えなかった。


 白組を妨害してやろうとか、赤組に罪をなすりつけてやろうとか、そんな理由で起きた事件ではなかった。


 岡本先輩が体育祭にかける熱意、モニュメント作りにかける思いが暴走した結果の事件。ある意味でどこまでも純粋な理由で起きてしまった悲劇だ。


 岡本先輩を責める気持ちにはなれなかった。不謹慎かもしれないが、むしろそこまで情熱をかけて取り組むことができた岡本先輩が羨ましくあり、同情的な気持ちになった。

 

「あのー、最後にちょっとだけいいですか?」


 岡本先輩の啜り泣く声だけがこだまする中、桐花がやや遠慮がちに手を挙げる。


「なんだ?」

「いえ、ここからは完全に私の趣味なので場の空気にそぐわないかと思ったんですが、どーしても気になるので確認させてください」


 全員に怪訝な視線を送られながら、桐花は最後の推理を行った。


「さっき話しましたけど、岡本さんわざわざ脚立に登って塗料をかけたんですよね?」

「あ、ああ」

「なんでそんなことをしてまであんな高い位置にある『本』に塗料をかけたのかわからなくて困ってたんですけど、今岡本さんのお話を聞いてピンときたんですよ」

「な、何を? 何を言ってるんだ!?」


 慌てたように岡本先輩は立ち上がった。


「あの本、元々岡本先輩の好きな本の英語版が書かれていたんですよね?」

「ああ。岡本が好きなシェイクスピアの作品をわざわざ筆記体で書いてたぞ?」

「保坂!」


 岡本先輩が慌てている理由がわからなかった。


「その作品てもしかして、『ロミオとジュリエット』だったんじゃないですか?」


 どこかワクワクした表情の桐花。


 そんな桐花に詰め寄られて岡本先輩は顔を真っ赤に染め上げた。


「ろ、ロミオとジュリエットって、『おーロミオ、あなたはどうしてロミオなの?」の、あれか?」

「はい。敵対する家同士に生まれながら、恋に落ちた男女の切ない恋物語です!」


 ここにきてテンションを上げてきた桐花は、さらに岡本先輩に追い打ちをかける。


「岡本さんと福原さんは奇しくも敵同士。そんなの二人の境遇を『ロミオをジュリエット』に重ねて作ったのが、あの本のオブジェだったんじゃないですか?」


 確かあの本のオブジェは塗料まみれになった後、真っ白なページへと塗り直されていた。


「ま、まさか。岡本先輩がわざわざ脚立に登って塗料をかけたのは、あの本の存在を抹消するためか?」


 俺の言葉がトドメになってしまった。


「あーそうだよ! 俺の一方的な片思いだよ!!」


 やけっぱちになった岡本先輩の叫び。


 要するに男のプライド的なアレだったのだ。


 負けを確信した時、そのことが許せなかったと同時に、自分がやったロマンチックな隠し玉が恥ずかしくなったのがこの事件のきっかけだったんだ。


 岡本先輩の情けない自白を聞いて場の全員が呆れたような雰囲気になった。


「岡本、福原のこと好きって……まじか。お前、そういうの言えよ……」


 力の抜けた保坂先輩の言葉。


 そして多田団長も呆れ返った様子で呟く。


「……やっぱり馬鹿なことしたよ。お前は」

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