第17話「騎士爵」
時は少し遡ります。
誘拐事件解決から『ヤル』が開設されるまでの二ヶ月間、大小様々な出来事──事件と呼べるものも──がありました。
一つ目の出来事は、イヴァンに関する
それは、ルキーノの一言から始まりました。
「彼を正式に雇用することは難しいですね」
「え?」
イヴァンを私の護衛騎士として雇用するとして、その賃金について相談していた席でのことです。
「どうしてですか?」
「この件は、デラトルレ卿がお詳しいでしょう」
たまたま同席していたデラトルレ卿が頷きます。
「彼には、オルレアン帝国での騎士としての身分がありません」
「身分がなければ、雇用できないのですか?」
「もちろん雇用はできます。ただし、護衛騎士として同行すべき場所……例えば、皇宮で開かれるような格式のある舞踏会には、身分がなければ同行できません」
「身分がない護衛を嫌う貴族も多いですね」
シュナーベル卿が補足をしてくれます。
「それじゃあ、おれは肝心な場所には着いて行けないってことか?」
「今のままでは、そうだな」
「それじゃあ、意味ないじゃん」
イヴァンががっくりと方を落とします。
「やっぱり身分かよ……」
「まあ、そう悲観するものではない。騎士の身分は平民でも
「そうなのか!?」
「ああ。帝国では有能な人材には騎士としての身分を与えて、保護することで軍備の維持を図っている」
「俺、外国人だけど?」
「伯爵以上の貴族の推薦状があれば外国人でも問題はありません。マース伯爵に書いていただければ、十分です」
「推薦を受けるだけでいいのですか?」
「推薦の前に騎士団の見習いになるか、いずれかの騎士の弟子になる必要があります。騎士団長か師匠の許しを受けた上で推薦状があれば、試験の受験資格が与えられます。合格すれば騎士として叙任され、同時に騎士爵が授与されます」
「すげえ時間かかるんだな……」
「そうでもありません。騎士団の見習いに入ってから一ヶ月で騎士爵を手に入れた騎士もいます」
「まあ」
「ヒルベルト・ファン・ドルーネン卿ですね」
シュナーベル卿が上げた名に、デラトルレ卿が頷きます。
「お知り合いですか?」
私も、どこかで聞いたことがある名前です。
社交界で令嬢たちが噂していた記憶があります。
「剣術大会で何度か競ったことがあります」
そういえば、シュナーベル卿は剣術大会での優勝経験があると話していましたね。
その彼と競い合っていたということは、かなりの手練れなのでしょう。
「強い方なのですね」
「ええ」
「シュナーベル卿よりも?」
「一応、五勝四敗で私が勝ち越しています」
「あんた、すげえ騎士なんだな!」
イヴァンがシュナーベル卿を尊敬の眼差しで見つめます。
その様子に、デラトルレ卿がため息を吐きました。
「まずは、礼儀作法からですね」
「そのようね」
その点については、私も同意します。
これから先どのような道に進むとしても、礼儀作法は身につけなければなりません。
「デラトルレ卿」
「はい」
「お願いできませんか?」
デラトルレ卿の顔を覗き込みます。
茶色の瞳が見開かれて、次いで視線が逸らされました。
その頬が、赤く染まっていきます。
「デラトルレ卿?」
やはり、無理なお願いでしょうか。
近衛騎士団の小隊長という名誉ある立場の方ですから。
しゅん、と肩の力が落ちるのが分かりました。
他の方を探さなければなりません。
きちんとした訓練を受けることを考えれば、騎士団の見習いに入る方が良いのでしょう。しかし、それはイヴァンには向かないように思うのです。
「……お引き受けしましょう」
数秒の沈黙の後、デラトルレ卿が小さく言いました。
「まあ! ありがとうございます!」
「えー!」
不満の声を上げたのは、イヴァンでした。
「何が不満だと言うの?」
「……だって、このおっさん厳しい」
「おっさん……。まだ二十五だ」
「俺も姫さんも十八歳。おっさんじゃん」
「おい!」
「それに、だいぶ老けて見えるぜ」
デラトルレ卿は近衛騎士団の小隊長。いわゆる中間管理職です。
年齢の割に
あ、白髪……見なかったことにしましょう。
「この……! 来い! 貴様の性根を、叩き直してやる!!」
「おい、やめろよ!」
「お嬢様。こいつの訓練内容は、私に一任していただけますね」
「はい。立派な騎士にしてやってください」
「御意」
「やーめーろー! はーなーせー!」
デラトルレ卿に首根っこを掴まれたイヴァンの声が、遠くなっていきます。
「彼は幸運ですね。平民の出でありながら、近衛騎士団の見習いと言っても差し支えない立場で訓練を受けることができます。この帝国で、最も信頼の置ける騎士養成過程です」
シュナーベル卿の声には、少しの羨望が混じっていました。
彼は騎士団の下働きから見習いを経て騎士になったと聞いています。
きっと、苦労をしたのでしょうね。
「ええ。きっと、立派な騎士になりますね」
それまでの間に音を上げることがなければよいのですが。
まあ、それはいらぬ心配でしょう。
イヴァンは、私との約束を果たすための努力を怠るような人ではないでしょうから。
──三週間後。
「試験を受けることを許可します」
渋い顔のデラトルレ卿が言いました。
「早かったのね」
「剣の腕前は私が教えるまでもなく、申し分ありません。礼儀作法は……まあ不安もありますが。試験を受ける間くらいは取り繕うことはできるでしょう」
「つまり、私の護衛として人目に触れる間くらいは取り繕えるだろう、ということですね」
「その通りです」
「意外だわ」
「意外、ですか?」
「もっと完璧にならなければ、許可は出さないと思ったのだけど」
「……彼は『貴女のそばに行きたい』、その一心でここまで来ました。すでに並大抵ではない努力をしてきたのです。私の許可など、取るに足らないものです」
「そう」
これで、試験に合格すれば晴れて騎士爵を授与されます。
そいうなれば、堂々と私のそばに居られる。
デラトルレ卿の隣には、嬉しそうに胸を張るイヴァンがいました。
ところが、この受験に待ったをかけた人がいました。
推薦状をお願いした、マース伯爵です。
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