05

「見えました!」

 馬車から身を乗り出す勢いで窓から顔を出すとルーシーは声を上げた。


「危ないよルーシー」

 そう言いながらエリオットも顔を出した。

 馬車が向かう先、小高い丘の上に赤い尖塔が見える。

「あの赤い塔は敷地内に立っていて、監視や天候を見るのに使っています」

「眺めが良さそうだね」

「はい、領地が一望できるんです」

「ルーシーも登ったの?」

「はい」

 ルーシーはくるりと振り返った。

「エリオット様も登ってみますか」

「そうだね、後で案内してもらおう」

 婚約者に向かって微笑むと、エリオットはルーシーに座るよう促し自分も腰を下ろした。


 夏季休暇に入り、ルーシーはエリオットと共に領地へ帰ってきた。

 兄たちの結婚式に参加するのと、エリオットを家族たちに紹介するのが目的だ。


 二人の婚約は無事成立した。

 ゆくゆくは二人の間に産まれた子をアングラード辺境伯家の後継とするが、来年の春に第二王子アーノルドが婿入りして国を離れるため、エリオットは第二王位継承者としてルーシーとともに王都に住むことになる。

 王太子メイナードの息子クリストファーが成人すればその身分も王族から離れることになるが、まだ十五年も先の話だ。

 実質、ルーシーが王族の一員となることになるだろう。


 王太子妃シャーロットは病気のため別宮で療養すると公表された。

 メイナードが詳しく話を聞こうとしたのだが、同じことの繰り返しで埒が開かなかったのだという。

 しばらく療養させ、それでも変わらなければ――おそらく二度と表舞台に出てくることはないだろう。

 シャーロットの代わりに側妃アメーリアが王太子妃としての仕事を担うことになった。

 今後、第二子が生まれなければまた側妃を迎えることも考えると国王は告げた。


「アングラード領は景色が綺麗でいい場所だね」

 窓の外を眺めながらエリオットは言った。

 国境にある領地には高い山が多く、夏でもその山頂には雪が残っている。

 その白と空の青、そして木々の深い緑が鮮やかな景色を生み出していた。

「近くに湖もあるんです、時間があったらそちらにも行ってみましょう」

「ああ」

「エリオット様は釣りは出来ますか?」

「いや、やったことはない」

「湖では魚釣りが楽しめるんです」

「それは楽しみだな」

「釣りたての魚を焼いてもらって……」

 ルーシーが領地での楽しみ方を語るうち、馬車は丘の上にある領主の屋敷へと到着した。



「ルーシー!」

 馬車から降りると女性の声が聞こえた。

「お姉様!」

「お帰り!」

 赤い髪の女性が駆け寄ってくるとルーシーをぎゅっと抱きしめた。

 その、ルーシーと同じ髪色を持つ女性の顔を見て――エリオットは息を飲んだ。


 髪だけでなく顔立ちもルーシーにそっくりだった。

 違うのは瞳の色と年齢だけで、まるで未来のルーシーを見ているようだった。

「マリー、お客様への挨拶が先だろう」

 セドリックがやってきた。

「あら、ごめんなさい」

 ルーシーから離れると、マリーと呼ばれた女性はエリオットに向いた。

「初めまして、マリー・アングラードです。お会いできて嬉しいです、殿下」

「……ああ、エリオットだ」

「ルーシーの手紙を読んでどんな方かと楽しみにしていたんです。想像よりずっと格好いいですね」

「ふうん、それは私よりも?」

「あら、格好良さは比較するものではないでしょう」

 背後から肩を抱いてそう尋ねたセドリックに、マリーは笑顔を向けた。

 その笑い方もルーシーにそっくりだった。


「お疲れでしょう。部屋へご案内します」

 セドリックはエリオットへと向いた。

「マリー手作りの菓子も用意しましたので、ごゆっくりお休みください」

「お姉様のお菓子はとてもおいしいんです」

「王子様の口に合えばいいのですが」

 ルーシーの言葉に少し照れたように、マリーは微笑んだ。



 部屋に案内されると、すぐにお茶と菓子が運ばれてきた。

 丸い黄色みを帯びた焼き菓子はタルトのようだったが、エリオットの知る果物やクリームが乗せられたものとは異なり、焼き目のついた黄色いクリーム状のものが入っていた。

「これはエッグタルトといいます。中がとろっとしていて美味しいんです」

ルーシーの説明を聞きながら、エリオットはそれを一つ摘んで口に運んだ。

 サクッとした歯触りの生地と、とろみのある卵の風味豊かなクリームが口の中で絡み合う。

「……うん、美味しい」

「良かったです」

 嬉しそうにルーシーは顔を綻ばせた。


「ルーシー、さっきのお姉さんだけど……」

 お茶を一口飲んで、エリオットは言った。

「あの人は……」

「マリーお姉様は、昔、馬車の事故に遭い大怪我を負いました」

 目の前のティーセットを見つめてルーシーは言った。

「その時に過去の記憶も全て失いましたが、マリーという名前だけは覚えていたそうです」

「マリーという名前……」

「他にもこの国にはない風習など、いくつか覚えていることがあるそうです。……お姉様が過去、誰だったのか、それは全て忘れてしまった以上もう関係ないとお兄様が」

 ルーシーはエリオットを見た。

「マリーお姉様は私にとって、そしてお兄様にとって大切な人です。ただそれだけです」

「――そうか」

 しばらくルーシーを見つめて、エリオットは頷いた。


「正直、気になっていたことがあった」

「何ですか?」

「セドリック殿は、兄上と婚約していてもパトリシア嬢のことがずっと好きだったのだろう。でもマリー嬢との結婚を強く望んでいると聞いて、……時間が経てば人の想いというのは変わってしまうものなのかと」


「それは……そういうことも、あると思います」

 ルーシーは答えた。

「でもお兄様は、誠実な方です」

「ああ、それはマリー嬢を見て分かった」

 ルーシーと視線を合わせると、エリオットは微笑んだ。


「僕もセドリック殿のように、一生ルーシーに対して誠実でいるし、決して不幸な思いはさせないと誓うよ」

「はい、私も一生エリオット様だけを……」

「僕を?」

「……愛します」


「うん、僕もルーシーだけを愛するよ」

 頬を染めてそう答えたルーシーをエリオットはそっと抱きしめた。



第四章 おわり

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