披露宴って言いましてもね


 教会からウェズリー侯爵邸へ移動し、庭園でウェディング・ブレックファストと呼ばれる披露宴が行われた。

 立食形式ではあるもののテーブルと椅子は十分に用意され、出席者たちは思い思いに料理を皿にとり、会話を楽しんでいる。

 料理を並べている場所にはテントを張り、テーブル席にもそれぞれ大きな傘を立てて日よけにしたりと設営は完璧だ。

 そこかしこに花が飾られ、披露宴らしい演出が施されている。

 教会列席者だけではなく披露宴から参加している人もいるらしく、結構賑やかだ。

 そんな中をローレンスと挨拶に回り、彼の招待客しかいないとはいえ庭の片隅にいるジュリアンとレドルブ候爵たちが座っているテーブルようやくへたどり着いた時には、ナタリアはさすがに疲労困憊だった。

 しかし、社交慣れしているローレンスはここに至ってもそつがない。


「初めまして、ジュリアン君。今日は勉学に忙しいなか、出席してくれてありがとう。会えてうれしいよ」

「初めまして、ウェズリー侯爵。突然決まったとはいえ大切な姉の結婚です。たとえ試験前と言えども駆けつけないわけにはいきません。」


 二人はにこやかに笑みを交わしているが、そらぞらしさが漂う。

 十五歳のジュリアンは、兄弟の中で一番、母ヘンリエッタに似ている。

 そして美貌と知性を祖先から余すことなく搾り取ったと噂され、ナタリアと似ても似つかない。

 それがわざと口元だけ笑って目は冷ややかという顔芸をされると、魔物の域だ。

 綺麗すぎて、怖い。

 爽やかなはずの初秋の午後の風が、妙に冷たい。


「え、試験前だったの。ごめんなさいねジュリアン、来てくれてありがとう」


 凍り付いた場を取り繕うべく、弟をぎゅっと抱きしめた。


「あら、けっこう身長伸びたのね。肩の位置が高くなってる」


 背中をぱんぱん叩きながら、視線でローレンスを威嚇し続けるジュリアンをなだめた。


「あはは、綺麗で賢いジュリアンもナターシャの前では形無しだね」


 朗らかに笑いながらレドルブ候爵はローレンスに手を差し出した。


「ローレンス・ウェズリー侯爵。本日はおめでとう。ナタリアの父とは親友だし私の娘がダドリーに嫁いでいる以上、王都では父親代わりとしてこれからも親しくさせてもらえたらありがたい」


 爵位は下だが、四十半ばのレドルブ候爵のくだけた物言いを親し気な握手で返す。


「こちらこそ、これからよろしくお願いします。ところで、そちらの方は・・・」


 同じテーブルについていた見知らぬ少年にローレンスは視線をやる。

 黒髪に紫の瞳の神秘的な顔立ちに、ジュリアン同様育ち盛りの若木のようなすらりと伸びた身体。

 隅で静かに座っていたから目立たなかったが、ジュリアンと正反対の夜を思わせる美形だ。

 見るからに育ちの良い彼は優雅に立ち上がり、一礼をした。


「初めまして、ライオネル・バルアーズです。本日はお招きありがとうございます」

「・・・バルアーズ公爵の・・・?」

「はい。私がバルアーズ家の代表として出席させていただいています」

「ああ、妻の甥でね。エリザベス王太子妃の弟だよ」


 さらりとレドルブ候が説明するが、バルアーズ公爵には男子が一人しかない。

 要するにこの少年は次の当主であり、王妃の弟ということになる。


「ジュリアンとは学友なんだ。それもあって出席してくれた」


 レドルブは甥の肩に手を回して仲の良さを見せつけた。


「ええ。ジュリアンと今日こちらに伺うのを楽しみにしていました。素敵な結婚式ですね」


 ライオネルは無表情でローレンスに世辞を言う。

 ・・・これはこれで威圧感があるから恐ろしい。


「それはまた。これほど親しい方が大勢王都にいるなら、ナタリアも寂しくないですね」

「そうなればよいのですが。ところでウェズリー侯爵。実は姉も式に出席したがっておりましたが予定が先に入っていたので、ナタリア様を後日王宮に招きたいとのことなのですが、よろしいでしょうか」


 つらつら口上を述べながらローレンスの顔をじっと見上げる。

 相変わらず、アメジストのように光る紫の瞳はなんの感情も写っていない。


「・・・王太子妃様にそこまで好意を持っていただけるとは光栄です。お忙しいお方の邪魔にならなければいつでもどうぞ」

「ありがとうございます。さっそく姉に伝えます」


 ふっと唇だけ笑みの形を作ったが、目元の筋肉は一ミリも動いていない。

 ローレンスの隣でそれを見たナタリアはますます寒くなった。

 さすが、ジュリアンと仲良しだ。

 類は友を呼ぶ。


「・・・ナタリア」

「はい」

「挨拶回りはもう十分だから、きみはしばらくここでゆっくりしていくといい」


 ローレンスはがんばった。

 なんとかホストの務めを果たそうとしている。


「ありがとうございます。お言葉に甘えてそうさせていただきます」


 心からの感謝を述べた。


「では、わたしはこれで。みなさん、是非またこの家へいらしてください」

「はい、是非」

「感謝します、ウェズリー侯」


 言質は取ったと言わんばかりのジュリアンとライオネルの子どもに見えない威圧ぶりに、思わずローレンスは一歩後ずさってしまい、恥じたのか少し顔を赤らめて無言で踵を返す。


「ところでナターシャ。その厚化粧、なに?レドルブ候爵が蝋人形を運んでるかと思ったよ?」


 弟の身内ならではの容赦ない一撃に、立ち去りかけたローレンスは何もないところで躓きたたらを踏む。


「久々に会ってそれはないわ・・・。お話し合いが必要ねジュリアン」


 新妻の地を這うような声に、今度こそローレンスは逃げ出した。




「で、なんでそのドレス?生地が上等なのは判るけど、ナタリアに一番似合うのはこういうのじゃないよね。ウェズリーの侍女たちはセンスないのかな?それとも事情があるの?」

「たぶん、後者でしょうね。お母様のウェディングドレスだとか言った気がするけれど・・・」


 ローレンスの亡くなった生母は愛妾だったはず。

 式は挙げられない。


「ちなみに、この厚化粧は確かに彼女たちのセンスよ。オペラ歌手が使う下地とか使っているの」

「ああ、なるほど。舞台で汗を流しても簡単に粗が見えない仕様なんだね」

「俳優ってすごいねえ」


 妙なところで弟とレドルブ候は感心している。


「技術は認めるわ・・・。ただ、よせばいいのに足の裏の色目に寄せちゃったのよね」

「足の裏・・・」


 ライオネルが小さく呟き、じんわりと頬を染めた。


「ナターシャ。君、駄目だよそれ。足の裏だったら卑猥じゃないって思ったんだろうけれど、貴婦人は男に見せない箇所の一つだからね」


 レドルブ候は少し困った顔で指摘する。


「あら。言われてみればそうですね・・・。ごめんなさい、バルアーズ様」

「いや・・・。あの、どうか私の事はライオネルと呼んでください。若輩者ですから」


 慌てて早口になった彼は、学生らしい初々しさが出ていてほほえましい。


「もったいないお言葉です。それより挨拶をせぬままで失礼しました。改めてごあいさつします。初めましてライオネル・バルアーズ公子さま。お忙しい中足をお運びくださりありがとうございました。どうぞこれからは私をナタリアとお呼びください」

「丁寧なごあいさついたみいります、ナタリア様。でも私はレドルブ候の甥でありジュリアンの友としてここにいます。ですから、是非今後はライオネルで」

「・・・はい、わかりました。今後ともよろしくお願いいたします。ライオネル様」


 二人の会話にレドルブ候が感慨深げに頷く。


「大人になったね…ナターシャ」

「いや、レドルブ様。ナターシャも二十歳ですから・・・。というか、前回は肌の色の段差説明するのにシャツまくって腹を見せて、リロイに鼻血吹かせましたからね、この人。それより少しマシになった程度ですよ・・・」

「うわあ・・・。ナターシャ」


 三人の視線がいたたまれない。


「ジュリアン…なにもここで暴露しなくても」

「いいや言わせてもらう。ダドリーに来てすぐのリロイはけっこうナタリアに押せ押せで、始めてお見かけした時も小麦色の肌が素敵で印象に残ってましたって言うから、いやいや、腹は生っ白いよ…ってズボンからシャツ抜いてへそ見せたよね。あの時はさすがに俺もルパートも石になったよ」

「そりゃ、吹きたくもなるね、鼻血。かわいそうに」


 父親代わりのレドルブ候はともかく、初対面のライオネルもナタリアをかなり残念な子という目で見ている。

 今更なんの公開処刑だ。


「リロイがらみなら、あれか。四年前のデビュタントの化粧の事だね。うちの侍女たちには白塗りさせなかったものね。肌はそもそも綺麗だし生かす方向にって私とディアナが指示したし」

「あの折は、大変お世話になりました」


 あり得ない話だが、ダドリー家には父が当主になってから王都のタウンハウスがない。

 辺境にこもり切りで維持が難しく、イナゴの大群が押し寄せてきたときに金に換えた。

 以来、王都滞在期間はレドルブ候爵邸に寄宿させてもらっている。


「いやいや。綺麗だったね。あの時のナタリアのドレス姿」


 ちなみにドレスは長姉の持ち物を一着譲り受け、濃紺で細いシルエットのものをハイネック長袖に仕立て直した。

 本来デビュタントとは少女から淑女へ成長したのだとお披露目するのが目的なので、衣装はかなり露出度が高いものが基本だ。

 しかし、こちらとしてはさすがに土方焼けした腕を晒すわけにはいかない。

 苦肉の策だったのだ。


「王都の人でそういってくれた男性はおじ様くらいですよ」


もういっそのこと全身黒い女と思われた方が気楽とわが道を行ったものの、結果として色々な意味で悪目立ちしてしまったようで、様々な人がこの件を持ち出す。


「王都の連中が白肌信仰しすぎなんだよ」

「たしかに・・・」


 指から二の腕までしっかり塗られた己の肌をじっと見つめる。


「まあ、立ち話もなんだし、いい加減座ろう」


 レドルブ候に促されテーブルにつく。

 近くに控えていた給仕が軽食と紅茶をテーブルに並べ、去っていった。

 身内の話で盛り上がっているのを見たからなのか、周囲から人はいなくなり静かになった。


「さて、さきほど話題に出たリロイだけど」


 カップからの香りを楽しんでいるように見せてレドルブ候が口火を切る。


「実は今日、私の従僕として連れてきたよ。さすがにここには入れないけれど、式には列席したよ」

「あら?ざっと見まわしたけれど気づきませんでした」

「髪の色を赤錆色に染めさせたんだよ。髪も短く刈り込んでいたしずいぶん印象が変わったけれど、元々が綺麗な顔立ちだからどんな格好も似合いすぎて嫌味だね、あれは」

「あはは。そうでしたか。まあ、気付かなかった理由はもう一つあるのですが・・」

「女性だけに焦点を絞って見ていたのかな」

「その通りです」

「理由は?」

「まあ突っ込みどころが色々ありすぎるのと、まず誓いのキス、少しも触れなかったのですよ、五秒もあの姿勢保ってわざわざ」


「五秒…数えていたんだ」とジュリアンは腹を抱えて笑う。

 たいがい失礼な弟を無視して話を続けた。


「両手で口元を隠す所作も練習したような感じでした。この化粧に動揺しながらも、これだけは遂行しないとって使命感に燃えていましたし。それって・・・」

「参列者の誰かに操立てしていることを知らしめていた?」

「その通りです」

「なるほどね・・・」

「ただ、挨拶回りの時に感じたのですが、招待に応じた客で高位貴族は全部代理、あとはまるで数合わせの低位貴族ばかりですよね」


 一部、ローレンスと深い付き合いがありそうな高位貴族が出席していたが、それ以外は家門を代表して次男三男や令嬢で、いかにも義理立てした空気が濃厚だった。

 枯れ木も山の賑わいとはよく言ったものだ。


「うん、良く気付いたね。実は今日、臨時閣議が王宮で開催されている。議題はどうでもいい内容だったな。それと、大公の娘主催のお茶会も開かれているね」


 この婚儀を快く思っていないのだと勘の良い人なら気付くだろう。


「なるほど・・・。わかりました。でも、ならなぜ大公閣下は私との結婚を急がせたのでしょう」

「それはやっぱり、誰かのお腹にウェズリーの子どもが出来ちゃったからでしょう?そのドレス、いかにももう妊娠していますって感じだもの」


 ジュリアンのうろんな目線がドレスを辿る。


「・・・やはり、そっちか・・・そうよね・・・」


 ドレスを試着した時に、妊娠を理由に結婚し後日流産したと公表してほとぼりが冷めたら離婚するつもりなのだろうと内心安堵したが、結局グラハムが到着しても詳細は知らされないまま不安な日々を過ごした。

 王都に到着した日以来ローレンスにはまともに会えず式の壇上で久々の再会だとか、たいがい雑な扱いだ。

 とりあえず、これで公女の縁談から逃げるためという線は完全に消えた。


「今は、何らかの事情で結婚できない女性との間に子供が出来たわけですか…。そしてナタリア様の子どもとして届け出を出すための偽装結婚だなんて、最低の男ですね、ローレンス・ウェズリーは」


 清廉な見た目そのままに、ライオネルは憤る。

 若いなとほほえましく思いながらも、その気持ちが嬉しかった。


「そうならそうと、最初に言えばいいものを・・・。言えない事情って何なのかしら」

「既婚者か、婚約中というのが妥当かな。低位貴族なら派閥の誰かに金を積んで養女に仕立てるだろうし、平民なら愛妾にするだろう、ウェズリーなら」

「色々とちぐはぐすぎて、わからないのですよね」

「それにしても、本命に列席させて『仕方なく結婚するが、本当に愛するのは君だけだ~』って悲劇のヒーローを演じて見せるってその思考回路が気持ち悪いな」

「いやもう、こちらとしては多額の報酬をすでに頂いているので、どうぞ好きなだけ盛り上がってくれって感じなんだけど・・・」


 そもそも、好みじゃないから痛くも痒くもない。

 辺境の男たちに慣れたらどうも噛み応えがないというか。


「そういや、ローレンス様はお母様がお好みだったようよ。私を見てあからさまにがっかりしていたから」

「・・・ほんっと、たいがい・・・たいがいだな、ローレンス」


 ジュリアンはテーブルの上で強く拳を握った。


「危なかったわね。ジュリアンがジュリアだったら、お鉢が回ってきたかもしれないわ」

「やめてくれ気持ち悪い。男に生まれて良かったと俺は感謝すべきなのか」

「まあそうね。私も男に生まれていればこんなことには・・・」


 ふと視線を上げると、グラハムが鋭い目をぎらぎらさせてこちらに向かって歩いてきているのが見えた。


「時間切れのようね。本日は本当にありがとうございました」


 ナタリアは立ち上がり、三人に一礼をする。


「ああ、そうそう。左舷が気になるんだった」

「左?なんで?」


 ジュリアンたちは右側にいたので、通路を挟んで逆だ。


「ローレンス様の視線?では、皆さん、お元気で」


 グラハムが声をかけてくる前に、さっさと足を進めた。


「ローレンス様がお呼びかしら」

「はい、ナタリア様。こちらへお願いします」


 ナタリアの勇姿を、三人は黙って見送った。




「さて・・・。左舷か。なかなか鋭いね。あそこにはウェズリー侯の遊び仲間が何人かいたよ」


 レドルブ候は顎に手を当て思案する。


「遊び仲間」


 ジュリアンは肩を落としうんざりとため息をついた。


「オトナに…なりたくないな、なんかもう」

「ははは、がんばれ少年」


 気安い二人がじゃれ合うなか、ふいにライオネルが口を開く。


「左側…。そういや、ヒックス男爵令嬢がいたと思います」

「ヒックス男爵令嬢?知らないな」


 そもそも、ヒックス男爵じたいが簡単に思い浮かばないくらい無名だ。


「こなれた雰囲気の女性たちが多い中でちょっと異質だったから印象に残っていて・・・」


 幼いころから公子として教育されているだけに、ライオネルはあくまで冷静だ。


「エンパイヤ形のドレスでした。似合っていましたが」

「・・・わかった。調べる」

「私も姉に聞いてみます」

「王太子妃もご存じなのか、その令嬢は」

「はい、おそらく。王妃の侍女でしたから、彼女は」


 紫色の瞳はまるで凪のように静まり返ったままだ。


「でも、在任期間はわずかだったと思います。すぐに見かけなくなったので」


 今日と同じく印象に残っていたから、大勢の者が働いていたというのに名前を憶えていた。


「彼女の容姿は金髪に青い瞳」

「それは・・・」

「ヘンリエッタ様の若いころの肖像画によく似ているとも言えます」


 その一言で、二人はすぐに気付いた。


「・・・あれか・・・!」

「ライオネル、まさか・・・」


 さすがのレドルブ候も動揺する。

 その令嬢は・・・。


「もう、確定ではないでしょうか。条件がそろい過ぎです」


 深く息を吐きだし、レドルブ候は頭の中を素早く整理した。


「・・・ああ。話が見えたな・・・。だがしかし」


 骨組みがわかったとしても、それがすべてではない。

 まだ、何かあるはずだ。

 慎重を期さないと、ナタリアはのまれてしまう。


「この話は、まだナタリアに知らせることはできない。ジュリアン。耐えてくれ」

「・・・はい、わかりました」


 確証を得たところで、どの手を打てばよいのか。

 すっかり冷めた紅茶を口に運びながら、それぞれ思いに沈む。



 これから幾度も続く夜を。

 ナタリアはどうやって乗り越えるのだろう。




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