ローレンス・ウェズリーという男
最高級の大理石を使った堅牢な造りの階段をのぼり、贅を尽くした装飾で目がくらみそうな回廊を歩いて扉の前にたどり着いたときには、ナタリアの気力は二割ほど削られていた。
壁に飾られている絵の額といい、壺と言い、生けられた花と言い。
どれだけの金と権力が動いている事か。
そうか、こういう風に来訪者を屈服させるために無駄に金を注ぐ必要があるのだな。
金持ちのありようを一つ学んだナタリアだった。
「失礼します。ナタリア・ダドリー伯爵令嬢をお連れしました」
執事が扉の前で一声挙げると、ほどなくして扉が開く。
もちろん扉の前には左右に護衛が一人ずつ。
室内にも護衛一人、そして侍従と侍女が一人ずつ。
王室並みの配置は通常なのか、それともナタリアが来ると解っていたからなのか。
入室を許可され執事の後に続きながら、ナタリアは口角を上げる。
「ようこそ来られた、わがウェズリーへ」
優雅に机から離れ手を広げてやってくる男が目に入る。
長身でしっかりとした骨格と広い肩幅、そして長い腕。
ダークゴールドの金髪は綺麗に後ろに流され、理知的な額があらわになり、綺麗に整えられた眉とすっと通った鼻筋青みの強い灰色の瞳、そして厚めの下唇。
目尻が少し垂れ気味なのが却って色気があり、魅力を増している。
二十代後半の男の姿としての理想が形となって現れたようなものだった。
これが、美の女神とレーニエの老害に溺愛された男なのか。
さすがのナタリアもじっくり鑑賞してしまった。
「・・・あなたは、ダドリー家の・・・?」
しかしナタリアを認識した瞬間、彼の、満面の笑みがわずかにほころびる。
視線が執事とナタリアの周辺をさまよったのを見て、ナタリアはことさらにゆっくりと優雅に礼を取った。
「初めまして、ウェズリー侯爵。ナタリア・ルツ・ダドリーと申します」
頭を下げ床に視線をあてたまま、執事を除く全員が動揺したのを肌で感じた。
さて、どの点に驚いたのだろうか。
いや、山ほどあるか。
まず、王都の流行に沿った衣装なんて金銭的にも時間的にも用意できるはずもなく、質素な身なりで挑んでいる。
そして、ナタリアは女性としては背の高い方でしかも顔も手も淑女としてあり得ないほど焼け焦げている。
家族以外にも褒められる唯一の長所が髪だが、色は鷹の羽のようにとことん地味でしかも女性教師のように一筋の乱れもないようしっかりまとめている。
どこから見てもこの豪奢な男の隣に婚約者として立つ令嬢には見えないだろう。
侍女が代理できたかと思ったのかもしれない。
「・・・あ、ああ。どうぞ楽にしてください。お待ちしておりました。・・・ナタリア伯爵令嬢」
顔を上げるとすでに表情は美しい状態に維持されていた。
さすがだ、美の化身。
「この度はお招きありがとうございます」
手を取りソファへリードされ、腰を下ろす。
「遠路はるばるようこそいらっしゃいました。道中ご無事で何よりです。お疲れになったでしょう」
「お気遣いいたみいります」
にっこり笑みをかえし、ナタリアはそのままぴたりと口を閉じた。
部屋の中に沈黙が降りる。
笑みを浮かべたまま一言も発しない当主と客の間に流れるただならぬ空気にのまれた侍女が、かたかた震えながら紅茶を入れた。
執事が咳ばらいをすると、逃げるように退出していった。
・・・というか、逃げ出した。
「・・・あの、お母上のヘンリエッタ様はお元気でしょうか。以前、王宮でお会いしたことがあったのですが、たいへん美しい方だったと記憶しています。たしか、ザルツガルドの王族につながるとか・・・」
無難な話題を探したようだが、はたしてそれは。
「ええ、まあ。母は金髪碧眼のいかにもザルツガルドの貴族らしい容姿ですものね。母の産んだ子供は私を併せて七人ですが、私と当主のトーマスだけダドリーの血が濃く出てしまいまして」
ダドリーの当主は代々暗い茶色の髪と目だ。
それ以外は濃淡の違いはあれど全員金髪で、華やかな顔立ちをしている。
「え・・・。そうなのですか」
「はい。他国に嫁いだ姉と領地にいる妹は母に似ています」
「妹君がおられたとは・・・」
瞳が一瞬光ったのを見逃さなかった。
彼が関心を寄せたのはどこだろう。
母譲りの美貌か、それとも。
「はい。もうすぐ四歳になります。私が言うのもなんですが、天使のように可愛いですよ」
「四歳…。そうですか」
がっかりしているのが手に取るようにわかる。
いや、解り易すぎるこの男。
「はい。それで、侯爵様」
姿勢を正し、問う。
「お望みは本当に私ですか。もしかして、母に似た容姿の者が来ることを期待されていたのではないでしょうか?」
ずばっと切り込んでみると、あからさまに動揺した。
「な・・・」
「グラハム卿は婚約申し入れの際に侯爵様が私をお気に召したとおっしゃってくださいましたが、それは多分に気を遣ってのこと。多額の援助を頂いた時点で私どもは政略結婚だと理解しております。ただ、もしも人違いということでしたら、今すぐ解消の手続きを行い、王都を辞しても構いませんが」
本音を言うなら、今すぐ婚約解消しておさらばしたい。
なんとかこの甘ちゃんを丸め込んでなかったことに出来ないだろうか。
向かいの美男子の脳内は激しく回転しているようだ。
執事はどうやらこの件に噛んでいないようで、固唾をのんで見守っている。
なら、彼独りでナタリアと戦わねばならない。
見た感じ、ぐらぐらだ。
・・・いけるか?これ。
「う・・・。い・・・。いや!それは困る」
「・・・は?」
こてん、と首をかしげて見せた。
・・・困る、か。
何が、だろう。
「いや、その・・・。あれだ、ええと、実は確かにこれは政略結婚だ。君の事を何一つ知らないまま、申し込んだ、すまない」
しどろもどろながらもローレンスは持ちこたえた。
まずは、白状して謝ってきた。
悪くない手だ。
「なら、辞めますか?なにも私のような田舎娘でなくても侯爵様なら他にもよりどりみどりだと思います」
「いや、それはできない」
「それはまた。なぜでしょう」
「じ、じつは・・・・。そうだ、あの、ゼニス公国の第三公女をご存じだろうか」
「ああ、シエナさまですね。大変お美しく、国の宝玉と言われるとか・・・」
「いや、見た目はそうなのだが、彼女は物凄い金食い虫だ」
「そうなのですか。存じませんでした」
ここであえて公女を話題にするということは…。
「実は、彼女をもらってくれと打診されている」
そこそこ親交国だ。
公式行事で顔をよく合わせるだろう。
もしかして、うっかり摘んでしまったのだろうか。
「ああ・・・。そうなんですか、おめでとうございます。ウェズリー侯爵様なら釣り合いもとれて・・・」
「とんでもない。あの女が妻になったら数年でうちは食いつぶされる」
確かにそうかもしれない。
しかし、それが理由なんて可能性は絶対ない。
これはあくまでも口実。
嘘をつくなら真実を取り混ぜた方が破綻がないというのは定石だ。
「なるほど」
話は見えてきた。
「それで、急なことで大変申し訳ないが、貴女が頼みだ。ナタリア嬢」
いきなりソファから立ち上がってつかつかと駆け寄り、ナタリアの前に跪いた。
・・・あ、やっぱり駄目か。
「確かに貴族名鑑を辿ってあなたの存在を知り、グラハムを使いに出した。しかしそれはわが国の令嬢の中で貴女が一番良いと思ったからだ。だからこのまま私と結婚してほしい」
言うなり、さっとナタリアの手を取り、指先に口づけをした。
そして、唇を指に押し付けたまま上目遣いに微笑んだ。
青い瞳がきらきらと光を放つ。
「あなたとなら、良き夫婦関係が結べると私は信じている」
少女なら誰もが夢を見る、おとぎ話の王子様の求婚そのものだ。
ナタリアは昔からその手の童話にさほど惹かれない上に、ローレンスの美貌に食指がわかない。
彼がこうしてきらきら輝けば輝くほど、逆にますます冷静になってしまう。
・・・めちゃくちゃ嘘くさいな。
茶番にもいい加減飽きた。
ナタリアはここが引き時だと観念する。
「わかりました。侯爵様がそうおっしゃるのなら・・・」
「そうか、感謝する!」
皆まで言わせず、いきなり掴んだままの指にぐいぐいと金属の輪を嵌めた。
「あの・・・」
薬指に装着されたのは、やけに大きな青い石のついた指輪。
「ブルーダイヤだ。君の指のサイズを知らないまま急ごしらえに婚約指輪を作らせたから、やはり少し大きいな」
ブルーダイヤモンド。
「まあ・・・なんてこと」
・・・これ一つで己の命の代償を十分賄えそうな気がする。
「気に入ってもらえただろうか」
「ありがとうございます。これほど立派な指輪は見たことがありません」
値打ちを考えると恐ろしくて気が遠くなりそうだが、ひとまずここは礼を言うことにする。
「ところで結婚式なのだけど、そのような事情で急ぎたい」
隣に腰かけ、息のかかる距離でローレンスはゴリ押ししてきた。
「・・・そうですか」
「なので、一週間後に執り行いたい」
「はい?」
「挙式の衣装は、母が着用したものをすでに手入れして用意しているのでそれをぜひ着て欲しい。靴など調整はそれほど時間がかからないとグラハムが言っていたから問題ないだろう」
・・・グラハム・・・。
奴には猪肉の刺身でも食わせるべきだった。
「一週間後」
領地で話を聞いたときはありえないと思った。
そもそも予定より早く着いたというのに、今から一週間後に挙式。
なぜそうなる。
「ああ。こぢんまりとしたものになるが、王都にいる貴族なら列席できるだろう」
いやいやいや。
その一週間後はすでに高位貴族ならお茶会などで予定がすでに決まっていますよね?
わざとか。
解っているが、腹は立つ。
「当初はもっとはやく執り行うつもりだったが、さすがに手続きの都合がつかなかった」
今日明日と言われるよりましか。
都合とやらに感謝した。
「父は、この婚儀をすごく楽しみにしている。もちろん私もだ」
大公の意思だという殺し文句を、この男は今までいろいろなところで使ってきたのだろう。
ナタリアもその威光の前にはひれ伏すしかない。
ローレンス・ウェズリーは満足げに笑う。
ナタリアに対する誠意も罪悪感も持ち合わせていないだろう。
今彼の中にあるのは、うまく丸め込んだという悦びだけだ。
しかし、手を取るしか生きる道はない。
「ありがとうございます。精一杯、妻として役割を果たしたいと思います」
ナタリアは己に命じた。
今、自分は世界一幸せな女なのだと、思え。
笑え。
笑って、媚びて、生きのびてみせる。
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