第七章
第13話
「あれ。先輩? こんなところで何してんすか?」
廊下に佇む持月に声を掛けたのは、今年からオカルト部へ移籍した岡部だった。
「あぁ、岡部くん。ひ、久しぶりだね」と答える持月は、慌てて写真部の扉を塞ぐように立った。
「何言ってんすか」長身の彼は首を傾げながら、「卒業生のお別れ会で先月会ったばっかなのに」と低くまったりとした声で答えた。「先輩は部活すか? あれ、でもそこって……」
「いや! えっと。先生にちょっと雑用を頼まれちゃって」と言葉を詰まらせつつ、用意した定型文を持月が返すと、「相変わらずっすね」と苦笑いを浮かべながら彼は太い眉を八の字にさせた。
「岡部くんはえっと、これからオカルト部に?」
持月は会話の流れに乗って質問を投げかけた。「そうっすよ」と答える彼は斜め向かいの部屋を指差し、「うちの部室、すぐそこなんで」
持月がそちらに視線を移すと、部室の扉には黒い暗幕が掛けられ、怪しげな書体でオカルト部と記載されたプレートが垂れ下がっていた。
「……あぁ。何だか楽しそうだね」
それから数回ほど他愛のないやり取りを行ったが、持月は正直、気が気でなかった。部室の奥ではまさに今、彼女が配信用の動画を撮影中なのである。
「良かったら先輩も遊びに来てくださいよ。そんじゃ、また」
そう言って彼がその場を立ち去ると、持月は壁に凭れて深いため息をついた。共犯者などという魅惑的な言葉を用いておきながら、実際は見張り役という体のいい使いパシリではないかと胸の内で思いつつ、それでも彼は真面目に役目を全うしていた。
持月は嘘を付くことに対してこの上なく抵抗があった。それはひとえに教育者である両親の教えでもあり、嘘はいけない、ルールから外れることは誤りで、世間様の常識を犯す行為はすなわち悪であると幼少の頃から叩き込まれた。そんな彼にとって、この役目は非常に荷が重かった。
「あ、そこに居たんだ」
扉が僅かに開かれると共に声が聞こえ、持月がそちらを見遣ると隙間から顔を出した百瀬が彼を見上げていた。「帰っちゃったのかと思った」
ワイシャツのボタンを上から二つほど外し、少々汗ばんだようにも見える彼女は奥の部屋で一体何を行ってきたのか。撮影の前までは履いていた黒いストッキングは姿を消し、スカートの下には艶かしい素足を覗かせている。
「そんな、帰るなんて……」目の遣り場に困った持月は慌てて顔を背け、「君が見張りをして欲しいって言うから、僕は廊下でずっと――」
「廊下? え、ずっとそこにいたの?」
百瀬が勢いよくそう尋ねたもので、持月は黙ったままこくりと肯いた。すると彼女はみるみる青ざめた表情を浮かべ、「それ、余計に怪しいよね」と鋭い口調で言いながら持月の手を引いて部室の中へ入った。
「とりあえず、扉閉めて。廊下には誰もいない?」
「えっと、うん」
廊下を一度確認した後で持月が扉を閉めると、彼女はこれ見よがしにため息を漏らし、「ここに居てよ」と床を指差した。「暗室に人が近づかないようにしてくれればいいんだから。君って、見た目通りに頭固いのね」
「あぁ……」
彼女に言われてようやく役目を理解した彼はつい項垂れると、恥ずかしさのあまり赤面した。
「まぁいいわ。次からは部室で寛いでいてくれれば、それで良いから」
「つ、次があるの?」と持月が顔を上げると、彼女は満面の笑みを浮かべ、「もちろん」と答えながら部屋の奥まで歩いて行き、窓を開けた。
「ここに座っていればいいのかな?」
「そうよ」
百瀬は鞄の中をごそごそと漁り、そこから手のひら大の箱を掴み取った。続いて蓋を開くと、人差し指ほどの長さの白い棒を摘んで一本抜き出す。一緒に持っているのは、紫色のライターだった。
「図書委員の時みたいに、ここで本読んだりしててよ」
そう言って棒を口に咥えた彼女は、慣れた手つきでライターの火をつけた。棒の先端を燃やしながら息を大きく吸い込み、口元から白い煙を吐き出している。
「それ、煙草?」
「うん」
「駄目じゃないか!」と持月は咄嗟に叫んだが、彼女が人差し指を唇の前に立てたので慌てて口を噤み、廊下に聞き耳を立てた。スカートのポケットにライターをしまった百瀬は、「駄目かな?」と尋ねた。
「そりゃ駄目だよ! 未成年なんだから」
考えるまでもないことだ。彼女は校則を破り、法律を犯している。
「でも、それってただのルールでしょ?」
彼女は冷めた口調でそう答えると、煙草の灰を携帯用灰皿に落とした。「人前では吸わないし、誰にも迷惑なんてかけないよ」
百瀬は再び煙草を唇に挟むとゆっくり煙を吸い込み、窓に向かってそれを吐き出した。肩まで伸びた髪を耳にかけ、薬を飲み込むように苦い表情を浮かべて校庭を眺める彼女の姿が、持月にはどこか物憂げに見えた。
「これもね、私にとっては一種の開放手段なの」
「それならもっと、健全な手段の方があるんじゃ……」
「例えば?」彼女は素早く彼の方を振り向くと、瞳の中をじっと覗き込んだ。それはまるで、何かを追い求める羨望の眼差しに思えた。
切実で、一心不乱で、鬼気迫る姿勢。彼女を纏う嵐のような空気に気圧された彼は、「えっと。散歩とか、カラオケとか?」と適当に浮かんだ言葉を言い並べた。
「……なんだ。つまんない」
彼女は期待が外れたようにがっかりした表情を浮かべると、煙草を携帯灰皿に押し付けた。
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