第17話 魔法、いけそうです。

「ねーねー、なんでこの前アメちゃんとルーちゃんはチューしてたの?」


 ドブシューッ!!


 プリムの口から放たれたダイナマイト発言に、マチルダはいにしえのコメディよろしく、飲んでいた紅茶を勢いよく噴き出した。


 アメリアがルーナに魔法を教わるようになって数日が過ぎたある日の昼下がり、その日は修行を半休としてマチルダ達といつものようにお茶会をしていたところで、プリムが突然そんな話をぶち込んできたのだ。

 マチルダの対面に座っていたせいで紅茶まみれになったプリムは、全身をスライム化させて紅茶を吸収する。


「プリム……あなた見てたの?」

「うん、暇だったからアメちゃんの部屋に遊びに行こうとしたら、塔の入り口にいるガイコツ兵さんが『魔法の練習しに本城の屋上に行ったよー』って言うから、僕も行ったんだよ。そしたら二人がチューしてるの見ちゃったんだ」

「な、何で声掛けなかったの……?」

「僕知ってるよ。人が居ない所でチューしてる人達には声掛けたらいけないんだ。前に倉庫でチューしてる人達がいたから声を掛けたら怒られたもの」

 その後プリムは倉庫の外を歩いていた者に「中でチューしてる人がいるから邪魔しちゃダメだよ!」と言った結果、キスをしていた者達は不倫関係がバレてえらい事になったのだが、それはプリムの知った事ではない。


「お、お前らぁ! いつからそういう関係だった!? いや、前々から怪しいとは思っていたが……。とにかく! 女同士なんて父さんは許さんぞ!」

 ショックによるフリーズから復活したマチルダが喧々と吠え始めた。


「あなたいつからエスポワール王国の国王になったのよ……。それに、別にそういうアレじゃないわよ。ねっ、ルーナ」

「そ、そうですよ。魔力適性を調べるために、姫様の魔法指南役としてキスしただけですから」

 とは言ったものの、二人の頬はほんのりと赤く染まっている。


「魔力適性の検査か……。しかし他にもいくらでもやりようがあるだろう。水晶式とか、瞑想式とか」

「私水晶なんて持ってませんし、瞑想式は時間が掛かる上に正確性に欠けるじゃないですか」

「しかしなぁ、若い乙女同士が人気のない場所でチュッチュチュッチュするなどというのは……」

 マチルダがアメリア達に説教を始めると、プリムが意地悪そうな笑みを浮かべる。


「あー、わかった! マッチーは二人が仲良くしてるから嫉妬してるんだー」

「ち、違う! ただ私は二人の関係者としてだな……!!」

「仕方ないなぁ、僕が代わりにチューしてあげるから、そんなにプンプンしないのー。はい、チューッ」

「なっ!? ま、待て! 私はそんなつもりじゃ……ふむぅぅぅぅぅぅぅッッッ!?」

 プリムはテーブルの下を潜ってマチルダに纏わりつくと、椅子ごと押し倒して唇を合わせる。それはアメリアとルーナが交わした小鳥同士の啄みのようなキスとは違い、ディープなディープなキスであった。


「あれ、舌入ってますよね……」

「いや、舌どころじゃないような……。見て、プリムの舌が五枚くらいに分裂して……。あ、白眼剥いてる……。なんにせよ、あれに比べたら私達のキスなんて握手と変わらないわね」

「えぇ」

 それからたっぷり五分程、マチルダはプリムにより口内を蹂躙される。そして「はひー、はひー……マチルダ、もうダメ……マチルダ、バカになっちゃったよぉ……」と、ビクンビクンと痙攣しながら幼児退行したマチルダが復活するまでは更に十分の時間が必要であった。


「なるほど、魔力適性は光か。で、修行の方はどうなんだ? 上手くいきそうなのか?」

 因みにマチルダの魔力適性は火である。


「あなた、さっきまで涎垂らして白目向いてたのに、よくそんなキリッとした表情ができるわね……」

「戦場では切り替えが大事だからな。で、どうなんだ?」

 マチルダの問いにルーナが答える。


「それが凄いんですよ! 姫様は魔法の天才です!」

「ほう?」

 何をもってルーナがアメリアを天才だと言うかというと————


 アメリアの魔力適性が判明した翌日、前日のキスのせいで付き合い始めのティーンエイジャーのようにちょっとだけぎこちない二人は、修行の次の段階に入った。


「では、まずは基本である魔素の取り込みというものを練習していきたいと思います」

「はい、ルーナ先生!」

「あ、先生はもういいです。えーと、姫様は瞑想をした事がありますか?」

「うーん、それっぽい事はしたことあるけど、ほとんど無いようなものね」

「なるほど。魔素の取り込みは、まず瞑想をして、自分がこの世界に存在していて、自分が世界の一部であり、世界と繋がっているんだという事を実感していただくところから始まります」

「なんだか難しそうね……」

「最初は難しいと思います。体力トレーニングや座学と並行して、これからしばらくは瞑想が修行のメインとなるでしょうね」

「いいわ、とりあえずやってみる」

 それからアメリアはルーナに教わった通り、屋上の床にあぐらをかいて背筋を伸ばし、目を閉じた。


「多分退屈だとは思いますけれど、最初は私が一定間隔でベルを鳴らしますので、それに合わせて深呼吸を……姫様?」

 アメリアは目を閉じたまま、「すぴー、すぴー」と寝息のような音を立てている。それを見たルーナは呆れたようにクスクスと笑った。


「もー、姫様ったら、寝ちゃダメですよ! 私とキスしたせいで、もしかして昨日は寝れなかったんですか? 瞑想はある意味眠気との戦いなんで……あれ?」

 更によく見ると、閉じていると思われたアメリアの目は竹串一本分だけほんのりと開いている。そして寝ているにしては、その背筋はまるで天空から一本の糸で吊られているかのようにピーンと伸びており、全身からはほんのりと波動のようなものが放たれている。


「ま、まさか……悟っている!?」

 瞑想は全ての魔法使いが行う魔法の基礎修行であり、悟りとは度重なる瞑想の果てに辿り着く境地である。そしてその境地に辿り着いた者は、その身に並の魔法使いとは比べ物にならない程の魔素を取り込む事ができ、扱う魔法の威力が飛躍的に跳ね上がると言われている。


「バナナ……」

 驚き過ぎたルーナは「そんなバナナ」の「そんな」すら言う事ができずに、ペタンと腰を抜かした。

 初めての瞑想での悟り。

 ルーナの知るところではなかったが、これは魔界で千年に一人の天才と呼ばれた魔王ですらなし得なかった偉業である。

 しかし、それを成し遂げたのはアメリアが生まれつきチートな能力を持っていたり、神からの祝福を得ていたからではなかった。


 この三年、アメリアは勇者を待つ中で、天に祈りを捧げ続けた。

 日に最低でも四時間、長い時は半日以上、暑い日も寒い日も、体調が悪い時も魔王にイラついている時も、毎日毎日欠かさず祈りを捧げ続けた。

 初めの頃は「どんな勇者様が助けに来るんだろう」「いつ助けに来てくれるんだろう」といった、自らの精神を落ち着けるための祈りであったのだが、繰り返された祈りは水を濾過するかのように日々澄み渡ってゆき、瞑想に近いものへと変わった。更に繰り返されたそれは深度を増してゆき、アメリアの人並外れた集中力と相まって、遂には悟りの境地へと達したのであった。三年間ものアメリアの祈りは無駄ではなかったのである。


 チリーン


 ルーナはおっかなびっくりしながらも、手にしたベルを鳴らす。それは魔法使いの修行を始めたばかりの者が使う、意識を魔素の取り込みを受け入れる状態へと切り替えるためのベルである。すると——


 ズオッ


 突風が巻き起こるかのように、アメリアの肉体が驚きの吸引力で大気中の魔素を取り込み始めた。魔素を魔力に変換する方法を知らないアメリアの肉体へと取り込まれたほとんどの魔素は、そのまま全身の毛穴から素通りするように排出されてゆく。

 しかし、無意識下で変換された魔力により、アメリアの全身は凄まじい光を放ち始める。あぐらをかきながら発光するアメリアの姿は、さながら神性を帯びた女神像のような様相である。そしてその光度はルーナが目を開けていられぬほどに強力であった。


「ひ、姫様! 姫様ぁ! と、止めてください! 光を止めてください!」

 ルーナは顔を手で覆いながらアメリアに近付き、その身にしがみつく。そして全力で揺さぶった。すると発光が止まり、アメリアはゆっくりと目を開ける。


「あら? どうしたのルーナ?」

「姫様、あなたって人は……」


 ————と、いうような事があったのだ。


「どうですか!? 凄くないですか!?」

 ルーナの話を聞いたマチルダはフンと鼻で笑う。

「にわかには信じ難い話だな。ちょっと大袈裟に言っているのではないか?」

「じゃあ、見ていてください! 姫様お願いします!」


 ピカーッ


「あああああああ!!!!! 目があああああああああ!!!!!」

 実技を目の当たりにして、どうやらマチルダも信じてくれたようだ。


「なるほど、確かにこれは凄まじい……」

 プリムに眼球をマッサージされながら、マチルダは冷や汗を垂らした。

「でしょう? 魔素の魔力への変換の方もメキメキ上達してるんですよ。ほら、あれってイメージが大事じゃないですか。姫様は想像力も逞しくて、その気になれば大魔法だって扱えるようになると思います」

 魔素の取り込みが上手くとも、魔力の変換が苦手でうまく活かせない魔法使いもいる中で、アメリアはその身に取り込んだ膨大な魔素を効率よく魔力に変換できていた。そして、魔力への変換に必要な想像力に関しても、幽閉されてからの三年間が関係している。


 アメリアは勇者を待ちながら、四六時中その容姿や旅の道中を想像しており、脳内で書かれていた『まだ見ぬ勇者の冒険』はハードカバーの単行本換算にして約二十巻以上にものぼっていた。そんな日常がアメリアの想像力を異様に発達させていたのである。


 そのように自らの中で勇者への想像を膨らませていたからこそ、裏切られた時の怒りが尋常ではなかったのかもしれないが……。

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