第7話 温泉に入りました。

 カポーン


 という擬音が聞こえてくれば、それはそこが浴場である事を示しているか、ガイコツ兵士が棒で頭を叩かれた時かと相場は決まっている。

 そしてこの場合は当然前者であった。

 あれからアメリアはルーナに先導されて、魔王城の地下にある浴場へとやってきたのだ。


「わぁ、すごーい!」

 まるで洞窟をくり抜いて作られたかのような浴場は、広さはそれほどでもないものの、色とりどりな石のタイルが綺麗に敷き詰められており、魔力の光を放つ石が埋め込まれた照明に照らされてムーディーな雰囲気を放っている。幹部専用というだけあって、所々に備え付けられている装飾品も豪華だ。

「ここが魔王城自慢の幹部専用浴場です。城の近くにダンジョンを掘っていたら出てきた天然温泉を引いてるんですよ。効能は肉体疲労、切り傷、擦り傷、肌荒れ、肩こり、眼精疲労、魔力回復に効くと言われております」

 ルーナはエヘンと胸を張る。


「なんか益々観光地じみてきたわね……」

「でも、ここは魔王様や四天王を含む幹部の方々、VIPの来客しか入れないんですよ。因みに塔にある姫様専用のお風呂も、わざわざここからポンプでお湯を送ってから沸かし直しているんです」

 アメリアはまさか日々自分が入っていた風呂にそんな手間がかけられていたとは思いもよらなかった。


「どうしますか?」

「何が?」

「温泉、良かったら入っていきませんか?」

「えー、いいの? そりゃあせっかくなら入って行きたいけど、ここは幹部専用の温泉なんでしょ?」

「大丈夫ですよ。この時間なら誰も入って来ないでしょうし、姫様はある意味このお城で一番のVIPですから。それに——」

 ルーナは温泉の方をチラチラと見ながらソワソワとし始めた。その様子を見てアメリアは察する。

 ルーナは自分一人では入る事が許されない豪華な温泉に、『アメリアが入りたがったから』という大義名分で入ってみたいのだろう。


「まぁ、姫様が入りたくないというのであれば無理にとは言いませんが、もしかしたら汗をかかれたのではないかと私は思っておりまして、もしそうであればついでに入って行かれるのも手ではありますと提案させていただく次第でありまして……」

「じゃあ、入ろうかな」

 アメリアの言葉に、ルーナの表情がわかりやすくパーっと明るくなる。その表情の変化にアメリアも釣られて笑みが溢れた。


「本当ですか!?」

「うん、結構歩いたし、私もたまには広いお風呂に入ってみたいから」

「いやー、姫様がそう言うのであれば、お背中をお流しするために私もお供せねばなりませんね!」

「あ、でも私は一人で入れるから、ルーナは待っててくれていいわよ」

「…………え?」

 ニコニコとしていたのが一転して、ガーンという表情を浮かべるルーナを見て、アメリアはクスクスと笑う。

「冗談よ、一緒に入りましょう。ううん、ルーナに背中を流して貰わなきゃいけないから、一緒に入ってちょうだい」

「もー! 姫様の意地悪!」

 こうして二人は昼間っから温泉に入る事と相なった。


 脱衣所で服を脱いだ二人は、備え付けの薄布を体に巻いて浴場に足を踏み入れる。肌に触れる温泉の蒸気と、足裏から伝わるヒンヤリとしたタイルの冷たさが心地良い。


 アメリアが掛け湯をしていると、ルーナは大きな桶にお湯を汲んできて、洗体場でアメリアの背中を流すと言い出した。

 その時の様子は割愛するが、大体どんな様子だったかというと——


「じゃあ、お願いするわね」

「はーい、お任せを」

 艶やかな岩石を加工した椅子に腰を下ろしたアメリアの背を、床に膝をついたルーナは湯に浸した手拭いで優しく擦り始める。

 湯を弾くアメリアの肌は陶器のように白く滑らかであり、その美しさにルーナは思わず感嘆の息を漏らす。


「姫様のお肌、ツルツルですね……」

「そう? ありがとう」

 アメリアは普段入浴する時は一人なので、ルーナに背中を流してもらうのは初めてであった。

 エスポワールにいた頃はお付きの者に入浴や着替えを手伝って貰ってはいたが、気心の知れたルーナに肌を間近で見られるというのは逆に気恥ずかしい。


「じゃあ、巻き布を取って下さい」

「え? そこまではいいわよ、あとは自分でやるから」

「そんな水臭い事言わないで下さいよ、せっかくですから」

「でも……」

「姫様と私の仲じゃないですか」

「う、うん……」

 アメリアが巻き布を取ると、それまで隠れていた腰から尻へのラインが明らかになる。名工の焼いた壺のような美しいその曲線に、ルーナは再度感嘆の息を漏らした。ルーナの眼に写るアメリアの背は、まるで一つの芸術品のようであり、血流の違いによって作られるほんのりとした桜色のグラデーションが、その美しさを更に際立たせている。


「ほわぁ、これは……」

 ルーナの指にツーっと背をなぞられて、アメリアは「ひゃっ」と小さく声を上げる。


「……ルーナ?」

「も、申し訳ありません。姫様のお背中があまりに綺麗だったもので」

「もー、普通よ普通。大袈裟なんだから」

「いえ、大袈裟なんかじゃないですよ……」

 ルーナは両手に石鹸をつけると、アメリアの背にピタッと手を当てて、ヌルヌルと洗い始めた。突然人肌の感触に襲われたアメリアは先程よりも大きく驚き、ビクッと身を震わせる。


「ちょ、ちょっとルーナ!?」

「なんですか?」

「『なんですか』って……手拭いは使わないの?」

「はい。ご存知ありませんか? 体を洗う時は手拭いを使うよりも、直接手で洗った方がお肌を傷付けずに済むんですよ」

「そうなの? でも……なんだかちょっと恥ずかしくて……」

「恥ずかしい? 恥ずかしいとは何ですか? 私はただ姫様のお背中を流しているだけですが? 姫様は私が何かいけない事をしているとでも? えぇ、姫様が私に背中を洗われるのが嫌だとおっしゃるなら、すぐにでもおやめしますがね」

「い、いえ、続けてちょうだい。なんかごめんなさい……」

 静かではあるがやけに圧のあるルーナの口調に、アメリアは逆らう事ができなかった。


 ヌルヌル、ヌルヌル、ヌルヌル……


 ルーナはアメリアの背をゆっくりと丁寧に洗ってゆく。

 ルーナの洗体は上手ではあるが、まるで楽器を弾くかのように滑らかに、そして軽やかに動くその指が、アメリアにとってこそばゆい。


「ルーナ。もうそろそろ……」

「大丈夫大丈夫、もうすぐ終わりますからねー」

 ルーナの目がやや血走っているのはアメリアからは見ることができない。ただ、妙にハァハァと荒い息が首筋に当たる事だけは感じられた。

 肩甲骨、肩、腰上と洗い終えたルーナの手は、徐々に洗う範囲を広げてゆく。そして陶芸家がろくろを回すように、脇の下から腰回りを撫で始める。


「ル、ルーナ。くすぐったいわ……」

「もう少し我慢して下さい。洗うついでに血流を良くするマッサージをしていますのでね」

「そ、そんなのいいわよ。早く湯船に入りましょう」

「血行をよくする事でね、姫様の足がより早く治るようにしますからね。いえ、別に姫様が足を早く治したくないというのであれば私もつべこべ言いませんけどね、えぇ」

 そう言われてしまうとルーナの心遣いを無碍にしてしまうようで、アメリアも強く拒絶する事はできない。それにルーナの言う通り血行が良くなってきているのか、体がポカポカとしてきたような気もする。


(ルーナの手付きがいやらしいような気がするけど、それは私がいやらしいからかしら……。ダメダメ、私はエスポワール王国の王姫なのに……。それに気のせいよね、ルーナはマッサージだって言ってるし)

 恥ずかしさを堪えてアメリアは背筋を伸ばす。


 ヌルン、ヌルン、プルン……


 体の横を上下するルーナの指が、時折アメリアの慎ましい胸の横辺りを弾いてゆく。そして最初は背中側を撫でていた手が徐々に前へと出てきているような気がした。それに伴ってルーナの息は更に荒くなり、アメリアの体は更にポカポカとしてくる。


「どうですか姫様、私のマッサージは?」

「き、気持ちいいわ……。でも、胸に……」

「大丈夫、大丈夫です。こうやってね、リンパを流しているんでね……。ほら、こうして、こうして……」


 ヌルン、プルン、ヌルン、プルン、ヌルン

 ルーナの手の動きが徐々に早くなっていき、プルンの割合が増えてゆく。そしてついにはアメリアのあばらや腹にまで伸びてきた。アメリアが背後から感じるルーナの吐息は最早耳元から聞こえてきている。


「ルーナ! もういい! もういいって!」

「大丈夫! とても大丈夫ネ! ルーナマッサージウマイヨ、ルーナのマッサージ魔王軍イチネ!」

 ルーナはそう言うと、背後から突然ガバッとアメリアに抱きついてきた。

 体格の割に豊かなルーナの胸がアメリアの背中にプニュリと押し当てられ、頬はアメリアの首元に密着する。そしてルーナはアメリアの体の前面を勢いよく撫で回し始める。


「きゃーっ!! ルーナ何してるのよ! やぁっ……!」

「大丈夫大丈夫! コレ、他のお客さんもみんなやってル! 恥ずかしくないヨ!」

「お、お客さんって誰よ! っ……ちょっとぉ!」

 欲望のままにアメリアの全身を撫で回す様子は、もうマッサージでも何でもない。もがくアメリアに抱きつくルーナの様相はもはやある種の妖怪のような有り様である。


「姫様ァ、ワタシも長くこの仕事やってルガ、こんなに美しい肌は初めてネ! こんなの見たら……ルーナはもう、ルーナはもう……!!」

「はうっ……なんで片言なのよ! この……バカァ!」

 アメリアが身を捩って勢いよく立ち上がると、石鹸の滑りで手を離したルーナはツルンと後ろにひっくり返る。そしてゴチンと床で頭を打った。


「イタタタ……。すいません姫様、姫様のあまりに綺麗なお肌に我を失ってしまい、ついついエキサイティングマッサージをしてしま……って?」

 ルーナが体を起こすと、そこには巻き布を体に巻いたアメリアが腕を組んで仁王立ちしていた。


「はぁ……はぁ……」

 ルーナのヌルヌルホールドからなんとか抜け出したアメリアの全身は、献身的なマッサージと羞恥のせいで真っ赤になっている。そしてその目は怒りのせいか、被虐心のせいか、黒い太陽のように爛々と妖しく輝いていた。


「さ、さて姫様、お体も洗いましたし湯船に入りましょうか! ここの温泉の効能はですねぇ……」

「肉体疲労、切り傷、擦り傷、肌荒れ、肩こり、眼精疲労、魔力回復に効くんでしょう?」

 そそくさと湯船に向かおうとするルーナの肩を、アメリアは万力のような力でがっしりと掴む。


「ダメじゃないルーナ、ちゃんと体を洗ってから入らなきゃ」

「そ、そうですよね……。では私は体を洗ってきますので、姫様はお先に湯船に……」

「いいえ、自分の背中を流して貰ったら、相手の背中を流し返してあげるのがエスポワールの入浴の作法なのよ」

「そ、そんなぁ……」

「さぁ、ルーナ。たっぷりと洗ってあげるわねぇ」

 半泣きになったルーナの巻き布の結び目がハラリと解けるのと、邪悪な笑みを浮かべたアメリアがルーナに襲いかかるのはほぼ同時であった。


「ひぃーーーーーっ!!」

 アメリアのエキサイティングマッサージは、それはそれはエキサイティングだったそうな。

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