『〈王の器〉を継承しますか?』



 父上が身罷られた日の夜更け、寝間着姿のシャルロットが僕の部屋にやってきた。


「どうかした?」

「ねむれませんの……」


 父上が亡くなって気持ちが昂っているのかもしれない。今にも泣きそうな妹を追い返すわけにもいかず、僕は身体をズラして寝台に空間を作って、ぽんぽんと横のスペースを叩いてあげた。


「久しぶりに一緒に寝ようか」

「よろしいんですの?」

「そのつもりだったんでしょ。いいよ」

「えへへ……ですわ」


 父上が亡くなったことも、一日中繰り広げられる権力争いも、まだ幼いシャルロットには大いに負担になったことだろう。次に権力の座につくのはオーウェン兄かクリストファー兄か。誰もが気にしていた。


 僕はシャルロットを寝かしつけながら、昼間――正確には父上が亡くなった直後――からをぼんやりと眺めていた。

 その文字列とは、


『〈王の器〉を継承しますか? 〉Y/N』


 というものだった。


「ははっ」


 思わず乾いた笑いが漏れた。


 昼から何度見返しても同じ文言が並んでいる。

 Y/N回答ができそうだったので何度か「ノー」と声に出してみたりもしたのだけど、文字列は一瞬消えてまた同じ文字列が現れるばかり。これは、アレだろうか。「イエス」っていうまで同じ文字列が出続けるということだろうか。


 ……今僕に見えている〈王の器〉が、父上の言っていたモノなんだろうか。

 

 父上の言葉を額面通りに捉えるなら〈王の器〉は僕を次の国王に選んだということになる。シャルロットの予言通りだな。すやすやと寝息をたてはじめた最愛の妹の慧眼に戦慄を覚えつつ、髪を撫でる。


 しかし、だ。

 僕なんかが継承して良いものだろうか。権力争いの火種になってしまうのでは、と思わずにはいられない。

 

 もう何度目かになるかわからないが文字列をまじまじと見つめた僕は、その文字列の向こう側で自室の扉が音もなく開いていくのに気が付いた。するり、と薄っぺらい人型の影のような黒ずくめが入室してくる。


 影は僕の姿を認めると小さく低い声で呟いた。


「……眠っていなかったか。噂よりも油断ならん男のようだな」

「ええと、夜の訪問はお断りしているんですけど、僕」


 ただしシャルロットは除く。


 僕は頬を引きつらせながら冷や汗を浮かべた。手足が震えて寝台から下りるのにも苦労した。シャルロットを起こさないように十分注意する。


「まともな訪問じゃない、ですよね。暗殺者ってやつですか? それなら相手を間違えてるんじゃあないです? 僕は――」


 恐怖を感じながら意外にも舌はよく回った。それを遮るように、


「第三王子アルベルト殿下」


 影は言った。


「合ってるみたいだね。残念ながら」


 人違いではないらしい。

 僕なんかを殺してどうするつもりなのかと思っていたら、


「王位継承権者は皆殺しだ」


 ご丁寧に答えをくれた。ハチャメチャに物騒だなこの暗殺者。

 物騒じゃない暗殺者なんて存在するはずもないのだけど、もうちょっとこうお手柔らかにお願いしたいところである。


 黒衣で顔まで隠した暗殺者はどこからともなく大ぶりなナイフを抜き放った。

 既に刃がぬらりと赤黒く濡れていた。


「次はお前の番だ。アルベルト殿下」

「……つ、次?」

「オーウェンとクリストファーは始末した。王位継承権者は皆殺しだ」


 大事なことなのか二回言った。というか、兄上たちを始末した? 剣と魔法にそれぞれ長けたあのふたりを?


「所詮は血を知らぬ王族の未熟な技術に過ぎん」


 僕の内心を盗み見たかのようなセリフを吐いて、暗殺者は兄上たちをあざけった。僕からすれば兄上たちの腕前は剣にしろ魔法にしろ大したものだったのだけれど、僕自身の無能からくる過大評価だった、というわけか。世の中は広い。上には上がいる。

 だけど、


「し、死者を悪しざまに言うのは、感心しないなぁ」

「暗殺者に人の道を説くとは……、おかしな王子がいたものだ、な!」


 弾かれたように暗殺者が跳躍した。

 そこそこ広い僕の私室の、扉から寝台までの距離を一瞬で詰めてきた。

 僕は震える手で立てかけてあった剣をどうにか掴む。鞘から抜く暇もなく遮二無二振り回した。


 ぎぃん、と鈍い音がした。


「っぶな!」


 暗殺者の初撃を奇跡的に凌ぐことができた。今のはただ幸運の女神が大サービスしてくれただけだ。次は無い。無理。絶対無理。暗殺者も油断なく身構えて俺の隙を窺っている。


 影のような暗殺者は「王位継承権者は皆殺し」と言っていた。僕を殺したら次はシャルロットを手にかけることは想像に難くない。ということは負けるわけにはいかない。兄たちを容易く屠った暗殺者を凌駕しなければならないとなれば――


 そのための、おそらく唯一の方法が、視界のど真ん中にある。


『〈王の器〉を継承しますか? 〉Y/N』


 視界に鎮座し続ける〈王の器コイツ〉がどんなものかはわからない。でも、今はコイツに縋る以外の手立てがないのも事実だ。伝承通りに嵐を鎮め邪竜を斃すだけの力を与えてくれることを祈りつつ僕は「継承するイエスだ!」と叫んだ。



『〈王の器〉がアルベルト・リーデルシュタインに継承されました』



 文字列が変化し消失した次の瞬間、

 僕の認識する視ている世界は、

 急激に変貌を遂げた――

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