第四話「本音と閉ざされた心」

佐倉の問いかけに、僕は何と答えるべきか分からなかった。ただ、彼女の目が、僕が知っているどの同期の目よりも、真剣な光を帯びているのが分かった。


「・・・ちょっとなら」


僕の言葉に、佐倉は何も言わず、ただ静かに頷いた。


僕たちは、雨に濡れた街を歩き、居酒屋の暖簾のれんをくぐった。カウンター席に座り、お互い何も言わずにビールを注文する。グラスで泡が弾ける音が、静かな店内に響く。


「何か用?」


先に沈黙を破ったのは、僕だった。佐倉は、グラスを指でなぞりながら、少しだけ寂しそうな顔で笑った。


「・・・君の目が、疲れて見えたから」


彼女の言葉に、僕は思わず、自分の顔に触れた。相変わらず、僕の目には笑みが浮かんでいないのだろう。


「同期会で、みんなに囲まれて笑っているのに、全然楽しそうじゃなかった・・・」


僕は、何も言わずにビールを一口飲んだ。口の中に、冷たく苦い液体が広がる。


「私、君のことが苦手だと思っていた・・・」

「僕は今も苦手だよ」


僕の即答に、佐倉は少し驚いた顔をした後、自嘲するように笑った。


「だよね。・・・生きるステージが違い過ぎる。なんか、正反対・・・」


彼女は、ビールを少し飲むと、僕に目を向けた。その瞳は、もう完璧な仮面を被っていなかった。


「・・・でも、本当は違う。私は、いつも怖いの。誰かが、私を完璧じゃないって気づくんじゃないかって」


佐倉の言葉は、まるで僕がタバコを吸うときに吐き出す煙のように、はかなく、不安定だった。


「私は、認められたい。だから、いつも完璧でいようと、必死・・・」


佐倉は、そう言って、梅酒を注文した。彼女はまだ酔っていない。それでも、その表情は、今にも崩れ落ちそうだった。


僕は、彼女の言葉に、自分の姿を重ねていた。僕が「チャラい」男を演じるのは、期待されないためだ。

彼女が「完璧」を演じるのは、だと思われたいからだ。僕たちは、真逆の道を進んでいるようで、結局は同じ場所にいたのだ。


「そうなんだね。でも、頑張ってるじゃん」


僕の口から、無意識にそんな言葉がこぼれた。佐倉は、信じられない、といった表情で僕を見た。


「僕は、強くなれない。だから、誰にも期待されないように演じ続けるしかない。でも、佐倉さんは強くなろうとしているし、僕から見たら、完璧だよ」


僕の声は震えていた。佐倉は、僕の言葉を静かに聞いていた。


「どうして、私には話してくれるの?」


僕が言葉に詰まっていると、佐倉は僕の顔をじっと見て言った。


「君は、誰かと本音で話したいんじゃないの?」


彼女の問いかけは、僕の心を直接貫いた。僕は、何も答えられなかった。そして、僕の心臓は激しく脈打った。まるで、誰にも触れられたくない場所に、彼女の手が伸びてきたようだった。


「・・・意味わかんない」


僕はクールな仮面を貼り直した。心とは裏腹に、冷たい声が出た。


「僕が、本音で話すわけないじゃん」


佐倉は、僕のその言葉に少し寂しそうな表情を浮かべた。僕は、彼女のその表情から目を逸らした。彼女の感情に、これ以上踏み込まれてはいけない。


「僕にとって、本音は弱さなんだ・・・」


僕は、自分の心を納得させるように続けた。


「誰かに本音を話したら、その弱さを握られることになる。そんなこと、僕は絶対にしない」


佐倉は、何も言わなかった。ただ、僕をじっと見つめている。その視線が、僕の強がりを突き刺す。


「僕の生き方は、誰とも本音で付き合わないこと。それが僕にとっての安全なんだよ」


佐倉は、少し震える声で言った。


「でも、それは、寂しくない?」

「寂しい?」


僕は、彼女の言葉を、鼻で笑った。


「そんなことはない。僕は、誰とも本音で話さない代わりに、誰にも傷つけられない。寂しさなんて、どうでもいい」


僕の言葉は、完璧な壁だった。彼女のどんな言葉も、僕の心には届かない。佐倉は、僕のその頑なな態度に、もうこれ以上話しても無駄だと悟ったようだった。


二人の間に、再び沈黙が流れた。雨が窓ガラスを叩く音だけが響いていた。


佐倉は、自分のグラスに残った梅酒を一気に飲み干した。そして、静かに言った。


「・・・そう。わかった。ありがとう」


彼女の顔には、もう何も感情がなかった。ただ、僕の閉ざされた心を、静かに見つめているだけだった。

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