26 漆黒の大狼。



 一番近所にある街の名前は、アナスタ。

 何度か買い出しに来たことがある。国の隅っこに位置するが、そう田舎でもない。

 賑やかな街だ。しかし、近所だからと言って、近所付き合いを深めていない。

 よって、私を天才魔術師凜々花だと気付く人はいないだろう。

 私は腹ごしらえをしようと、食堂を探していた。

 スクリタが美味しいから揚げを出す食堂を見付けたと言っていたことを覚えている。

 から揚げ好きなんだよなぁ。今でも。


「ん! 美味しい!!」


 皮がパリッと弾けて、中はじゅわっと肉汁が溢れるから揚げ。

 ニンニクやハーブで味付けて、なかなか美味い。


「ありがとうね、お嬢ちゃん!」


 私の大きな独り言に反応した食堂の店員さんに言われて、にっこりと笑みを返す。

 お嬢ちゃんか。私にとったら、あなたの方がお嬢ちゃんなのだけれど。

 まぁ、若いって扱われて、悪い気がしない中身40代のおばちゃんである。

 一ヶ月ぶりの食事なので、一人前で済ませておく。

 でも食べすぎたかも。

 食堂を出たら、お腹が重たかった。

 美味しかったけれどね!

 お腹が膨れたことだし、魔力もそろそろ回復してきただろうか。

 転移魔法を試しに使ってみよう。

 今度は指を鳴らすのではなく、ちゃんと呪文を唱えて。

 すると、子ども達が駆け込んできた。


「ねぇ! 君も行こうよ!」

「え? 何?」


 今の私ぐらいの身長の子ども達が、通り過ぎていく。


「天才魔術師リリカ様の弟子! 黒狼(こくろう)のスクリタ様が来てるんだって!!」

「えっ!」

「皆で見に行こう!!」


 子ども達はキャッキャッしながら、走り去ってしまった。

 誘っておいて、置いてけぼりか。

 それより、スクリタが来ているのだという。

 三番弟子のスクリタ!

 会わなくては!

 黒狼のスクリタ。そう呼ばれているとは聞いていたけれど、子ども達に人気だとは知らなかった。

 それとも、怖いもの見たさなのだろうか。

 子ども達を追いかけて、街を走ったのだけれど……。

 どうやら、道を誤ったらしい。人気のない路地に来てしまった。

 面倒だから、空を飛びたい。しかし、大丈夫だろうか。不安定な魔力で、飛べるとは思えない。


「んぅー……ん?」


 とりあえず、知っている道に戻ろうと後ろを振り返ると大男がいた。

 いや、私に毎月求婚し続けてくるオーガ族の王ロゾと比べれば、大男とは呼べないけれど、今の私には真上を見上げるほど大きい。

 そして、いかにも悪そうな顔をしたスキンヘッドの男。

 にたりと笑う彼は、私を捕まえた。

 口を押さえ込み、大きな麻袋に押し込んだ。

 呆気にとられた。

 人攫い!?

 私が住む近所で悪さをするなど! 許さん!!

 あ、でも、私、一ヶ月前に死んだことになってるんじゃ……。

 だからって悪さが許されるわけじゃないぞ!!

 大暴れしたかったが、麻袋の中って息苦しい。

 そして、どんどん体力が減らされた。


「おい、活きのいいきれーなガキを捕まえたぜ?」


 ようやく下ろしてもらったかと思えば、すごくしゃがれた声が聞こえる。

 スキンヘッドの男の声だろうか。

 やっと息苦しい麻袋から出された。


「おお! いい身なりをしてやがるじゃねーか! いいところのお嬢ちゃんか? 身代金を取るのか?」


 今のお嬢ちゃんは、頭にくる響きだ。


「いいところのお嬢ちゃんが一人でいるわけねーだろ。いつも通り、売るんだよ。いい値が付く」


 どこかの建物の中に運ばれたようだ。天井がある。

 窓は塞いであって、昼間なのに明かりがついていた。

 いつも通り、か。やっぱり人攫い。

 顎を鷲掴みにされた。


「魔導師リリカみたいな黄金色の髪をしてやがるな」

「そういやぁ、今弟子の黒狼が来てるらしいぞ。大人しくしてようぜ」

「そうビビんな。バレやしねーよ」


 長い髪も掴まれる。


「天才」


 息を整えた私は、口を開く。


「あ? なんだって?」

「天才とつけろ。天才魔術師と呼べ」


 じとりと睨み上げた。

 スキンヘッドの男の仲間は、きょっとんとする。

 そして、同時にお腹を抱えて笑い出した。


「あの魔導師の信者か? お嬢ちゃん」

「残念でしたぁ! 天才魔術師リリカ様は、お嬢ちゃんを助けには来てくれませーん!」


 子ども相手に大人気ないな! コイツ!

 しかし、助けに来ないのは事実!

 何故なら、天才魔術師はこの私なのだから!!


「”――トォノド――”!」


 私は手を翳して、雷属性の魔法を放とうした。

 だが。


 しーん。


 何も起きない。


「……」


 全然魔力回復してない!!!


「おい、今コイツ、魔法使おうとしたのか?」

「おいおい、口しばっとけ。念のため」

「んぐう!!」


 私は三人がかりで取り押さえられてしまった。

 そしてさるぐつわをされた上に、手を後ろで縛られてしまう。

 なんで魔力が回復しない!?

 いや待てよ……?

 まさか、魔力は回復しているけれど、身体が魔力の使い方を忘れている!?

 天才的に使いこなしていた魔力の使い方を、忘れた!?

 そうだもんね!! 足も生まれたての小鹿だったもんね!!

 魔力が安定しなくちゃ発動できないよな!?


「んー、ふー!」


 落ち着け。と鼻で深呼吸した。

 口を塞がれてしまい、呪文が唱えられない状況だ。

 無詠唱で発動するしかない。

 落ち着くんだ。魔力は十分にあるはず。

 初めて会った時のエグジは、膨大すぎる魔力をコントロールが出来ずにいた。

 感情に影響しやすい子だったが、少しずつコントロールを身につけていったのだ。

 当時のエグジは、六歳だった。

 十歳ぐらいの私にも、出来るはず。

 それに私は、天才魔導師。その称号は、今でもある。

 魔法が使えない身体になってしまった不安も過るが、そうではないだろう。

 それなら、天才魔導師の称号は消えている。

 魔法が使えない魔導師は、魔導師ではない。

 私は魔導師。天才魔導師だ。

 集中する。

 身体の中にある魔力を感じ取った。

 なんだか若々しくエネルギッシュな魔力に思える。

 それをコントロールしよう。

 体内から外へと溢れ出させる。

 そして具現化を始めた。


「おい、今何か感じなかったか?」


 人攫いの男の一人が、魔力に気付く。

 だが、もう遅い。

 カッと目を見開いた瞬間、私は広げた魔力を小さな雷に変えた。

 建物の中は感電する。明かりは割れて、男達の感電した悲鳴が響き渡った。

 お次は、拘束された手の布を焼き払う。

 そして、口にされたさるぐつわを剥がした。


「お、とっとっと」


 立ち上がったら、よろけてしまう。

 疲労感。もう回復した分の魔力を使い切ってしまったらしい。

 懐かしい。初めて魔法を覚えたての頃は、よくこの疲労感を味わっていたっけ。

 なんとか、よろけた足で、建物を飛び出す。

 すると、目の前には――――。

 漆黒の大狼がいた。

 漆黒の毛並み。

 突き出た鼻。

 黒の中にある赤い瞳は、怪しく光るような色をしていた。

 年々大きくなっているとは思っていたけれど、子どもになってしまった私の目には、最早怪獣に思えてしまう。

 これ他の子どもが目の当りにしたら泣かれるのではないのか。

 さっきの子ども達は大丈夫だったのだろうか、と変な心配をしてしまう。

 漆黒の大狼は、じっと私を見下ろした。


「……」

「……」


 なんで無言なのだろうか。

 あ、私も無言だった。

 なんて挨拶しよう。


 やぁ、君達の死んだ師匠だぞ!


 軽い。軽すぎる。却下。


 天才魔導師凜々花様が生き返ったぞ! わっはっは!


 これも軽いわ。却下。


「……スン」


 スクリタは、鼻を鳴らした。


「スン、スンスン」


 大きすぎる鼻を、私のお腹に押し付けては、匂いを嗅ぐ。

 あ。これはもしや。私かどうか確かめている?

 匂いで?

 いや、まぁ、子どもになってしまった姿では、一目ではわからないとは思うけれど。

 匂いで確信できるものなのか?

 スクリタは獣人だから、そうかもしれない。

 押し付けられた鼻は、私のぺしゃんこになった胸に移動する。

 そして、首に当てられた。

 ふしゅーっと息が吐かれては吸われる。

 くすぐったい。

 そう言えば、獣人特有の発情期の兆候が出ると、人目を盗んでは私に抱き付いては首を嗅いでたっけ。

 首からはフェロモンが出るって聞いたことがある。地球で。

 それを嗅いでるのだろうか。


「あのガキ!! どこ行った!? 売りさばく前に痛めつけてっ……ひぃ!!」


 スキンヘッドの男が建物から飛び出してきた。

 私を追って。

 しかし、私の前にいる漆黒の大狼を見て、腰を抜かした。

 大の大人も泣きそうな大狼。


「……売りさばくだと? この娘を、そう言ったのか?」


 歯を剥き出しにして、すっかり大人びて低くなった声を発するスクリタ。

 腰を抜かしたスキンヘッドの男は、ぶるぶると震えた。

 いや、きっと、否定するために頭を振ったつもりだろう。

 スクリタは、ぐるるっと怒りの唸りを出す。

 そして一歩、近付く。

 あとから出てきた人攫いの仲間達も、悲鳴を上げては腰を抜かす。

 逃げ出そうとした者がいたが、魔力支配でスクリタは動きを止めた。

 魔力をその場に充満させて、支配する技。

 そばにいた私も、魔力支配に遭う。

 魔人の時以来だ。こうして魔力支配を受けてしまうのも、魔力が少なすぎるせい。

 指一本ぴくりと動かせないが、落ち着いて自分の魔力に集中した。

 魔力が少なくても、コツさえ掴めれば、魔力を魔力で押し返せる。

 しかし、悠長にしている暇はなかった。

 スクリタは、スキンヘッドの男の足に噛み付くと、ぶんぶんと振り回す。

 鋭利な牙が、深々と刺さっていて血が飛び散った。

 いたぶっている。


「おやめ、スク」


 そう呼んで制止の声をかけると、ぴたりと振り回すことをやめて、スクリタは男を放した。

 私を振り返ると、じっと私を見つめる。

 深呼吸をして、そっと魔力支配を押し退けて、私は自由になった。

 けれど、魔力の使い過ぎで、倒れかける。

 そんな私の腕を軽く噛んで、スクリタは倒れることを阻止してくれた。


「きゃぁああっ!!! 子どもが! 子どもが食べられてる!!!」


 たまたま通りかかったのか、目撃した女性が叫んだ。

 どう足掻いても、大狼が女の子を食べているようにしか見えないシチュエーション。

 女性の悲鳴で駆け付けた人が人を呼び、そしてこの街の兵士を呼んだ。


「あなたは、スクリタ様!? 子どもを食べたと聞いたのですが!?」

「人攫いの連中だ、捕まえろ」


 兵士の疑問に答えず、スクリタは人攫い達を差し出す。


「私を売るって言ってました」


 私も証言しておく。

 たちまち、誤解だったとわかり、叫んだ女性はペコペコしながら謝罪をした。


「英雄のリリカ様の弟子が、子どもを食べるわけありませんよね!! 本当にごめんなさい!!」

「天才魔導師リリカ様の弟子に助けてもらって、幸運だったな! お嬢ちゃん!」

「よっ! 流石、リリカ様の弟子!!」


「わぁー!! スクリタ様だぁ!!! かっけー!!」と子ども達も集まり、騒ぎ出す。

 やっぱり、人気だったのか。

 しかし、スクリタはしーんと無反応を示した。


「では、このお嬢ちゃんは我々が保護しますね」


 そう言って、私に手を伸ばそうとした兵士に、スクリタは。


「がう!!!」


 そう強烈な咆哮を浴びせる。

 兵士達は驚きのあまり、ひっくり返った。


「オレのものだ! 気安く触るな!」


 また噛み付きそうだったので、私は割って入る。


「スクリタ様に送ってもらう約束をしたのです! 大丈夫です!」


 身振り手振りでそう答えておいた。

 私がこのスクリタの師匠だって話しては、面倒になりかねない。

 だから、スクリタ様と呼んでおく。

 私はスクリタを歩くようにと押す。悲しいほど力がないのでびくともしなかった。

 すると、スクリタは伏せをしてくれる。

 どうやら、背中に乗れとのことだ。

 なんとかよじ登って、スクリタの大きな背に跨った。


「あの子いいなー」

「スクリタ様の背中に乗せてもらってるー」

「ボクも乗せてもらいたーい」


 子ども達から羨ましいと声が上がる。

 んー。私も何度かスクリタ様の背に乗せてもらったことがあるけれど。

 他の人を乗せているところは見たことないなぁ。

 この通り、不愛想な子だから、お願いしても無理だと思う。


「あの子、リリカ様に似てないか?」

「まさか、娘じゃ……」


 ちょっとこそこそしている話し声を耳にした。

 私を見たことある人達の声だろう。

 隠し子説が産まれそう。


 私に娘はおらぬ!

 強いて言えば、私の子どもは魔法と弟子だ!


 言ってやりたい気持ちをぐっと堪えて、私はのそのそと歩くスクリタの背に揺られて街を離れた。

 揺られ続けていたが、やがて気付く。

 どこ行こうとしているのだ?


「スクリタ、うおっ?」


 スクリタが急に足を止める。それだけではなくおすわりをしたものだか、私は滑り落ちた。


「ぶへ!」


 背中から草が生い茂る丘に倒れる。


「スクリタっ」


 ちょっと怒った風に呼びながら、立ち上がると、スクリタはまた伏せをした。

 私と真っ直ぐに向き合うように、赤い瞳で見つめてくる。

 ちょうど視線の高さが、ぴったりだ。

 ふわーっと丘にそよ風が吹いて、漆黒の毛並みも黄金色の髪も靡く。


「スク」


 手を伸ばして、スクリタの眉間を撫でた。

 気持ちよさそうに、赤い瞳は細められる。

 そして尻尾が軽く振られた。


「ただいま、スク」


 一番相応しい再会の言葉が、思いつかなかったけれど。

 自然と出た言葉を口にした。

 それから、小さな腕で、スクリタの顔にしがみつく。


「……おかえり」


 スクリタは、深く息を吐いた。


「リリカ」


 そう私を呼んだ。

 いつものこと。特に二人っきりの時は、呼び捨てが多かった。

 ほとんどは、師匠とは呼んでくれるけれどね。

 よかった。私だと認識してくれて。

 もう一度、会えてよかった。



 

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