[10章7話-2]:そこまでやらなくても…?




 市内のコンクールとはいえ、プロアマを問わずの参加となる。当然どこのレッスン教室にも所属していない茜音はアマチュア扱いだ。


 しかし、その差は正直なところ歴然だった。


「小峰さん、茜音ってどこが違うんですか?」


 休憩時間に、客席にいた佳織は隣の小峰に聞いた。音楽の耳は持っていない佳織ですら、どこか他の演奏者と異なるところがあったように感じられたほどなのだから。


「音が正確なのはもちろんですが、楽譜上には書かれていない、作曲家が何を表現したいかを演者が読み取ることを『解釈』と言います。これを他の方とは微妙に変えておられる。私の予想でしかありませんが恐らくお嬢様の方がより正確だと思います。これを僅か1週間で仕上げてくるのは見事です。これはもう天性としか言えません。やはり天才のお二人の血筋なんでしょうね」


 口には出さず小峰が首を傾げているのは、審査に時間がかかっていることだ。理由の想像はついていた。もちろん、台風の目になってしまった茜音の存在だ。


 課題曲の作曲者は明かされていないし、その譜面の読み方や解釈も各自が自由ではあった。きっと、問題となっているのは彼女の素性なのだろうと。


 僅か1週間前のエントリー変更にもかかわらず、審査員をうならせる技術をもつ無名のピアニストは誰なのか。


 このコンクールは、アマチュア部門とはいえ各パートの優勝者には2ヶ月の留学研修というご褒美がある。どこの教室にも属していないともなれば、それなりの人物でないと選出理由に箔が付けられない。



 この会議の中、審査員の一人が首を傾げた。


「昔、この片岡さんとほぼ同じ解釈ができた人がいる。ただ、歳も違うし、お名前も違う」


「そうなんです。あの方はお亡くなりになってます。惜しいことをしたもんだ。彼女が同じ解釈をして演奏すれば十分に優勝させられるのだが」


「もしかして……。まさか、そんなことが……?」


 結果はすぐに出た。あのテレビの影響もあった。インターネットで検索してみると、茜音の名前からすぐに情報が詳細に分かった。


 片岡茜音。


 もはや伝説とも言われた。彗星のように突然現れて、各賞を総ざらいした後に海外留学した一人の女性ピアニスト、佐々木成実を母親に。国内最高クラスの楽団コンサートマスターを務めていた佐々木秀一郎を父親に持つ。


 後に不慮の事故で亡くなってしまった二人が、唯一遺した一人娘なのだと。




 

 会場からの帰り道、トロフィーを抱えながら佳織と健と一緒に電車に乗る。こんな物を持ち帰るとは思っていなかった。


「茜音ぇ、なんであんたはそこまでやっちゃうかなぁ?」


 会場で着ていた赤いドレスは、クローゼットの中から大急ぎで選んだものだ。もともと成長すれば雰囲気の似ていた親子だったのだろう。母親の衣装を着ても違和感なく収まっていた。


「頼まれたからにはね……。それよりも健ちゃん、どうしよぉかぁ……」


 あくびをかみ殺しながら、手元の袋を見下ろす。バックに衣装と一緒に入れてある封筒が問題の種だ。


 春休みにかけて、オーストリアのウィーンに2ヶ月の研修体験。学生には春休みにちょうどいい時間だけど、職を持っている茜音には休暇にしては長すぎてしまう。


「そしたら、本物の研修にしちゃおうよ。もともと茜音ちゃん、音楽セラピーの勉強がしたいって言ってたし。現地で調整してみたら?」


 現地での調整と、茜音の不在期間を他の職員と、今度の春からの珠実園入りが決まっている河名千夏と西村和樹の二人に連絡をして、卒業式を待つ和樹に部屋の片づけをお願いし、一足先に千夏に入ってもらうことで乗り切ることになった。

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