[5章1話-2]:わたしがわたしでいるために…




「茜音なんかは、健君とも会ったわけだし、イメージを変えてくるかと思ったんだけどなぁ」


「結局、髪型も全然変えなかったもんね」


 二人の指摘どおり、茜音の外観というのは高校の頃を含めそれ以前から変わっていない。


 『健ちゃんと会うまでは変えられないんだよね』と語っていた髪型は、二人が無事に再会した後も、幼い頃からの三つ編みが特徴の形を変えていなかった。


「うん~。健ちゃんとも相談したんだけど、変える必要もないってことになって。自分でも想像してみたんだけど、なんかわたしじゃなくなっちゃうんだよねぇ」


「なんかそれは分かる! なんかそれがなかったら茜音じゃなくなっちゃうよ」


 物心ついたときからのものを変えるというのは、やはりそれ相当の勇気が必要だろう。


「うんー。だからこのままでもいいのかなぁって」


「そっかぁ。いいんじゃない? うちらも見慣れちゃったからなぁ」


 佳織たち二人にしても、出会った頃から見慣れてしまうと、今さら変えられてもという思いもある。


「わたしが、わたしでいるために、まだもう少しはこのままでいたいかな……」


「茜音が茜音でいるために……か。大人になったねぇ」


 感慨深そうな佳織。あの心細そうに教室の隅で小さくなっていた頃を知っているだけに、茜音のこの成長は嬉しくもあり、一方で寂しく感じられるようにもなっていた。


「なんか佳織はすっかりおばさんみたいよ? 茜音はもうそんなに心配いらないんだからさ。自分の方を心配したらどう?」


「どうせ、私は世話好きなおばさんですよ。彼氏だって年下だし……」


 そこまで言ったとき、カランと店の扉が開く音がした。


「あ、いらっしゃいませ!」


 佳織が席を立って飛んでいく。


「そろそろ夜のお仕事だわな」


 高校卒業が近づいた当時、もはやアイドル状態であったこの三人娘が見られなくなるのを惜しむ声が数多くあったくらいで、その後も継続できるかが、この店にとっても重要な問題だった。


 この店が実家である菜都実は別として、それぞれ学校に電車で通っている佳織と茜音は、可能な限りと言うことでシフトを入れている。


 店の客たちもそれを知っているものだから、三人が揃う日はかなりの混雑になる。


『まったく。若い女の子がいるなんて、ゲンキンなもんだよなぁ』などとマスターは笑って言うのだが、売り上げに貢献しているのだから納得するしかない。


「茜音、今日は弾けるん?」


「うん。準備してくる!」


 以前、偶然から始めた茜音の演奏会も変わらずに続いている。


 その時間目当ての常連客も以前にも増して増え、その時はいつもは若干の空席もある店内がびっしりと埋まってしまうほどだ。


 楽器も変わらず、菜都実の妹が遺した縦型のピアノと、茜音が持ち込んだバイオリンが主だが、佳織が彼氏の影響からか、受験後にギターを習い始めたと言うことで、時々練習がてら登場するときもある。


 少し前に店の一角を演奏ステージのように改装したおかげで、客の飛び入り参加も出来るようになっただけでなく、小さいライブステージとしても一般に開放することが出来るようになった。


 そんな状況をインターネットやタウン情報誌などで紹介されてしまったものだから、茜音たちも止めるわけにはいかない。


 今日もそんな演奏が聞ける日だと分かっている常連さんたちで店はすぐにカウンター席までいっぱいになってしまった。


「それじゃぁ、今日もよろしくお願いしますぅ」


 パタパタと楽譜を抱えて走ってきた茜音。夜は落ち着いた雰囲気にする店内をさらに暗くすることにしたので、手元のスタンドとステージ用のダウンライトに照らされる。


「やっぱ、茜音ってその道に行った方がいいんじゃないかなぁ……」


 ステージの時間帯は、厨房は一息がつける時間帯になるので、佳織と菜都実は目立たないように隅に立っている。


 ダウンライトに照らされて鍵盤に指を走らせている茜音を見て、佳織がつぶやいた。


「ん? やっぱり佳織もそう思う?」


「うん……。だって、素質は凄い物を持ってるんだもん。磨かなかったらもったいないって思ったし。以前に比べて演奏しているのが楽しそうに見えるようになったってのもあるかな。今の学校に行っている理由は聞いているけどね」


 佳織はギターで茜音とセッションをやることもあるから、余計にそう思うのだろう。


「今日はいいん?」


「うん。今日は練習もしてなかったし……」


 結局、この日も閉店時間までの数時間、茜音は演奏を続けた。

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