[3章2話-3]:茜音の進路志望動機
櫻峰高校で伝説のヒロインとなった茜音が自分の横で一緒に受験勉強をしている……。
そんな状況になってから、未来はすぐに気づいた。
いつもは仕事をしながらにこやかに笑っている茜音だけど、やはり制服姿で机に向かえば進学校の高校3年生である。未来の先輩を通じて、その女子生徒(=茜音)の成績を聞けば、いつも上位にいると聞いて驚く。
高校の授業日数や成績を維持しながらあの旅を続けていたというのだから、こうやって外には見せない顔を見ていると、大変な努力家であることも分かってきた。
未来が解らないことを聞いても、ちゃんと説明しながら解けるように教えてくれる。ちゃんと理解しているからできることだと。
自分たちの中学までその噂が響く茜音が個人教師としてついていてくれるなどということが知れたら……。同じ試験を受けるクラスメイトもいるから、絶対に言えない。
担任の先生にもすぐに分かった。とにかく盆ミスを潰して基本を落とさないようにとの特訓の効果が試験結果から見えてきていたし、紅葉が終わる頃には、各種の模試の結果を見ても受験の体制もほぼ出来上がりつつあった。
「姉さんは、なぜ音大志望ではないんですか?」
休憩時間のとき、未来は茜音に尋ねたことがある。
夏休みのあの一夜で、茜音の音楽の才能は同年代を飛びぬけていると分かり、あとで彼女の両親のことを調べてみると、日本どころか世界のオーケストラ界の中でも一目置かれる存在だったと分かった。その両親が事故でこの世を去ったっとき、唯一遺した一人娘が彼女なのだと。
その事実を知っている者は業界にはいくらでも存在するし、彼女が望みさえすれば、練習環境やその後の進路に困ることはない。
「うん、それも一時は考えたんだよ……」
ところが、茜音は音大には進まずに、短期大学への進学を希望しているという。短大だと言って、彼女が楽をしようとしているわけではない。短い期間に4年制大学と同じだけのカリキュラムを組むとのことで、それこそ長期休暇もなく学校に通うという生活を覚悟している。
それも、教育や福祉関係の進路に進むということで、あの茜音の持っている特技を生かさないのはもったいないと思っていたから。
「……ねぇ未来ちゃん。音楽って誰のためにあるのだと思う?」
「えぇ?」
思いがけない問いかけに、答えに困る。そんなふうに考えたことなどないから。
「音楽ってね、特別な人のものじゃないんだよ。みんなに平等なの。わたしも未来ちゃんも、今日生まれた赤ちゃんだって、みんな平等なんだよ」
「みんな平等……ですか?」
茜音は「うん」と頷いて、椅子から立ち上がって大きく息を吸い込むと、あの時と同じ声色で歌いだした。誰もが知っている曲。ベートーヴェンの交響楽第9番の第4楽章。いわゆる「歓喜の歌」という一番有名な合唱のサビの部分だ。それを見事にドイツ語の原曲のまま披露してみせた。
「なんだなんだ? 茜音ちゃんどうした??」
健をはじめとして、珠実園の面々も続々と自習室の扉から中に入ってくる。ソロとはいえあの声量だ。ドアなどは簡単に突き抜けてリビングまで届いたのだろう。
「みんなごめんね。驚かせちゃって……。 ね? 未来ちゃん。この曲って意味を知らなくたって学校でも聞いたことがあると思うけど、どう?」
「合唱会で歌ったことあります。けど、一人なのに全然違う……」
「この歌はね、解釈がすごく難しくて今でも研究材料になるようなものだよ。でも、ものすごく大雑把に言うと『みんなが力強く羽ばたいて自分の道を歩いていいんだ。みんなで夢をかなえて心を合わせて喜び合おう』って解釈が込められているの。これを珠実園のみんなに伝えるためには、わたしがコンサートホールの中にいちゃいけないんだよ」
「!?」
「未来ちゃん。茜音ちゃんの気持ちわかった?」
さっきの騒ぎで一緒に部屋に入った里見が頬を濡らしている。彼女も当初茜音の進路には疑問をもった一人だ。健の卒業に合わせて時期を調整したのかと思えば、そうではないと。
その答えを茜音はわずか数小節の歌を使って表現してしまった。
「わたしは自分の練習はするけれど、音楽は趣味。楽器を演奏したり歌を歌ったりするのは楽しいことなんだよって『伝える』ための進路を選んだの」
あの夏の日、小峰という個人的かつ強力なパイプを復活させた茜音。珠実園以外でも、同じように幼稚園や小学校など、彼個人や楽団が関係するイベントに参加することを即時に快諾したという。
そんな圧倒された中で、その日の勉強時間は終了になった。
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