第33話 疲れる一日
幸い、オドレイさん曰く“腑抜け”の状態になっていたわけではないらしい。
トゥルーズの街に入ってすぐ魔術師は目を覚ました。
「おかげでかなりすっきりしました」
「そうですか」
「やはり貴女に触れていると回復が早い」
「またそんな調子のいいことを」
回復してきたらすぐこれだ。
向かいの席に移りたかったけれど、街に入ってしまっているので降りるのもすぐかと諦める。
移動やフォート家とその当主の話、気を張るような張らないような挨拶回りに加えて、この人の相手を狭い馬車の中でほぼ一日。
わたしもなんだか疲れた。
若干、うんざりした気分で肩をすくめたわたしに「冗談ではなく」と魔術師が言う。
「あくまで体感なので私も気分的なものと思っていましたが、ここのところ立て続けに消耗していましたから……過去の例と比較してもどうもそうではない気がします」
顎先を摘みながら、後半はなにか考えを巡らすようにそう呟く魔術師を見れば、私室や食堂などで書物を読んでいる時や彼の魔術を暴発させて平気でいるわたしを不思議がっていた時の目をしていた。
これは絶対に魔術研究に思考がとんでいる。
「……もしこれも、“祝福”の一部なのだとしたら興味深い」
実験してみたいとなったらたまったものじゃない。
フォート家の祝福のこともあるだろうけれど、どうやら本当に魔術研究には熱心な人のようだ。条件を変えて検証するとなれば、歯止めがきかなくなりそうで不安しかない。
初夜の際になにやらわたしが他者の魔術の影響を受けていないか、調べたようなことも言っていたし……一般的に他はどんなものか知りえるはずもない閨の事で、わたしはこの人に蔓バラ姫曰く、“色々された”らしい。
そんな魔術馬鹿に、魔術的な意味でも関心を抱かれたら大いに困る。
「よく眠っていたし、気のせいです」
「何故そう言いきれます?」
「だ、だってわたし魔術なんて知らないし、それに過去の当主達はどうだったんですか?」
「……貴女が魔術を知らないのは根拠になりませんが、言われてみたら歴代当主の誰もそんなことは言及していませんね」
「接触なら絶対に絶対に、過去の当主ご夫妻が多いと思いますっ!」
しかしそうは言っても……とまだしつこくぶつぶつ言っている魔術師に泊まるのはどこですかと無理矢理話題を変えた。
中央広場近くの高級宿だと教えられる。
都市だけあって、夜になっても大通りには蝋燭街灯の明かりが灯っている。
どうやらトゥルーズも、今日回った他の町や村と同じ円形の街のようだ。
国境沿いに十箇所に施された魔術による防御壁。
もしかしたら各集落それ自体が、魔術的な意図で作られているのかも。
そうだとしたら、たしかに一から作り直すのは大変だ。
「王都を思い出しますか?」
防御壁の魔術のことを考えながら、ぼんやりと魔術師越しに窓の外へと目をやっていたからだろう、彼にええと頷く。
日中、久しぶりに王宮にいた頃を思い出して振る舞ってもいたし、街並みを見ながら少し懐かしさも覚えていたため嘘ではない。
王都と比べるとこじんまりした印象だけれど、東部一と言われる街だけあってこれまでの町とは段違いに栄えている。
立ち並ぶ商店や家、橋など装飾的で、夜でも外を歩く人々や馬車も見え華やぎがある。こういった雰囲気に触れるのはちょっと久しぶりだ。
「四日後の朝まで滞在しますから、久しぶりに街を楽しむといいですよ」
魔術師のなかではユニ領に向かう道行きは新婚旅行でもあるらしいので、一緒に行動するつもりではなさそうな言葉におやと思う。
「あなたは?」
「明日は朝から補強作業を片付ける必要がありますし、翌日は各地の統括官を呼んでいます」
領地の実質的な運営を任せている統括官を呼び集めているのなら、きっと会議だ。
たぶん、これから秋口くらいまでのことでも話し合うのだろう。
本当に移動ついでに、領地の仕事もまとめて片付ける気らしい。
効率的というかなんというか、そこまでして屋敷から出る用を減らしたいのかしら。
それはいいとして、その会議はわたしも同席したものなのだろうか。
領地のことなら同席すべきだろうけれど、まだ右も左も分からない。
領主である彼に、恥をかかせたり気を回させたりするのも嫌だから、出来れば今回は勘弁してもらいたい。
「翌日のご挨拶はありますよね」
「ええ、午後のお茶で貴女を紹介します。
「はい」
「おそらく貴女と昼間ご一緒できるのは、明日の午後と三日目ですね」
わたしの確認意図などお見通しな魔術師の苦笑しながらの言葉に、流石、わかっていらっしゃると、ほっと胸を撫で下ろす。
婚約期間中のように、自分が追い込まれる側はかなり嫌だけれど、そうでなければ悪徳魔術師の悪徳な腹黒さはかなり頼りになる。
貴族社会で、公の場の失態は後々までついて回る。
婚約期間中でも、ちょっとしたことが尾鰭がついてすぐに噂になっていた。
あの頃のわたしはただの田舎領主の娘だった。
そんな娘を何故か見染めた誰もなにも言えない高位な貴族である魔術師といった構図だったから、多少どたばたしたことでも面白半分な噂話で済んだけれど、いまは違う。
名目上でも王妃様のご一族の養女で、大聖堂で婚儀を行った公爵夫人としてわたしは見られてしまう。
フォート家や魔術師自身がかなり特殊で、普通と違う変り者の貴族といった認識をされているから許容範囲に幅はあるかもしれないけれど。
「オドレイには用事を言いつけているため、宿の部屋専属の小間使いと臨時雇いの侍女を手配しています」
「身支度くらい一人でも大丈夫だけど?」
「そうでしょうけど……ここは一応、都市ですから。構えるならむしろさっきまでの町や村よりこちらですね」
そうか、小さな王都のようなもの。貴族のお屋敷通りだってきっとある。
領地運営の関係者だけでなく、ある程度、周囲の人目も気にしないといけない。
護衛も侍女も下女も連れていない公爵夫人なんて有り得ない。
やけに手回しがいいのは、ここはきっと元々の旅程に入っていたからなのだろう。
リュシーがいないのが少し心許ない……半分精霊な彼女を屋敷の外に連れて行くのは難しいのだけれど、彼女は装いの組み合わせや髪を結うのがとても上手だもの。夏の社交までに考えておかないと、ちょっと困ることになるかもしれない。
オドレイさんは魔術師の従者兼護衛だから、わたしが連れ歩くわけにはいかない。リュシーの他に侍女が出来そうな使用人はもう一人いるけれど、陽の光に当たると肌をひどく傷めてしまう体質だ。夜会はよくても昼間のお茶会には対応できない。それに少々事情があってこれまた屋敷の外に連れていくのが難しい。
「街歩きなら侍女だけでなく、護衛も兼ねてシモンも連れて行くといい。彼はここの出身です」
「案内は助かるけれど、大丈夫かしら」
「彼を縛っていた元締と一味は牢屋です。危ないところに近づかなければ大丈夫ですよ。本人が一番わかっているはずです」
シモンはこの街のスリとして貧民街の悪い大人に縛られていたところを、魔術師に助けられてフォート家で働いている。
実は十年の労役の刑罰も兼ねての屋敷勤めであり、彼も魔術師の許可なく屋敷の外には出られない。
使用人の中では唯一魔術師と契約魔術も結んでいて、逃亡したら魔術の縛りで処罰を受けてしまう。
立ち直ろうとする人や向上心のある人を、暗い場所へ引き戻そうとしたり足を引っ張ろうとしたりする悪意を持つ人はいるものだ。
王宮にもいるし、下町だって同じだろう。
「なに?」
物言いたげな表情でわたしを見下ろしている魔術師に気がついて尋ねれば、爵位無しの家というだけでほぼ貴族令嬢と変わりない育ちをしているのに、本当にそういったところはあれこれとよく気が回る人ですねと呆れ気味に言われた。
「全然違うでしょう。少なくとも貴族のご令嬢は下働きの蹴落とし合いなんて見ませんよ」
「領主家のお嬢さんや、王宮の行儀見習いや、王妃付きの侍女も普通はそうですよ」
「う……」
言われてみたらそうかもしれない。
自分の務めの範囲外、ましてや階級的にも扱いが異なる立場にいる人同士のことに無闇に介入するのは、責任者の面目を潰したり、権限の混乱にもつながるからよくないことはわかっている。
けれどあまりに酷い嫌がらせを受けて悩んでいる下女など見かけると、自分が王宮に上がったばかりの頃や王妃様に抜擢されたばかりの頃を思い出して、ついこっそり手を出してしまっていたことを魔術師は知っているのかもしれない。
彼の性格を考えたら、絶対、結婚前にわたしのことを調べているはず。
たぶん父様が王都に来て、結婚することが決定的になった後くらいに。
結婚後になにか公爵家であるフォート家に厄介を引き起こしそうなことはないか、あるなら事前に潰しておくために……。
心配しなくても、そこまでのことはしないし出来るわけもないのに。
「表立つところが少なく掴みにくいですが、王宮における貴女の実質的な影響力は気になるところではありますね」
「表立つもなにも、侍女の領分以外にあるわけないじゃないですか」
「想定通りの返答過ぎて、なにかいう気もしません……着きましたよ」
なんなのよ、と思いながら馬車を降りる。
高級宿とは聞いたけれど、どなたかの邸宅のような建物だった。
宿ってたしか、受付みたいなのがあると聞いていたけど……フェリシアンさんのような初老の紳士の案内で建物の中へと通され部屋まで案内されるようなので、聞き違えたのかしらと魔術師に話しかける。
「わたし利用したことなくてよくわからないのですけど、宿なんですよね、ここ。お知り合いの邸宅ではなく」
「より正確には出資している商会の経営者が道楽でやっている高級宿です。貴族の邸宅を模していて宿泊は一組限定。情報が漏れにくく、高位な貴族のお忍び用でそれなりに人気らしいですよ。私は他家との付き合いはほぼなく、世話になるような先もこれといってないですし」
あ、なんだか……余計なことを聞いてしまった気がする。
滞在先として立ち寄れる親しさのお友達はいないってことですよね、それ。
「しかし宿を利用したことがないとは、故郷から王都に出てくる時はどうされたのですか? こういっては失礼ですがユニ家がいくら裕福でも、西部から出てくるには各所を繋ぐ馬車を手配し途中泊まりになるでしょう。お父上殿が王都にいらした時は中級宿を手配されていたようですが」
「ああそれは。母様の実家のドルー家のお婆様が心配して、遠戚のモンフォールの当主様に相談してくれて」
「伯爵家に」
一瞬、魔術師の目がきらりと光を帯びた気がしたけれど、彼にとって伯爵家はその三男がわたしを巡って至極くだらない理由で決闘なんてものを迷惑にもぶつけてきた相手だから仕方ないかもしれない。
結婚前の話だけれど、共に大領地を治める領主家でいまやわたしを介して遠戚にもなる。発端はくだらない事で当事者同士済んだ話でも、対外的な関係においては多少微妙な出来事ではあるかもしれない。
本当、貴族社会は面倒くさい。
「えっと……騎士団の馬車を手配くださって」
「騎士団?」
「ええ、三男の坊ちゃんが騎士団の大隊長ですから。面倒を避けてわたしの為というのは伏せて、モンフォールから王都へ客人をお送りするみたいな名目だったみたいですけれど」
「……それは」
「それで、伯爵家と親交のあるお宅に泊めていただいて」
歩きながら話しているうちに段々その表情が表面穏やかでも不機嫌そうになり、頭が痛い……と呟きだした魔術師に、“腑抜け”でなくともやっぱり相当疲れがきていそうと思った。
「あの、こんな話より……えっと、シモン。彼の荷物に薬が……」
「結構、大丈夫です」
荷物を運んでいるオドレイさんとシモンを振り返って指示しようとしたのを止めた魔術師に「本当に?」と念押しすれば、それより王都に出る際にお世話になったお宅はいかがでしたかと尋ねられた。
「当主様が直接お手紙を書いてご連絡くださっていたみたいで、どちらでもまるで賓客みたいによくしてもらいました」
「成程……大領地の伯爵家当主に託されて王都に戻す、騎士団に護衛された
「なにしろ行儀見習いといっても、貴族の娘でもないのに法務大臣様に無理矢理に女官職に押し込んでもらったようなものでしょう? 通常の王宮に上がるご令嬢と違って侍女や下女もなく単身だったからそれを気遣ってくださったのだと思うのですけど……どうかしました?」
わたしの話を聞きながらかなり険しい表情になっていた魔術師に、本当に大丈夫なのと首を傾げれば、まったく問題はないですね……と彼は呟いた。
「それにしても随分と気遣いが用心深い。表向き誰とすぐ結びつかないようにしている」
「それは、わたしが爵位無しの娘と侮られるのは、頼んだ伯爵家の面目に関わるからでは?」
「常識的にはそうかもしれませんね」
「ルイ?」
「その話をいま聞けてよかった。結婚について介入してこなかったので少し気になっていたのですよ、三男と幼少期から親しんでいる貴女に随分と関心がないものだと」
「関心?」
「あちらから見ればかつて独立を許した後に再び繋がった、影響下にある成功している他領。後継者でない息子が懸想して利がある娘ですよ貴女は」
「まあ悪徳な考え方で見ればそうかもですけど」
「悪徳……それを横から掠め取られたようなものです。決闘の件もある。こんな面子の立たないことはありません。多少の抗議や横槍はあって然るべしと私は思っていたのですがね」
いや、そう仰られても。
誰もあなたみたいな、地位も名誉も財も揃った悪徳魔術師とあんなくだらない坊ちゃんの思い込みを理由に争いたくはないと思います!
モンフォールの当主様は賢明です。
結果、わたしを介して公爵家と王家と遠くても繋がったわけで……面子の問題も相殺ではないかしら。
「あなたと下手に拗れてもと思ったのでは? それに王妃様のご一族の養女になった時点で体面のため口出ししてもまるで益がないもの」
「言葉を選びましたね、マリーベル。ええ、おそらくは。あの三男はともかくモンフォールの領主殿は聡明な方ですね」
にっこりと微笑んだ魔術師だったけれど、明らかに額に疲労の影が見えたので部屋に通されてすぐとにかくあなたは休みなさいと寝椅子に落ちつかせて、オドレイさんとシモンに荷解きの指示をして、案内してくれた宿の使用人らしき男性に食事とお風呂の用意を頼んだ。
本当に盛り沢山過ぎて、疲れる一日だった。
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