第25話 干し草置き場の再会

――二日後。

 

 コクピットに持ち込んであったわずかな食料と水が、ついに尽きた。

 既に半日、何も口にしていない。空腹に耐えかねてポケットを探ると、ナッツバーの包み紙が指に振れた。中に紙とは違う固形物の感触がある。


 期待に震えながら手のひらの上に出してみると、はたして、キャラメルで固められた小指の先ほどの砕きナッツだった。

 唾液を絞りだして口の中で出来る限りふやかし、ゆっくりとしゃぶるように味わってから飲み下した。ガリガリ噛んで歯に詰まらせたりしてはもったいない。

 

(そろそろ、限界か……)


 街道から南へ下った森の中を西に進んで、レエル湖方面へ出るつもりだったが、俺のポータインはあれからほぼ一日で走れなくなった。

 重戦甲は基本的に電力で稼働するが、そのバッテリー容量はそれほど長時間持たない。だからこそ、燃料を積んで追随し、エンジンで発電した余剰の電力を機体に供給できる運搬車トレッガーが運用に欠かせないのだ。 

 あとはもう、コクピット開閉などの最低限の機能を保つ非常用電源だけ。重力中和装置を稼働させることができないので、砲車モードの脚部は森の地面に深々とめり込んでいた。 

 

 なお悪いことに、俺自身も負傷していた。あの噴進砲を被弾した直後はアドレナリンのせいで気づけなかったが、戦闘が終わると左足の足首が猛烈に腫れて痛み出した。

 機体との接続を断たれてフットペダルが跳ね上がった時に、足に無理がかかったらしい。折れてはいないのではないかと思うが、ヒビ程度だとしてもこのままではまずい。

 

(動かなければ、このままコクピットで日干しだ。気合いを入れねばな……)


 コクピットハッチを開けて、機体から何とか滑り降りた。破損部に露出した内部フレーム周りから添え木に使えそうな物を探す。太いケーブルと、装甲の内側から剥離しかけたライナー材をなんとかむしり取った。

 明るいうちで良かった。暗くなってからでは余計な怪我を増やしていたに違いない。

 ブーツは脱がずに、足首をライナーとケーブルで固定する。この処置で正しいかどうかわからないが、今ブーツを脱げばもう一度履くのは困難だろう。

 

 俺はまた大変な苦労をして機体によじ登ると、外部スイッチを操作してコクピットを閉じ、それから電源を落とした。

 ポータイン・ウルフヘッドとはしばらくお別れだ。何かの幸運に恵まれなければ、このままここで朽ちさせることになる。

 

 手回り品は図嚢マップケースと方位磁石、空の水筒。着替えのシャツは包帯や手ぬぐいの代わりにもなる。それに父の長剣と支給品のリボルバー、銃剣を兼ねたナイフに、マッチ少々。

 

(南米のジャングルとかではないのだし、これだけあれば当面は何とかなろうが……)


 まずは水だ。水を手に入れねば、三日も持たない。俺は長剣を杖代わりに、森の中をよたよたと平地へ向かって下りて行った。

 

 美しい土地だった。

 故郷のカッタナ辺りよりも涼しく、空気に湿り気があって緑が濃い。一昨日の戦場と同じく、この辺りでも牛や羊の放牧が盛んらしく、あちこちで森が切り拓かれて緑の草地が広がっていた。

 身を隠して歩くにはあまり都合がよろしくないが、心休まる風景には違いない。家を出た日からクヴェリまでの短い旅を思い出した。

 

 あの時はリンがそばにいたが、今度は一人だ――

 

 せせらぎの音に気付いて辺りを見回す。少し離れたところに小川が――いや、人工の物らしい水路があった。両岸が丁寧に組まれた石で固められている。

 

「飲めそうだな……」


 透明度は高く、底に怪しげな巻貝の類も見当たらない。どこか高いところの湧き水を引いているのか流れが速く、手を差し入れてみると水は震えるほどに冷たかった。

 

 水筒をいっぱいにしてから、注意深く口をつける。

 

「……美味い!」


 思わず声が出た。良かった、これでまだ死なずに済む――水筒の蓋を締めて、流れで直接顔を洗った。のどの渇きが治まると、今度は空腹がさらに激しく俺を苛んだ。

 私物の殆どを船に置いてきたせいで、懐中には正真正銘びた一文の金もない。この美しい風景の中で、いずれ盗みを働かざるを得ないのかと思うとひどく憂鬱になった。

 

 しばらく水路脇に座り込んで休む。せせらぎの音に何か別の音が混ざっているのに気が付いた。だいぶ遠くから、ゴト、ゴトと何か重いものが動く音が響いてくる。水が流れていく方向に何かあるようだ。

 

(これはもしや、水車か……?! ということは、近くに民家が)


 俺はそちらの方角へ向かって歩き出した。足が痛む。添え木を確認すると、銅製のケーブルが変形し緩んでしまっていた。シャツの布地を裂いてより合わせ、紐に仕立てて固定しなおし、また歩く。日差しが熱い。


 流れの下手では丈の高い生け垣がところどころで草地を区切っていて、その向こうにはどうやら板葺きの屋根を持つ小ぢんまりとした建物があるのだった。

 この風景にはなにやら見覚えがある気がする。アニメ本編で山賊に扮したロンド・ロランドが、農場を襲うシーンで確かこんな生け垣をなぎ倒していたような――何話だったか?

 水車の音がはっきり聞こえるようになり、生垣のすぐ向こうに感じられた。水路が曲がって、緑の回廊の奥へと消えていた。枝の間に手を突っ込んでかき分けると、目の前にまさしく農場が現れた。

 水車の向こうに、穀物を貯蔵するレンガ造りのサイロがある。そのわきには、何か納屋らしきもの。丈の低い丸太囲いの中では牛がゆっくりと草を食んでいる。ここになら、多分なにか食べ物があるはずだ。

 

「よし。夜まで待って、暗がりに乗じて忍び込もう……」

 

 本当ならば、普通に戸を叩いて、食物と寝床を無心するくらいのことはできるはずだった。

 だが、俺は傷の痛みと空腹、部下を敵中に置いて来た自責の念で、少しおかしくなっていたのだろう――そのまま生け垣の根元に伏せて人目を避け、夜を待つ判断をしてしまった。 

 

         * * * * * * *

         

 疲れのせいで、眠ってしまっていたらしい。気が付くと既に日が落ちていた。代わりに月が煌々と農場を照らし出している。人は寝静まっている時間なのか、どの建物にも灯火はなかった。

 

「ふっふっふ。好都合だ……!」


 妙にハイテンションになってほくそ笑んだ俺だった。姿勢を低くして、垣根や荷車、木箱やその他のガラクタといった、農場ならではの遮蔽物の陰伝いに這い進む。

 何度か牛糞の中に手を突っ込みそうになって肝を冷やした。田舎騎士の育ちとはいえ、俺は畜産業にはあまりなじみがないのだ。

 

 納屋の前に、何かが山をなして積んである――土の香りと、それよりも強い香草めいた匂い。正体はすぐに知れた。


(キャニップか! すきっ腹にはまだ寂しいが、ないよりましだ)


 前世のニンジンに相当する、便利な根菜だった。カロリーは申し訳程度だが地球のニンジンよりもいくらか糖分が多く、癖もない。地域によってはこれを用いて酒を造ることもあるという。

 

「よし、まずはこれを一本頂くとしよう」


 シャツの残りに水筒の水を含ませ、キャニップの表面をこすって泥を落とした。適当で良かろう。もう我慢できん。

 カリ、と音を立てて新鮮な野菜をかじった。悪くない。繊維も少なめだし何より甘い。ここのキャニップは上物だ、良い作柄と言える。

 三本ほどを軍服のポケットに、泥を払ってねじ込んだ。 

 もう少し何か、腹にたまるものが欲しい。納屋の中には何かあるかもしれない。例えばイモとか――家禽を飼っていれば卵もあり得る。鍋はないが、たき火の灰に殻つきのまま卵を埋めれば加熱して食えるはず。

 

 納屋の中に這い込む。案に相違して、そこは食糧庫の類ではなかった。屋根の下に粗末な二階がもうけられ、どうやらそこに干し草が積んであるようだ。寝床にはよさそうだが、果たしてあそこまで上がれるのか?


 もう少し何か探そうと、向きを変えるつもりで軸足を移したその瞬間――一時忘れていた左足首に、これまでにない激痛が走った。 

 

「ぐあっ――!」


 ひどい声だ、これでは住人が起きてしまう――そう思いながら、気が遠くなる。

 

 

 

 次に目覚めると、俺は乾いた匂いのする干し草の中に、上着を脱がされ毛布を掛けられて寝ていた。窓から光が差し込んでいる。場所はあの干し草置き場からほとんど移動していないようだ。

 

 見回すとそばに籐のような植物で作った低い椅子があり、そこに誰かが腰かけていた。豊かな赤毛を肩の上で束ねて編み込んだ姿の、若い娘だった。 


「お目覚めですね。よかった。物音がしたので見に来たら、軍人さんが倒れているなんて。ほんとにどうしようかと思いましたよ、熱もひどかったし」


「もしや、看病してくださったのですか……面目ない――私はここで盗みを働いたというのに……ぐっ!」


 起き上がろうとして、また痛みに襲われる。


「ああ、動かないで! いま、お医者様を呼びにやっていますから」


 そう言ってこちらを制止する赤毛の少女は――以前コルグと共にあの廃ダムから救出した、ソリーナ・トリングだった。

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