第35話

「うん……?」


 首をかしげるルルイエ、その角度が変わるにつれて脂汗がだらだらと滲みだしてくる。

 そして、受け入れがたい現実から目を背ける事ができないと気付いた瞬間だった。


「う、うおぉぉぉぉぉぉ! フレディ・サンダース2世! なんでこんなことにぃ! ナコトさん! どういうこったこらぁ!」


「ごめーん、近くにあったからついー」


 ルルイエの慟哭に、階下からナコトが笑顔で答える。

 悪びれた様子はない。

 挙句の果てに小柄な体躯を生かして可愛らしいポーズで逃げ切ろうとしている辺り、一切の反省はないのだろう。


「弁償してもらいますからね!」


「しょーがないか、うん。じゃあ一番いいの買ってあげるよ」


 壊された窓越しに、その気迫だけでナコトを押し切ったルルイエは涙目で髪を振り乱し、遠めに見ていただけのクリスですら恐怖を覚える相貌をしていた。


「あの、フレディ・サンダース2世って……」


「……この子の名前」


 名前を付けるほどの愛着があったのであれば、この取り乱し方もやむなしという物だろうか。

 ただしそれが通用するのは空気を読むことができる者相手だけである。


「センス無い名前ですねぇ」


「魔法少女なんちゃらが言うか……?」


「む、いい名前じゃないですかシャーロック・サファイア!」


「それが許されるならフレディ・サンダース2世はセンスの塊のような名前だね!」


「なんですとぅ!」


「なんだよぅ!」


「むぎぎぎぎぎ」」


 しばらくにらみ合いを続けた二人だが、ナコトは弁償すると言っている上にここで無駄な体力を使うのもばからしいとため息をついてから、ルルイエは隠し部屋に入る。

 最後に残された魔法陣を軽く見て、煙草の煙を吐き出す。


「聞きそびれちゃったなぁ、これの効果」


「わからないんですか?」


「いんや、難しくはないよ。えーと効果の強化と範囲拡大……?」


「何の効果をですか?」


「見たところ、この絵が何らかの魔力を発しているみたいなんだけど……」


 そう言って床に置かれた絵画をしげしげと眺めるルルイエとクリス。

 先程のラビィや、玄関に現れた屍食鬼のような生き物が死肉を漁っている姿が描かれている。

 それを見てクリスが思わず口元を押さえた。


「……これ、ピックマンの絵ですね」


「ピックマン?」


「300年くらい前の画家です。この手のグロテスクな絵を描く画家で、一躍有名になったんですけど……ある日絵を描いていたら徐々に体が変化し始めて屍食鬼になってしまったとかなんとか」


「へぇ……そりゃおっかない」


「ちなみにこの絵一枚で私たちの借金半分くらい返済できます」


「……ねぇクリスちゃーん」


「別に盗んでもいいですけど、盗品は売買で足元見られてかなり安く買いたたかれますよ」


「む……」


 さらりと裏世界の情報を吐露するクリス。

 前科があるという事を隠そうともしない態度は、ある意味では潔い。


「まぁ察するに、ピックマンの絵に込められた魔力は人を屍食鬼に変質させるものだったんでしょうね。それを拡大強化して人以外も屍食鬼に変える力を持たせた。私達はその実験台だったんじゃないですかね」


「でもなんで、私達だったんだ? こいつが襲ってきた理由もよくわからん」


「黒幕と真犯人の思惑を同列に考えるのは悪手ですよ。黒幕は、まぁ仕掛けやらなんやら見るにニャルラトホテプさんじゃないですかね。あの人面白ければ何でもいいのでラビィさんにこの話を持ち掛けたんでしょう。強力な種族が屍食鬼になったらどうなるかって実験で」


「……私はその人? とやらを知らんのだけどどんな人だ? というか種族は?」


「邪神ですよ。愉悦の為なら命も投げ出すというか、殺しても死なないというかそんな」


「……はた迷惑な。じゃああのゾンビは?」


「第一被害者の屍食鬼さんのごはんでしょ。その辺りはモルディギアンさんに聞かないとわかりませんが」


「また知らない名前なんだけど」


「墓守の邪神、モルディギアン。アンデッドが大嫌いなのに、アンデットが跳梁跋扈する墓場地区の管理を任された……ニャルさん被害者の会一員です」


 なおニャルラトホテプ被害者の会は現在会員人数数万人と言われている。

 その中には名だたる邪神たちも含まれているから相当である。


「じゃあその辺の後始末は邪神様達に任せるという事で……こいつが襲ってきた理由は?」


「それこそ、窮鼠猫を噛むじゃないですけど今まで弱者の立場に甘んじてた人が突然強い力を手に入れたら……どうすると思います?」


「強者への反逆? やっすいラノベの悪役じゃあるまいし……」


「そういう馬鹿なことする人って結構多いんですよ。だからヒーローのお仕事は絶えないんです」


「まったくもって、世も末だなぁ……」


 燃え尽きかけた煙草を地面に落とし、魔法陣もろともそれをもみ消したルルイエは絵を手に取る。

 そして窓から飛び降りて、屋敷の外に出ようとした瞬間だった。

 ラビィを押しつぶしていた車が轟音とともにひしゃげる。

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