第14話 エスコートの相手
第三皇子のロシエルは皇帝の執務室の扉をノックする。やや間があって、入室の許可があった。
「戻りました、父上」
ロシエルは堂々とした態度で執務室に足を踏み入れる。
「魔物の討伐ご苦労……なぜオラシオンが一緒なのだ?」
書類から頭を上げたリチャードは目を丸くした。久しぶりに帰ってきた息子は、顔合わせをしていないはずの娘と一緒にやって来た。手をつないで。
こうなった理由はシオンにも判らないが、とりあえず笑みを見せておいた。
程なくして、執務室の応接用のテーブルの上にはお茶と菓子が用意された。シオンとロシエルだけでは食べきれないほどの量である。
「ニフラーか」
リチャードはシオンの膝の上にいる黒い毛玉に目を向ける。テーブルの上の菓子が気になっていたニフラーは、彼の視線を受けるとビクッと震えあがって、シオンの指にしがみついた。
「どうやら騎士団の荷物に紛れて皇宮に入り込んでしまったようで、それをシオンが保護しようとしていたところに、僕が出くわしたのです」
ロシエルが説明するのを、シオンは黙って頷いていた。
「それで、そのニフラーはどうするつもりだ?」
どうするかと訊かれて、どうしようと思った。
見知らぬ土地に放つわけにもいかないし、元いた場所に戻すにも時間が掛かってしまう。どうすることが、この子のためになるのだろうか。
うるうるとした目で、ニフラーがこちらを見てくる。
──うう、可愛い。
ニフラーの収集癖は困りものだが、探し物をするときにはとても役に立つ。それに腹部の袋は拡張呪文でも使っているのかと思うくらいに、見た目以上の物を持ち運ぶことができる。ちょっとした隠し場所に便利だった。
なにより、この可愛さである。つぶらな目に、ふわさらの毛並みは頬擦りしたくなる気持ち良さ。ずんぐりむっくりしたフォルムもたまらない。
すでに手放すのが惜しくなっていることに、シオンは気づいた。
「……あたしが、面倒を見てもいいですか?」
これまで動物を飼ったことはない。そんな余裕がなかったというのもあるが、ちゃんと面倒を見ることができるかという不安があった。
しかし今は、目の前にある食べ物を、この子にお腹いっぱい食べさせてあげたいと思う。
ニフラーもあれだけ逃げ回っていたというのに、いつの間にかシオンに懐いている。シオンはクッキーを手に取ると、ニフラーに渡した。魔法動物とはいえ、糖分の摂りすぎは良くない。けど、今くらいはいいだろう。ニフラーは小さな手でクッキーを掴むと、サクサクとそれを平らげる。
「そうか。お前の物を持ち出したと聞いたから、どう処分しようかと思ったが……命拾いしたな」
リチャードの言葉に、シオンとニフラーはゾッとする。ロシエルは平然としていたので、おそらく皇帝の言葉遣いはいつものことなのだろう。まだシオンの知らない一面があるのだと思い知らされた。
「ところで、その小動物が持ち出したというのは……それか?」
リチャードは、テーブルの上に置かれた懐中時計を指差した。
「はい、そうです」
「……見せてくれるか?」
陛下が頼み事をしてくるのは、初めて会ったとき以来だった。シオンは小首を傾げつつも、素直に応じた。
「これか……」
「何かご存じなのですか?」
「ああ。これは成人の祝いに、私がシアに贈ったものだからな」
自分の持ち物は本当に皇帝陛下から受け取ったものばかりなのではないか、とシオンは冗談抜きで考えた。同時に、母親は彼から贈られたものを死の直前まで大事にしていたことを知った。
──二人は想い合っていたんだな。
当然のことなのだが、なぜかピンと来ない。
父親という存在を知らず育ったせいなのか、花街で様々な人間関係を見てきたせいなのか。いずれにしろ、シオンは恋愛的な感情がよく判らなかった。
「そうだ、シオン。兄上の誕生パーティーで、君をエスコートする相手は決まっているのかい?」
ロシエルが笑みを浮かべながら訊いていた。
「え? いえ……」
パーティーにはパートナーを連れていくことが常識だった。基本的にその相手は配偶者や家族、婚約者であり、まれに親しい友人だったりもする。
「じゃあ、僕がエスコートするよ。いいだろう?」
ロシエルは目を細めて、さわやかに微笑んでみせる。シオンは初めてリチャードに会ったときのことを思い出した。陛下のことを御伽噺に出てくる王子様のようだと思ったのだが、ロシエルも髪や瞳の色は違うもののしっかりとその血を受け継いでいるらしく、家族であってもときめきを隠しきれなかった。しかし、まさかここまで好意的だとは思わなかった。シオンは頬を赤らめて狼狽えてしまう。
「エスコートは私がする」
リチャードがいきなり口を挟んできた。シオンは目を丸くする。
ロシエルは文句を言いたそうな目を父親に向けた。だが、言っても仕方がないことを知っているようで、判ったと溜め息を吐いた。
「ファーストダンスは父上に譲るよ。でも、セカンドダンスは渡さないよ」
いいだろう? とまた微笑みを向けてくるロシエルに、シオンは流されるがまま首を縦に振るのであった。
まさか陛下直々にパートナーを務めてくれるとは思ってもみなかった。しかし、考えてみれば、皇女であるシオンのパートナーになりえる人物は数少ない。候補にあがるのは必然的に家族である。
しかし、長兄であるクロードはパーティーの主役で婚約者もいるので候補からは外れる。次兄のハワードは食事会での様子を見るかぎりでは、あまりシオンのことを快く思ってはいないようなので難しいだろう。同性のパートナーは多くないが、選んではいけないという決まりはないのでアイシャにお願いすることも考えた。しかし、彼女はまだ幼く
父であるリチャードは畏れ多く、ロシエルとはまだ顔合わせも済んでいなかったので候補にすら入れていなかったのだが、まさかその二人が名乗り出てくれるとはシオンは思ってもみなかった。
いざというときはフィリックスにお願いしようかと思っていたシオンは、出入口のそばで待機してくれている彼に、なんとなく視線を送った。すると、自分には介入する余地はないと言わんばかりに彼は肩を竦めるのであった。
──ダンス、練習しなきゃな。
この国で一番偉い人がパートナーを務めてくれるのだから下手なダンスをするわけにはいかない。
膝の上でもう一枚クッキーを食べるニフラーの頭を撫でながら、シオンは魔術の鍛錬の時間が大幅に削られてしまうのを感じた。
その後、お茶を片手にロシエルの魔物討伐の報告に耳を傾けていたのだが、報告が終わりに差し掛かったところで宰相が訊ねてきた。リチャードはもう少し仕事をサボりたそうにしていたが、公務の邪魔をするわけにはいかないと余った菓子をお土産にもらい、二人は執務室を後にした。
「僕もまだやることがあるから、残念だけど、今日のところはここでお別れかな」
そう言うと、ロシエルはシオンの頭に手を撫でる。
「パーティーで一緒に踊れるのを楽しみにしてるよ。──それじゃあ」
シオンを宮殿までしっかり送り届けるようにとフィリックスに告げると、バイバイと手を振りながら、ロシエルはその場を後にするのであった。
そんな第三皇子の姿を見送ると、シオンは撫でられたところに手を添えて、しばらくボーっとしてしまった。
「なんか、思ってたよりも気さくな人だったね……」
あれだけ心配していたファーストコンタクトだったが、あまりにも呆気なかったため拍子抜けしてしまった。
「そうでしょう」
大丈夫だっただろと言わんばかりに、フィリックスが表情を和らげる。彼が護衛騎士になってから初めてみせる表情だったので、シオンは思わず目を見張った。
ニフラーが菓子の入った袋を引っ張る。食べすぎは良くないと袋を遠ざけながら、今日はいろんなことがあったなとシオンは溜め息を吐いた。
〇
「オラシオン様!」
「どうしたの、シャーリーン」
数日後、貴族名簿を暗記しているシオンのもとに、シャーリーンがわなわなと肩を震わせてながらやって来た。
「この子、なんとかならないんですか?」
そう言って差し出してきた手の上に乗っていたのは、一匹のニフラーだった。
「また何か盗んだの?」
「そうなんです! ちゃんと仕舞ってたはずのアクセサリーを持って行ってしまうんです!」
紛失事件ののち、プレーゴ宮で面倒を見ることになったニフラーは持ち去った装飾品などを返却し、その愛らしい見た目から使用人たちからもすぐに可愛がられるようになった。
しかし、相変わらず光物に目がなく、黙って腹の袋に入れると、シオンが用意した小さなかごの寝床や、宮殿の中に勝手に作った隠し場所に持って行ってしまうのだった。
「ニフラーの習性だから、矯正できるものじゃないんだよね」
「でも魔法生物なんだから、その辺の野生の動物よりは賢いですよね。分別はつけるべきだと思いますよ」
つまりは甘やかすなと言いたいのだろう。
普段は大らかなシャーリーンだか、何度も同じことをされると腹に据えかねるようで、口をへの字に曲げてしまっていた。
「おいで、ポッケ」
ポッケと名付けられたニフラーは、シャーリーンの手からシオンの手に飛び移る。掌にずしっと重みを感じた。
「あれ? ちょっと重くなった?」
「そうなんです。お菓子もつまみ食いしてるみたいで」
ずんぐりむっくりした体形も魅力だが、健康のためにも食べ過ぎはよくない。
もっとよく観察しようと、シオンはポッケの首の後ろをつかんで持ちあげた。
ジャラジャラジャラ──
ふさふさの腹部から、きらきらと光る装飾品やアクセサリーの数々が零れ落ちてくる。
「……うん。これは流石に、やり過ぎかな」
床に転がるそれらを見て、シオンは言った。
その後、勝手に光物を持ち出した際にはお菓子禁止が言い渡され、しつけとダイエットの両方を効率的に叩き込まれるポッケであった。
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